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パリの無差別テロに対する雑感

30年程前、1980年代後半の話。

当時僕は北関東の国立大学と関東の公立大学を受験した。受験のときはなにも無かったが、国立大学の合格発表を見に行ったときは雰囲気が異常であった。
マスクとヘルメットを被った若人が杖を持ってコールをしていた。「革マル」か「中核」かは当時知る由もなかったが、いでたちが異常なのに違和感を感じた。

結局公立大学に行ったのだが、そこでは「民青」がいた。彼らは過激派ではなかったけれど、いろいろとおかしかった。
当時過激派は内ゲバや公安・警察の介入で、衰退傾向にあったと思った。その当時テロは日常であった(小競り合い程度だったが)。当然「無差別テロ」は無かった。

20年くらい前まで早大の学際は人気が高く、入場料が必要だった。学際実行委員会は過激派で、学際は彼らの収入源であった。それが当時潰された。

20年前は大昔であろう、その大昔には過激派がテロを繰り返していた。そして20年前に大規模無差別テロの「地下鉄サリン事件」が起こった。
ダッカ事件は約40年前である。 

日本はこの20年が特別に平和だったと言える。大規模無差別テロは1件しかなかったが、それ以前はテロだらけだった。

 

このことを知っている40代以上の世代が、冷たい反応を示すのは理解できる。放送局・新聞で過激に扱えば「かつて日本はそうだった」と向き合わざるをえず(向き合えばいいと思うが)、ジャーナリズムがどう扱うか戸惑うのは理解できる。

日本では暴力団体や過激派の抗争が昔からあって、いわゆるテロは割りと日常であった。その被害が一般市民に及ぶと初めて「反テロキャンペーン」が起こる程度。
暴力団や過激派の抗争は黙認されていたと言うと怒られるであろうか。

結論は無い。雑感である。 

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