鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

新井場、篤人を見逃す

2010年08月24日 | Weblog
そんな1時半まで起きてたのに…鹿島DF 内田の試合見逃した
 鹿島は24日、次戦28日の浦和戦に向けて主力組が練習を再開した。ダッシュなどのフィジカルトレを約1時間消化。8月はここまで4戦で未勝利とあってDF新井場は「そろそろ勝たんとね」と力を込めて話した。

 21日には元鹿島のDF内田(シャルケ)がブンデスリーガ開幕戦ハンブルガーSV戦に出場。衛星放送のチャンネル契約の関係でテレビ中継を見逃した新井場は「夜中の1時半まで起きてたのに見られなかった。海外サッカーはほとんど見られる契約にしてたのに」と残念がったが、「今はチームの状況的にあいつのことを心配してる余裕もない」と集中していた。

[ 2010年08月24日 13:07 ]

篤人の試合を見逃した新井場である。
かつての僚友の動向が気になるのであろう。
今は同ポジションにコンバートされ、プレイの参考にもなるはず。
とはいえ、欧州の試合を生で追うのは困難である。
生活を犠牲にせねばなるまい。
アスリートたるもの、睡眠不足に陥るわけにも行かぬ。
ここは、HDレコーダーを導入しては如何であろうか。
番組表から録画する番組を選べるのは楽ちんである。
いらぬストレスを排除して、試合に集中できるというもの。
心配事はチームの勝敗のみにしようではないか。
8月のラストマッチで初勝利を是が非でも掴み取りたい。
新井場のクロスで勝ち点3をもぎ取るのだ。
必勝である。

大迫、ニューヒーロー賞候補

2010年08月24日 | Weblog
【ヤマザキナビスコカップ・準々決勝迫る! 注目のニューヒーロー賞候補たち】FW4人体制は期待の証。さらなる成長を見せ始めた大迫勇也が牙をむく:大迫勇也(鹿島)(10.08.23)
■大迫勇也(鹿島) 1990年5月18日生まれ・20歳
鹿島アントラーズの選手のうち、FWとして登録されているのはわずかに4人。そのうちのひとりであるエースのマルキーニョスが、8月7日の清水戦で負傷。右大腿二頭筋肉離れの全治3週間でチームを離れることとなった。残されたFWはたったの3人。鹿島は2トップを採用しているため、ベンチに置いておけるFWは1人きりになった。
他のチームであれば非常事態と言えるだろう。ただ、FW4人体制は08年にも採用されている。つまり、鹿島では、わざと選手の層を薄くし、将来性の高い選手に自覚と成長を促す手法をとることがある。08年では、興梠慎三だった。シーズン終盤に確固たる地位を確立し大きく羽ばたいていったのである。

今季のFW4人体制も、ある選手への試練と言えるだろう。昨季、センセーショナルなデビューを飾った大迫勇也だ。2年目の今季から背番号も9に代わり、クラブの期待の大きさがうかがわれた。しかし、前半戦は興梠、マルキーニョスの存在が大きな壁となり試合出場数も少なくなっていた。
だが、試合出場もままならない間、大迫が歩(あゆみ)を止めていたのかと言えばそんなことはない。第13節の川崎F戦から結膜炎を煩った興梠に代わり先発出場をすると、いままでに無いプレーを見せた。前線から献身的な守備を行い、昨年とは違うプレーを見せたのである。
「それをやらないと試合に出られませんからね」
さも当然という表情で、大迫は自身の変化を口にした。

まわりの選手たちも大迫の成長をひしひしと感じている。中盤の核として活躍する中田浩二は次のように話す。
「サコはよくなったよね。マルキとも慎三(興梠)とも違うタイプだし、ポストはたぶん一番うまいと思う。ボールを当てても簡単に取られないし、サコに当ててから展開するという形が出来てきた」
ただ、ストライカーとしては、きっと物足りないであろう。「あとは得点だけだよね」(中田)というように、今季リーグ戦ではいまだに2得点。だからこそ、リーグ戦とは違うヤマザキナビスコカップという舞台は大きな意味を持ってくるのだ。ここ最近、鹿島の練習では、オリヴェイラ監督が大迫と1対1で話をする光景がよく見られるようになった。身振り、手振りを加え、体の使い方の指導など、かなり具体的な内容から、選手としての心構えまで、オリヴェイラ流の英才教育が施されている。

