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経済学と科学と工学

どうも環境問題は難しい。容リ法はゴミ処理方法を対象にした法律に対して、京都議定書は温暖化を意識したものだ。両者はひとくくりにすれば環境なのであろうが精神は全く違う。

温暖化議論はIPCCの報告書でひとまず人為的な影響で温暖化が進むということで決着したように見える。これは科学的事実ということにしよう。温暖化を止めるには温暖化ガスの排出を極力なくす以外なく、そのためには化石燃料を使用する限り理論的には「温暖化先送り」という結論が導き出せる。

しかし経済学者は「温暖化ガス排出規制を行ってもそれは費用効果として見合わないではないかというグループが居る。ロンボルグ氏一派である。池田氏はその急先鋒であるが「経済的に無駄である、その余った金を途上国の発展に遣えばいい」という意見だ。

それに対して、科学者安井氏久野氏(官僚出身なので科学者ではないかも)は池田氏の脇の甘さ(本心?)を突き、「科学を否定している」と筋の違う反論をしている。池田氏の主張のキモは「経済的に割が合うか」であり、科学的事実とは無関係だ。池田氏はIPCCの科学的主張に対して眉唾らしいがそれを受け入れた上で論じているので整合性に矛盾はない。

私事ではあるが工学部機械工学科出身で大学に入ったとき先生から「いかに安く物を作るかが工学部の本質」だと教わった。実際、現在企業の研究所で働き、開発をやっているが、コストと機能と品質と納期が重要課題で特にコストだ。その工学部出身としては池田氏の意見は「なるほどな」と思えるのであるが科学屋には通じないらしい(というか判っていて反論していると思うけど)。

しかし、IPCCレポートは以前のエントリーで触れたように、政策的な部分がかなり色濃い。それに対して科学者は無視、経済学者は「政策的過ぎる」と批判的な模様。

以前にも触れたように、IPCCレポートは「発展途上国がどのような発展をとげるか」によるシナリオを用意してあって、途上国が発展しないと最悪のシナリオになるよって言っている。そう、ロンボルグ派の言い分を認めているのである。限りある資源・金を何に使うのかが政治であれば極めて示唆的である。

前回のエントリーではIPCCとロンボルグ派は矛盾しないと論じたが、科学者も工学的見地で物を考えたらどうであろうか。

地球の環境が変わっても人類にとって対策を打てればそれで良いのではないかという極端な意見もある。氷河やペンギンやサバンナ(自然の多様性)が途上国の人々の命よりも重いとか、石油はもう一切使わせないとは聞かない、科学者はそこを逃げているので尊い意見のように聞こえるが空虚に見える。

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