"BAGDAD CAFE/OUT OF ROSENHEIM"
1987年/西ドイツ/108分
【監督・製作・脚本】パーシー・アドロン
【出演】マリアンネ・ゼーゲブレヒト/ジャスミン ジャック・パランス/ルーディ・コックス CCH・パウンダー/ブレンダ
**********************************************
何でも、<ニュー・ディレクターズ・カット版>というのがこの12月から公開されているそうです。アドロン監督自らが再編集し、色と構図に大幅に手を入れたバージョンらしい。そりゃ見たい!と思うのですが、青森では上映はありません。トホホ…。
で、悔しいので、1987年の公開版(91分)とは別に作られた「完全版」を見てみることにしました。
モハベ砂漠のど真ん中、ドイツからラスベガスに旅行にやってきた中年夫婦が、砂漠を突っ切るハイウェイで喧嘩を始める。女は、「もうあんたなんかといるのは真っ平よ」と捨てぜりふを吐いて車を降り、スーツケースを引いて歩き始める。男はそんな妻を置いて走り去るが、さすがに炎天下を慮ったか、コーヒーの入ったポットを道端に置いていく。
黄色い砂漠の真ん中に、巨大な給水塔がそびえ立っている。横っ腹に記される"BAGDAD CAFE"。気性の荒い女主人ブレンダが取り仕切る「バグダッド・カフェ」の広告塔です。今日もブレンダは、夫のサルを町に買い物にやったのに、肝心のコーヒーマシンを買ってこなかったことに、荒れまくっている。さすがのサルもついにブレンダに愛想をつかし、出て行ってしまう。
ブレンダは、やるせない思いでカフェの前のソファに腰掛ける。涙が流れてくる。と、そこに、スーツケースを引いた汗だくの女がやってくる。
逆光の中、砂漠から忽然と現れた女を、ブレンダは大いに怪しむが、その女性、ジャスミンはバグダッド・カフェに静かな旋風を巻き起こしていく。ブレンダも徐々にそれに巻き込まれていく…。
ジャスミンの素性は最後まで明らかにされません。そもそも、冒頭なぜジャスミンが夫と喧嘩をしていたのか、それさえも何の説明もない。見ている私たちは、バグダッド・カフェという切り取られた空間の中で、断片的に示される彼女たちの言動から過去を想像するしかない。ジャスミンがドイツのババリア地方の民族衣装を持っていること、ブレンダの赤ん坊をやたらと抱っこしたがること、「子どもはいない」とブレンダに告げたこと、間違えて持ってきてしまった夫のスーツケースの中に入っていた手品セット…。
ジャスミンというミステリアスな女性(というには少々太りすぎかも…)は、バグダッド・カフェという閉じられた場所にはあまりにも異質でした。その異質ぶりをブレンダがだんだんと受け入れていく過程は非常に興味深い。で、そうなると、受け入れる「きっかけ」が何なのかが気になるものです。それは結局、ジャスミンがふと漏らした一言だったのですが、受け入れる素地はそれまでに十分描かれているから、ブレンダはジャスミンという異質をあっさり受け入れてしまうのですね。
この映画の中で、ジャスミンを唯一受け入れようとはしないのが、モーテルの一室でタトゥーの店を開く女性、デビー。彼女は終始ジャスミンには関わりを持とうとしないのですが、ジャスミンがみんなに受け入れられるのを見て、店をたたんでバグダッド・カフェを出て行く。なぜ?という問いかけに、彼女は「仲良しすぎる」と一言。これって極めて象徴的な言葉です。ジャスミンが来る前のバグダッド・カフェの、ぎすぎすしているように見えて実はお互いに深いところでつながっている…ような関係がデビーにとっては心地よかったのかもしれません。「仲良し」だからこそ、そういう関係も破綻しやすいことをデビーは経験的に知っていたのでしょうか。
この映画の原題は"Out of Rosenheim"です。ローゼンハイムとは、ドイツ・ババリア地方(ドイツ語でバイエルン=中心都市はミュンヘン)に位置するジャスミンのふるさとの町。彼女が、ブレンダの息子サロモがピアノで奏でるバッハにじっと聴き入るシーンがあります。ジャスミンは、ドイツの生んだ偉大な音楽家・バッハを通じて、ローゼンハイムのことを思い出していたのでしょう。たくさんの思い出が詰まった、しかし、もう二度と戻らないかもしれない、ふるさと。
そんなジャスミンの姿にインスピレーションを得た男がいました。かつてハリウッドで映画の背景画を描いていたというルーディ・コックス(ジャック・パランス)。彼はバグダッド・カフェの隣のトレーラーハウスに住み、毎日カフェに顔を出す、ブレンダにとっては家族のような存在です。彼は、ジャスミンに自分の絵のモデルになってほしいと申し入れる。
ルーディのモデルになったジャスミンの変容ぶりも楽しい。心を閉ざしたジャスミンが、彼の描くキャンバスの前では、思う存分にはじける。ルーディは、まるで女神でも描くかのように筆を走らせる。そう、ルーディにとっては、ジャスミンは天から遣わされた女神であり、神の啓示だった。つまり、"calling"…。
この映画は、ジュベッタ・スティールが歌う主題歌“コーリング・ユー”抜きには語れません。忘れた頃に静かに忍び込んできては、ああ、この歌はこの映画のためにあるんだと思い起こさせてくれる。
この曲、ホリー・コールや、セリーヌ・ディオン、バーブラ・ストライザンドなど、多くのミュージシャンがカバーしていますが、やっぱり原曲のジュベッタ・スティールにはかなわない、と思います。
A desert road from vegas to nowhere
Someplace better than where you`ve been
A coffee machine that needs some fixin`
In a little cafe just around the bend
I...