これまでヤマザキナビスコカップを3度獲得してきた鹿島は、MVPを3人の選手が獲得しただけでなく、ニューヒーロー賞も2000年に鈴木隆行、2001年に曽ヶ端準が受賞している。マルキーニョス不在で迎える可能性もあるこの大会を制するには、こうした若い世代の活躍が不可欠であろう。左右両足を同じように使え、鋭くコンパクトな振りから強烈なシュートを放つ大迫。その両足からゴールが量産されるようになったとき、また1つタイトルに手が届いているはずだ。


以上

ナビスコ杯のニューヒーロー賞候補に挙げられる大迫である。
記事にあるように、昨季とはプレイの質が異なっておる。
ポストプレイが巧くなり、チームプレイに徹しておるように感じて取れる。
昨季までの初々しさとゴールさえ決めればよいというプレイではない。
まさに「新化」しておると言えよう。
将来の軸としての成長を喜ぶ者も多かろう。
とはいえ、ゴールの数は物足りぬ事は事実である。
どん欲にシュートを狙う姿は見て取れるのではあるが、今季はツキがないように思える。
一つ歯車がかみ合えば、得点を量産する資質を持っておるだけに、我等としては歯痒い。
ナビスコ杯でゴールを決め、量産体制に入って欲しい。
そして、鈴木隆行も獲得したニューヒーロー賞を受賞するのだ。
大迫と共に歓喜の声を上げたい。
楽しみにしておる。

疾走、関ドクター

2010年08月24日 | Weblog
“めずらし医”を探せ! Vol.1
「神様ジーコと仕事ができて幸せ」
常勝アントラーズを支える名物チームドクター

吉村 馨太=日経メディカルオンライン
 珍しい医師、名付けて「めずらし医」。南極観測隊の同行医、プロスポーツチームの専属ドクター、自衛隊の医務官、ドクターヘリの搭乗医、航空宇宙医師、豪華客船の船医--。本特集では、特殊な環境で働くそんな「めずらし医」が大集合!業務内容、忙しさ、報酬、仕事の喜びなど、知られざる日常を明かしてくれた。

関 純 Jun Seki
鹿島アントラーズチームドクター●1981年東京医科大学卒業、整形外科教室に入局。83年に住友金属工業蹴球団チームドクターに就任。以降、サッカー日本代表、オリンピック代表、ユース代表などのチームドクターを歴任する。89年西大宮病院副院長、92年鹿島アントラーズチームドクター就任。

 「選手とはみんな仲がいいですが、特にいいのは小笠原満男選手ですね。一見無口に見えますが、付き合ってみると彼ほど面白い男はいない(笑)。あと、マルキーニョス選手。彼とは日本語とポルトガル語を織り交ぜながら、何でも話せる仲です。ジーコがいたおかげで、私も少しポルトガル語が話せるんです」




2010年5月1日の対ガンバ大阪戦。ゴール前で相手選手に腕を踏まれ、倒れ込んだGKの曽ヶ端準選手。その様子を見て関氏はピッチを一直線に駆けて行く。幸い大事には至らず、すぐに立ち上がった。後ろで心配そうに見つめるのは、MF小笠原満男選手。photo:Hirohisa Shingaki

 Jリーグで、2007年からの3年連続を含む7度の年間優勝を果たし、天皇杯の優勝も3回を数える鹿島アントラーズ。そのチームドクターが、西大宮病院副院長の関純氏だ。前身である住友金属工業(住金)の蹴球団時代からのチームドクターで、アントラーズの生き字引きでもある。

