年末は何かと歌を歌う機会も増えるというものだ。年を重ねれば、忘れたくなることも多くなるもので、そのような時には、大声を張り上げて、周りの迷惑も顧みず、歌いまくってしまう者の勝ちである。さて、歌というものは、作曲者と作詞家と歌手によって作り上げられるものだ。大方の人は、その中でも歌手の立場を一番下に見ているかもしれない。しかし、違うのである。我々は素養が無いので、編曲までは立ち入ることは出来ないが、歌手によっては、それによって、他人の曲を自分のものにして、それ以上に仕上げてしまうものもある。一番有名なのは吉田拓郎が作曲した「襟裳岬」である。それを森進一が歌って、自分のものにした。嘘か本当かは知らないが、吉田拓郎が森進一の歌う「襟裳岬」を聞いて、涙したという話が伝わっている。最近、絢香の歌うスピッツの「ロビンソン」や中島みゆきの「空と君の間に」などを聞くと本家本元の歌うものにはついていけなかった同じ曲が、スーと自分の中に入り込んでくるような心地よさを味わう。個人的な趣味で申し上げれば、福山雅治の「桜坂」よりも、柴崎コウの「桜坂」の方が好きだ。なぜ、このような話をするかと言えば、パクリが悪だと言う人がいる。だが、パクリもそれなりの手続きを踏んで、より以上のものを作るのなら、大きな貢献を人類に果たすのではないかと思ったからである。(2016.12.25)