am calling you
Can`t you hear me?
I...
am calling you
ヴェガスからの砂漠の道
これまでいたところよりは ましなどこかに通じてる
修理の必要な コーヒーマシンが
カーブを曲がったあたりの 小さなカフェにある
私はあなたを呼んでいる
聞こえないの?
私はあなたを呼んでいるのに
…こんな訳じゃダメかな?
「あなた」っていうのは、必ずしも「人」というわけでもないのかもしれませんね。確かにブレンダにとっては、ジャスミンが"you"だったのかもしれませんが、ジャスミンにとっては、別の次元の話のような気がします。ジャスミンが呼んでいたのは、二つの太陽の光が交差する場所。そこが彼女の「居場所」だったに違いありません。奇しくもルーディが描いた絵のように。
この映画は一人一人の居場所を探す物語なのですね。本当に自分がいるべき場所。"calling"(「神の思し召し、使命」あるいは「天職」という意味もある)とは言うけれど、実は、「居場所」は一生探し続けるものなのかもしれません。自らが居場所を"calling"し続けていくもの。人間は、神の意志どおりには動かない。
「バグダッド・カフェ」≫Amazon.co.jp
1987年/西ドイツ/108分
【監督・製作・脚本】パーシー・アドロン
【出演】マリアンネ・ゼーゲブレヒト/ジャスミン ジャック・パランス/ルーディ・コックス CCH・パウンダー/ブレンダ
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何でも、<ニュー・ディレクターズ・カット版>というのがこの12月から公開されているそうです。アドロン監督自らが再編集し、色と構図に大幅に手を入れたバージョンらしい。そりゃ見たい!と思うのですが、青森では上映はありません。トホホ…。
で、悔しいので、1987年の公開版(91分)とは別に作られた「完全版」を見てみることにしました。
モハベ砂漠のど真ん中、ドイツからラスベガスに旅行にやってきた中年夫婦が、砂漠を突っ切るハイウェイで喧嘩を始める。女は、「もうあんたなんかといるのは真っ平よ」と捨てぜりふを吐いて車を降り、スーツケースを引いて歩き始める。男はそんな妻を置いて走り去るが、さすがに炎天下を慮ったか、コーヒーの入ったポットを道端に置いていく。
黄色い砂漠の真ん中に、巨大な給水塔がそびえ立っている。横っ腹に記される"BAGDAD CAFE"。気性の荒い女主人ブレンダが取り仕切る「バグダッド・カフェ」の広告塔です。今日もブレンダは、夫のサルを町に買い物にやったのに、肝心のコーヒーマシンを買ってこなかったことに、荒れまくっている。さすがのサルもついにブレンダに愛想をつかし、出て行ってしまう。
ブレンダは、やるせない思いでカフェの前のソファに腰掛ける。涙が流れてくる。と、そこに、スーツケースを引いた汗だくの女がやってくる。
逆光の中、砂漠から忽然と現れた女を、ブレンダは大いに怪しむが、その女性、ジャスミンはバグダッド・カフェに静かな旋風を巻き起こしていく。ブレンダも徐々にそれに巻き込まれていく…。
ジャスミンの素性は最後まで明らかにされません。そもそも、冒頭なぜジャスミンが夫と喧嘩をしていたのか、それさえも何の説明もない。見ている私たちは、バグダッド・カフェという切り取られた空間の中で、断片的に示される彼女たちの言動から過去を想像するしかない。ジャスミンがドイツのババリア地方の民族衣装を持っていること、ブレンダの赤ん坊をやたらと抱っこしたがること、「子どもはいない」とブレンダに告げたこと、間違えて持ってきてしまった夫のスーツケースの中に入っていた手品セット…。
ジャスミンというミステリアスな女性(というには少々太りすぎかも…)は、バグダッド・カフェという閉じられた場所にはあまりにも異質でした。その異質ぶりをブレンダがだんだんと受け入れていく過程は非常に興味深い。で、そうなると、受け入れる「きっかけ」が何なのかが気になるものです。それは結局、ジャスミンがふと漏らした一言だったのですが、受け入れる素地はそれまでに十分描かれているから、ブレンダはジャスミンという異質をあっさり受け入れてしまうのですね。
