無知の知

ほたるぶくろの日記

ウエルシュ菌

2017-04-14 07:07:33 | 生命科学

暖かくなってきました。日曜日は25℃を越えて夏日になるとか何とか。びっくりです。

先日うちでもお鍋の中や残り物のお皿の中身にいろいろ生えていて「春だな〜」を実感したところです。気温が10℃を越えますと微生物の活動は飛躍的に活発になります。最近耳にした報道ではウエルシュ菌による食中毒が発生し始めているとか。

ウエルシュ菌はふつうにお腹に存在しています。嫌気性菌なので表面では増殖しません。ただ、この菌は熱に強い芽胞をつくり、これは頑丈です。一種のタネ。

暖かく、水分と栄養があって酸素が無い状況が作られると芽胞が発芽(?)し、増殖します。よくあるのは煮込み料理の一晩放置したお鍋の中。煮込み料理を作る時は案外衛生状態がルーズになっています。どうせ煮るし、ということでどんどん鍋に放り込むわけですが、危ないです。作ってすぐ食べない場合は慎重に作る必要があります。

植物が一斉に芽吹いているこの時期、微生物も活発になっていますので、布巾などにも要注意です。そうでなくとも体調を崩しがち。おまけに食中毒、なんてたまりません。気をつけてお過ごしください。 


トップダウン?

2017-04-13 07:33:48 | 組織

トップダウンと言う言葉、カタカナ外来語で耳障りよく聞こえますが、これは独裁につながる非常に危険な制度でもあります。何にでもバランスが必要ですが、組織のあり方として民主的運営と独裁的運営のバランスが重要です。

現在の国立大学では60年代後半の大学紛争以来スーパー民主制で、物事が何も決まらない組織になっている、とはこの20年ほど言われ続けてきました。ただし、このスーパー民主制とは教授会以上のものであって、それ以下はブラック企業もいいところ。セクハラ、パワハラ、モラハラ、アカハラ、あらゆるハラスメントの温床になっている点については何も手がついていません。

研究室の運営に関しては「教授」の裁量にまかされているためです。研究室内の労働に対する正当な報酬についても意識が薄い。自分以外は小間使いと思っている節があります。

この体制が変わらない限り、大学院生は増えないでしょう。また、若い研究者は育たないでしょう。

研究者の世界で恐ろしいのは仕事とプライベートの境界があいまいなことです。私は結婚相手まで押し付けられそうになって往生した経験があります。もちろんきっぱりお断りしました。以前はよくあったことです。昔の家内工業の親方、と言った風情。

研究の現場のあまりにぐだぐだな労働環境はもっと広く知られるべきでしょう。

今の大学には「教授」の自由はありますが、それ以外の方たちの自由はありません。一種の教授天国。大学院生の将来は教授次第。とても大学院生が自分のアイデアを膨らませるために教授を選ぶなどという組織にはなっていません。

たまに「物わかりの良い教授」もいます。しかしこういう方も要注意。よくよく観察が必要です。

大学の研究室組織に対する何らかの対策がなされない限り、研究不正も無くならないことでしょう。


隠された本質

2017-04-12 07:39:37 | 日記

人間の心性を見通すことはなかなか難しいことです。長い間「このような方」と思っていた方の別の面が見えたとき、ぞっとすることがあります。表面的なあり方は狡智に長けた方の場合、かなり粉飾されています。

それを見通すことができるかどうか、は死活問題。私は社会にはこんなにも恐ろしい人間がいるんだ、という実例を観てきました。今も観察中です。

結構な割合でいるようですから、気をつけないといけません。

それを見抜くにはどうすればいいのか。頭を打たないと分からない、というのも情けないことですが、人を信じようとするのもまた人の世。「誰も信用しない」というのも殺伐とするものです。羹に懲りて膾を吹く、ということになりかねません。

そういうときに「何となく」というのは重要な要因かも、と今は思います。何か引っかかる。という感覚。これを大事にしようと思います。

ある人物が魅力的に見えれば見えるほど、要注意です。悪魔は魅力的です。


新しいこと

2017-04-09 09:35:32 | 日記

私という存在はもちろん現在の環境の中で育てられ、ここまで来ました。しかしこの現在の環境が全て良いものであると肯定して生きてきたわけではありません。私は確かにある意味ある力に保護されていた部分もあるのですが、その保護の実体とは障壁でもあったのです。

長い間それをどのように乗り越えるのか、が課題であったわけです。ある力があまり強大ではなかったのを嘆いた時期もあります。しかし、今思うにそれは障壁が破壊するのに強固過ぎない、というよい点もあったのです。

今、私自身の中のambivalenceを明確に意識し、解決しようとしています。その詳細について今は様々な差し障りがあるので書けませんが、コンセプトについては少し書いておきたいと思います。

「保護と障壁」とはある程度普遍的な問題であると思うからです。

あらゆる領域には「域」である限り境界があります。領域ができる、とはどういうことなのでしょうか?やはりそれは権力(=支配)ということでしょう。支配は保護でもあります。とても分かりやすいのがいわゆる某組織がある地域の飲食店から「みかじめ料」を得る。というような絵でしょうか。このとても簡単な構図の相似形は社会のあらゆる場面に存在しています。

なくせばいい、などという乱暴な議論はこの世の現状には則しません。しかし、これをどうにかして行かないとならない場合もあります。それが存在してはならないところにあることが、世の中にはあるのです。今回、私が壊そうと思っているのはその類いの障壁です。なかなか私にとっては高度なことで間合いや距離をはかりつつ、挑戦しています。

これ、私の一番苦手なことです。そしてこの課題は今までにも何度も何度も目の前に立ちはだかりました。その度にその領域から単に夜逃げして凌いできたものです。

今回は流石にそれじゃあつまらない、ということで挑戦を決意しました。決意したあとで気づいたことですが、どうやら今回のために私は「何となく」布石を打ち、土壌を改良していました。そのときにはその作業に没頭していたのでそれが何につながって行くのか、はっきりと意識していたわけではありません。面白い展開だな、と思っています。


少し違うこと

2017-04-08 12:20:59 | 日記

長く生きていると、自分の思考パターンや行動パターンが大体わかります。同じような失敗を繰り返すのはそういうことです。この4〜5年はそういう自分を変えようと決心していて、いつもだったらこうする、というところ、違ったアプローチを試みています。

少しは進化したい。成長したいと思いますので。

開拓する。という気持ちも重要な要件。目の前にある物事だけではなく、全く違ったところからのヒントをつかみ取る訓練、ともいえます。動いて行くと見えてくるものもあることが最近とくによくあります。目の前のカードにうんざりしていると、ふと眼の端に別のカードが浮かんでいたりします。あまりにも目の前のカードに拘り過ぎているとそのカードに気づきません。

ちょっと引いてちゃらんぽらん気味にやっていると「あれ?」という感じです。

いろいろ新しいことを試しながらやって行くのは面白いですね。生きている実感があります。もの凄く違うこと、ではなくて、少し違うこと。するとその道の先には大分違ったことが待っています。今までに経験したことの無い展開があって、忙しくはなりますが、ワクワク感があります。

同じことの繰り返しだと眠ってしまいます。