一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

宗教の仮面を被った殺人集団

2011-11-22 05:20:35 | 日記
宗教という仮面を被った殺人集団が裁かれた。その大きさ、恐ろしさ、今考えると、このような殺人集団が何故存在したのか。誰が見ても宗教団体ではなく殺人団体にしか見えない。そこに参加していた凡ての信者といわれている人間には、殺人を行うことが当然の如くに教育をされていたのだ。
幹部といわれている人間の中には、国立大学で医学や工学、化学の専門家までいた。何のために高等教育を受けたのだろうか。ここで教育を受けるためにどれだけ多くの税金が無駄に使われたのであろうか。高等教育では、決して殺人を薦めるようなことはしなかったはずである。そのような人間に育ってしまったのは何故だろうか。
大量殺人に参加した多くの幹部は死刑宣告を受けることになった。死刑廃止論者は、このような大量殺人を犯した犯人にも死刑の廃止を訴えるのだろうか。数千人、数万人に被害が及ぶ大量殺人を実行しようとして、数十人の人たちが実際に命を落としている。この事件で命を落とした人たちは、何も知らないままあの世へと旅立っていった。実に悲惨である。
宗教団体が犯した大量殺人に対しては厳しい措置が取られるのは当然である。死刑判決を受けた人間には早急に死刑の執行をしなければならない。事件の詳細が解らない部分が多くあるといわれているサリン事件。このような事件が2度と起きないためには国家としてどのような対策をしなければならないか。若しかすると国家の転覆があったかも知れない、といわれている。それを食い止めた人たちの努力は大変だったかもしれない。目には見えない努力というのがどのように行われたのか。
これから、この事件の真実を暴くことは不可能かもしれない。しかし、2度と起きてはならない、起こしてはならない事件である。死刑執行前に、その詳細などを残すことは出来ないものなのか。殺人集団を取り仕切った人間の姿は今獄中にある。彼らに与えられた時間は多くはない。永く生きてもらっていても国家としては何もプラスにはならない。国民のためにもプラスになることはゼロである。彼等殺人集団を指導した代償は大きい。それを実際に肌で感じ取って死んでいかなければならない。
多くの被害者の中には、未だ療養中の人がいるし、後遺症を持っている人もいる。殺人集団への恨みを死刑囚に求めても何も元に戻ることはない。しかし、死刑囚には死刑が早く執行されることが望ましいことは事実である。死んで償いをする、ということは当然の事であり、命乞いなどもってのほかである。
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