この映画の中で、ジャスミンを唯一受け入れようとはしないのが、モーテルの一室でタトゥーの店を開く女性、デビー。彼女は終始ジャスミンには関わりを持とうとしないのですが、ジャスミンがみんなに受け入れられるのを見て、店をたたんでバグダッド・カフェを出て行く。なぜ?という問いかけに、彼女は「仲良しすぎる」と一言。これって極めて象徴的な言葉です。ジャスミンが来る前のバグダッド・カフェの、ぎすぎすしているように見えて実はお互いに深いところでつながっている…ような関係がデビーにとっては心地よかったのかもしれません。「仲良し」だからこそ、そういう関係も破綻しやすいことをデビーは経験的に知っていたのでしょうか。
この映画の原題は"Out of Rosenheim"です。ローゼンハイムとは、ドイツ・ババリア地方(ドイツ語でバイエルン=中心都市はミュンヘン)に位置するジャスミンのふるさとの町。彼女が、ブレンダの息子サロモがピアノで奏でるバッハにじっと聴き入るシーンがあります。ジャスミンは、ドイツの生んだ偉大な音楽家・バッハを通じて、ローゼンハイムのことを思い出していたのでしょう。たくさんの思い出が詰まった、しかし、もう二度と戻らないかもしれない、ふるさと。
そんなジャスミンの姿にインスピレーションを得た男がいました。かつてハリウッドで映画の背景画を描いていたというルーディ・コックス(ジャック・パランス)。彼はバグダッド・カフェの隣のトレーラーハウスに住み、毎日カフェに顔を出す、ブレンダにとっては家族のような存在です。彼は、ジャスミンに自分の絵のモデルになってほしいと申し入れる。
ルーディのモデルになったジャスミンの変容ぶりも楽しい。心を閉ざしたジャスミンが、彼の描くキャンバスの前では、思う存分にはじける。ルーディは、まるで女神でも描くかのように筆を走らせる。そう、ルーディにとっては、ジャスミンは天から遣わされた女神であり、神の啓示だった。つまり、"calling"…。
この映画は、ジュベッタ・スティールが歌う主題歌“コーリング・ユー”抜きには語れません。忘れた頃に静かに忍び込んできては、ああ、この歌はこの映画のためにあるんだと思い起こさせてくれる。
この曲、ホリー・コールや、セリーヌ・ディオン、バーブラ・ストライザンドなど、多くのミュージシャンがカバーしていますが、やっぱり原曲のジュベッタ・スティールにはかなわない、と思います。
A desert road from vegas to nowhere
Someplace better than where you`ve been
A coffee machine that needs some fixin`
In a little cafe just around the bend
I...
am calling you
Can`t you hear me?
I...
am calling you
ヴェガスからの砂漠の道
これまでいたところよりは ましなどこかに通じてる
修理の必要な コーヒーマシンが
カーブを曲がったあたりの 小さなカフェにある
私はあなたを呼んでいる
聞こえないの?
私はあなたを呼んでいるのに
…こんな訳じゃダメかな?
「あなた」っていうのは、必ずしも「人」というわけでもないのかもしれませんね。確かにブレンダにとっては、ジャスミンが"you"だったのかもしれませんが、ジャスミンにとっては、別の次元の話のような気がします。ジャスミンが呼んでいたのは、二つの太陽の光が交差する場所。そこが彼女の「居場所」だったに違いありません。奇しくもルーディが描いた絵のように。
この映画は一人一人の居場所を探す物語なのですね。本当に自分がいるべき場所。"calling"(「神の思し召し、使命」あるいは「天職」という意味もある)とは言うけれど、実は、「居場所」は一生探し続けるものなのかもしれません。自らが居場所を"calling"し続けていくもの。人間は、神の意志どおりには動かない。
「バグダッド・カフェ」≫Amazon.co.jp
「コーリングユー」の曲、私もスティールさんイチオシです。20代の初め、オランダで子ども向けサマーキャンプで働いていた時、スタッフのお別れパーティーでこの曲が流れていたのを思い出します。
バグダッド・カフェも実在するようですね。写真拝見しました。あの雰囲気、いいですね。
この映画のタッチと「コーリング・ユー」、ミスマッチぎりぎりのところがいいですね。