約3年前私はどうにかして故人のご供養をしたいものだ、と思っていました。身近な故人を思い出すことも多かったのですが、その度にどうすることもできず溜め息をついて過ごしていました。今は供養場所もありますし、心置きなくお世話になった故人、気になる故人の方々に感謝をしながらお線香を上げることができます。それだけでも、胸のつかえがとれた感じがします。
かつての私は、どのような既存の宗教にも「帰依」することができず、かといって無神論ではなく、どのようにその気持ちを持っていったらよいのかが不明である。そんな状況は大変中途半端であり、ひとたび尊崇する対象を見出すと一心にそちらに向かってしまいかねない危険な状態でした。
さらに私にとって、厄介なことがありました。ある種のプロパガンダのようなものでしょうか。
曰く、「自分を主張しなくてはいけない。売り込まなくてはいけない。」「欧米では・・・」
これも幼稚な思い込みの一種ですが、普遍的な価値=欧米というものがあったと思います。日本を認めていなかったというより、知らないことが多すぎたということでしょうか。
南方熊楠さんの書簡集を相変わらずぼちぼち読んでいるのですが、その中で彼は19世紀末頃日本に入ってきて、さかんになりつつあった比較宗教学なるものに対する批判をしています。もっぱら、欧米人が文献学的に仏教、ヒンズー教、道教などを研究し始めたものが最新の学問として流入していたのだと思います。とくにキリスト教神学の影響から文献学が盛んで、仏教教典などもその内容よりもいつ頃書かれたか、誰によって書かれたか、が研究されたようです。そして、大乗仏教教典は釈迦の書いたものではなく、従って仏教ではない、という原典偏重主義のおおもとを築くことになりました。この「大乗非仏教説」に南方熊楠は大変憤り、本質を理解しない、全くの暴論であると論理を尽くした批判を土宜法竜氏に書き送っています。
彼にはのちのちすべて欧米をお手本とし、自分を破壊せんとして苦悩する未来の日本人が見えていたのかもしれません。そして、残念ながらその通りになってしまいました。私も若いときからそのような風潮を感じていましたし、嫌だなとも思っていました。しかし、案に相違して全てが欧米を規範とする自然科学の道に入ってしまったのでした。いや、もしかしたら深層心理的にわざとそのような選択をしたのかも知れません。自然科学を東洋的に乗っ取ってしまうために。