10年間は週4日チームに帯同
 関氏は通常、週3日は病院で整形外科医としての外来診療に従事し、休日にはチームドクターの仕事をこなす。「大好きなサッカーにかかわれるなら、休日がつぶれても全く構いません。ただ、時期により試合の曜日が変わるので、勤務先の協力なしには続けられなかったでしょう」

 チームドクターの仕事としては、一般的な整形外科診療がメーン。海外遠征中は全身管理も担うので、ある程度、他科の知識も必要になる。

 チームドクターとしての勤務は、1試合に付き2日間が基本。試合前日に選手寮(遠征中なら宿泊地)に入り、出場選手のメディカルチェックを行う。翌日は、ホームでの試合なら午前中にクラブハウスに出向き、出場しない選手やけがの選手をケアする。「リハビリ中の選手とは、軽くランニングしながらゆっくり経過を聞くこともあります。そうすることで選手との信頼関係も築けますし、何より僕の運動にもなります」(笑)

 試合開始の1時間半前には、選手とともにスタジアムに入る。キックオフ後はベンチで待機し、試合中に選手が倒れるとそれこそ全力で駆けつける。その姿は、Jリーグ名物といわれるほどだ。

 アントラーズ誕生から10年間は、チームドクターを1人でこなしてきた。「シーズン中は週に4日チームに帯同することもあり大変でしたね。今は4人のチームドクターがいるので、ローテーションで回しています」


クラブハウスの医務室で、GK八木直生選手のけがの具合を確かめる関氏とフィジオセラピストの安藤貴之氏。その後3人はグラウンドに出て、30分ほどランニングをこなした。

この職は息子にも渡さない!
 関氏自身も小学校5 年生からサッカーを続けていて、現在は東京医科大サッカー部監督でもある。チームドクターになったのは、日本サッカー協会のサッカードクターセミナーで行われた親睦試合がきっかけ。試合中の関氏の動きを見て、当時の住金のチームドクター高木俊男氏からスカウトされた。「『お前、うまいな!うちに来い!』と言われたときはうれしかった。自分の好きなサッカーに、医師としてかかわれるのですから」

 アントラーズでの20年弱を振り返るとき、ジーコとの出会いは忘れられない。西大宮病院のトレーニングルームの壁には、ジーコと関氏が一緒に写った写真が飾ってある。「ジーコは医療スタッフの徹底指導のためにブラジルから理学療法士を呼んだり、選手のサポートに関しても高いレベルの取り組みを数多く要求しました。それがあったからこそ、今の常勝アントラーズがある。やっぱり“神様ジーコ”は特別でしたね」



「今日も選手みんな、けがなく頑張ってほしいですね!」と試合前に関氏。試合は、2対1でアントラーズが勝利した。

 初めて会った時のことは今でも鮮明に思い出せる。「『ドクター、サッカーは好きか?』と開口一番聞かれました。『もちろん!』と答えると、満面の笑みで握手してくれました。ああ、鹿島に来て良かったと思いましたよ」

 Jリーグでは現在、どのチームもチームドクターの空きがない状態だという。
「うちの息子も、僕の後釜を狙っているんですよ(笑)。でも、鹿島アントラーズにいられる幸せを、手放すつもりはまだありません。ピッチで倒れた選手まで全力疾走できるうちは、絶対辞めません!」

関ドクターの記事である。
チームドクターという職務に誇りとやりがいを持っておる。
選手に異常が有れば真っ先に掛け蹴る姿はスタジアムの名物とも言えよう。
その関ドクターがアントラーズの父祖とも呼べるジーコの想い出を語っておる。
怪我に泣かされたジーコはチームドクターの重要性を非常に重く考えておったのであろう。
そのジーコの教えを守る我等が勝利を積み重ねるのも必然である。
関ドクターには我等が勝利を積み重ねられるよう、ピッチを全力疾走し続けて欲しい。
応援しておる。