きのうはTABOに熊日からJT大会の写真と棋譜、EMIには天童から選抜女子の要綱が郵送されてきた。それぞれ眺めて時間があっと言う間に経ち、道場に出かけたのが5時。木曜と金曜は6時限なので放課後が短い。団体戦の大阪行きにYOUも連れていこうと思い立ち、あれこれホテルや交通手段を検索しているうちに私も夜11時になってしまった。今から飛行機を取るのは高い。どうしよう。この機会に大学も見せたいのだが。
話が出たのが7月6日で、締切が25日。改めて要綱を見ると、健康診断書、学業証明証、履歴書、申し込み書が必要。何も考えてこなかったので、当然何も準備ができていない。すぐ学校に電話して書類のお願いをした。履歴書はナガヤマに売っていた。10日の夜、TABOが生まれて初めて履歴書を書いた。書くところが少ない。学歴のところはたった2行。小学校に入学と在学中、だけなんだから。趣味のところで得意なスポーツはキックベース。志願理由はあれこれ考えて自分で書いていた。その文章を見て胸を衝かれる思いがした。「大好きな将棋を一生を共にいたいから」
とにかくすぐ三股道場の先生に連絡して相談した。なにより私が一番動揺していた。とにかく受けるのは早くても来年以降、できれば私の手を離れてからでもいいと思っていたからだ。夫も、将来を決めるのはもっとTABOがいろいろな経験をして、考えて、それからでいいのではないか、と言う。そうだよ、私自身が小5のとき将来の何を考えられただろうか。それでも、結局はTABOの「ぼく、受けたい」この一言で決まったのだった。TABOがどんな気持ちで将棋をしてきたか、私と夫が一番よくわかっている。客観的に見て、今回受かるとはとても思えない。しかしTABOは強い決意で挑戦しようとしている。夫はTABOを呼んでひざの上に乗せて、今私と夫が考えていることを正直に話した。「気持ちはよくわかっている。でも今この時期に大人の社会に入っていくのは早いと思うし、ためらいの方が大きいんだよ」と。「でも・・」と夫は言った。「でも受けたいんでしょう? 受けるんだよね?」TABOは「受けたい」と言った。「もし途中でつらいことがあったら、すぐにおとうさんやおかあさんに言ってね。必ず助けるから。がんばって挑戦しておいで」と夫。TABOはしばらく夫の首に手を回して、胸に小さな顔を埋めていた。
家に帰り、森先生にEMIとTABOの大会報告のメールを書いた。そういえば、と思い出して星子先生から言われたことも少し書いた。星子先生が奨励会員だったころ、森先生にラーメンを食べに連れていってもらった話を思い出したからだ。もう何年もふたりは会われていないのだろう、と思った。7月7日月曜日、朝PCを開いたら森先生からメールが届いていた。それはTABOにとってどんなにかうれしいメールだったろう。とにかくメールを読み、ひとことだけ言ったのだ。「ぼく、受けたい」と。
倉敷の代表がとれなくて、TABOは大会会場から席をはずしていた。星子先生と、TABOの将棋は切った張っただからね、という話になり、その流れで奨励会の話になった。今思えば星子先生は、プロに行きたいなら早くからプロの水に慣れた方がいい、と事あるごとに言われていた。「やはり今年受けた方がいいのでは?」と星子先生。気付かなかったがそれはTABOのことでもあったらしい。「いや、今年は受ける予定はありません」と私。でも倉敷に行くかわりに1回楽しいことがあってもいいかなあ、といつになく少し気持ちが動いた。TABOが部屋の外で沈んでいたので、「切った張ったなんだって」と言うと「どういう意味?」とTABO。そういえば私もよくわからないので、星子先生のところに行き説明してもらった。奨励会の話も出た。宮崎の奨励会のふたりも大会の運営手伝いに来ていて、「早い方がいいよ」と勧めてくれた。TABOはしかし「五段を取ったら師匠に弟子入りのお願いに行く約束だから、今年はだめ~~、受けない~~」と言ってその気にならなかった。