さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

岡豊城(おこうじょう)

2018-09-25 23:31:34 | 続日本100名城巡り
さて、なかなか書けない、先月の高知の話題より。

高知城が関ケ原以降に土佐に入ってきた山内家の城ならば、もとの支配者である長宗我部氏の城が岡豊城だ。現地で乗ったタクシーの運転手さんによると、地元では長宗我部氏の方が圧倒的に人気があるそうな。山内一豊は、相撲大会を開くと偽って長宗我部シンパの者を集め、虐殺した人物。妻がいくら賢妻でもそのようなことをしては、歴史に汚点を残すねぇ。武士階級内差別で虐げられた人々の中から志士が輩出され、明治維新への原動力となったわけであるが。

さて、山内家の高知城は日本100名城になっているが、長宗我部氏の岡豊城は趾しか残っていない。それでも続日本100名城にランクインされている。続日本100名城のスタンプラリーは今年始まったばかり。



私も早速ガイドブック兼スタンプ帳を買い込んだが、記念すべき初めてのスタンプがこの岡豊城だ。


わ~お!


現地からも熱いムードが漂ってくる。ただ、高知で泊まったホテルの人に行き方を聞いたところ「趾しか残っていませんが大丈夫でしょうか?」と聞かれた時は寂しかったな。続日本百名城は、日本百名城の近くにあることもあり、一緒に回った方が効率的だ。スタンプラリー開始に伴って、ここを訪れる人が増えるといいなぁ。


さて、ここから登っていくのだが、


最初から猛烈に傾斜が急である。


さすが南北朝時代初期頃の築城だ。この時代は山城が中心だからなぁ。蜂や蛇に出くわしませんように。


古式ゆかしき、建物趾(詰下段)。


中心となる「詰」には、櫓が復元されていた。


二階建て以上の建物であったこと以外はあまり詳細が分かっておらず、この櫓も来年2月には取り壊されてしまう。それは正解かもしれないね。仮に作ったものがイメージとして定着してしまう前に壊すということか。


もとも見晴らしの良い丘であるが、櫓の上から見ると、さらに素晴らしい光景が眼下に広がっている。


前を走る国分川は天然の堀の役目を果たす。すばらしい景色に見とれていたいところだが、黒い蜂が2匹ぶんぶんとうるさいので、早々に退散した。


二の段あたりからまた景色を望むと、


こんな景色を見たら、誰にでも、セザンヌのような絵心が生まれるかも。


ということで、さまざまにイマジネーションを駆使しつつ、岡豊城跡ウォーキングを楽しんだ。
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