カクレマショウ

やっぴBLOG

オリンピック開催はうれし恥ずかし。

2006-04-16 | └オリンピックの話
石原東京都知事の発言にはいつも驚愕させられます。今日は、オリンピック誘致をめぐる新聞記事で、「五輪で日本の底力を見せる。日本をなめたらあかんぜよ」、「そんなもの(都民の関心)はだんだん醸成されるもの。とんでもなく素晴らしいスタジアムができれば意欲も出てくる。やっぱり物で見せなきゃだめだ」といった時代錯誤的な発言が紹介されていました。

東京都は2016年の夏季五輪開催を目指し、招致運動を既に始めています。実現すれば1964年の東京五輪以来半世紀ぶりの夏季五輪となるわけですが、まず国内で名乗りを上げている福岡とのレースに勝たなければならない。東京都は「半径10km以内に施設を集約した世界一コンパクトな大会」をうたい文句に、「首都であること」を強力な武器として戦う構えのようです。首都東京での五輪こそ、日本の国威発揚の場にふさわしい。いかにも石原知事の好みそうな路線ですね。

同じく誘致を表明していた札幌市は、今年2月の議会で上田文雄市長が正式に招致見送りを表明しました。昨年12月に実施した市民アンケートで反対意見がわずかながら賛成を上回ったことのその背景にあるようです。札幌冬季五輪(1972年)を引き合いに出した上田市長のコメントも紹介されています。「五輪が街を変容させるのは体験上よく分かっている。だがこれからは人口が減っていく。当時とは社会的状況が大きく異なる」。

上田市長は、弁護士のかたわらNPO支援活動を長く続けてきた経歴があるだけに、とにかく市民の目線を大切にする市長のようです。市民が望まないものはやらない。もちろん五輪開催を望む市民も多いことは確かですが、たぶん、そうした市民に対しても地道に説得していこうとする姿勢があるのではと勝手に想像しています。

上からの強力なリーダーシップを最大限発揮しようとする石原知事と、NPO支援活動の体験があり、市民の声を何より優先しようとする上田市長。五輪誘致をめぐる首長の言動として、「ピラミッド型社会」と「ウェブ型社会」とを象徴する好事例だと思います。

記事では、猪谷千春IOC副会長のインタビューも掲載されています。東京の誘致の動機は、本来の五輪の精神とはかけ離れたものにしか聞こえない─。確かに、国際理解、平和、友情といった本来の五輪の精神からすれば、「東京のため、日本のため」という動機はやたらと卑近に感じられます。札幌市にしても、「札幌のためになるかどうか」という判断基準が見え隠れしていますし、首長の立場としては、そんな理想論をぶつのは二の次、ということもわからないではありません。

しかしながら、現実の五輪が本当にそんな理想的な場になっているかはどうかは別としても、何のための五輪なのか、という原点はいつの時代も忘れてはならないと思います。それを失ってしまったら、五輪を開催する意義がないわけですから。

気恥ずかしいくらいの「理念」が何よりも優先されるのが、古代も近代も変わらぬ、オリンピックの最大の特徴なのです。

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