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裁判員制度と日本社会の荒廃

2010-11-21 10:15:36 | FP
11月16日横浜地裁で、死刑の判決が出された。これは裁判員制度が実施されて、初めてのケースとなる。この被告は死刑が言い渡されても仕方がないような犯罪を犯しているのだが、それでも、それでよいのか思う。そもそも裁判員制度は司法にもアメリカの制度を導入しようとするもので、私個人としては、日本には馴染まない制度のような気がする。少なくとも量刑までも素人の人間が決めてよいのかと思う。さらに死刑という判決で、人間のかけがえの無い命まで奪ったという記憶を残してよいものなのだろうか。まして、冤罪といわれるものも多数発生している世の中である。検察の質の低下も著しい時代である。そのトップの法務大臣もおかしな、そして軽い発言をする時代である。情報や証拠さえ、どれが真実か分からない時代なのである。そのような時代にあるにもかかわらず。素人に人の死の判断を委ねようとする。私には分からない。それに対して、この裁判員制度を養護する発言がある。それは司法に携わる人たちの質の問題である。彼らは優秀な成績を残して、大学を卒業し、司法試験に受かり、そのまま、裁判官になる。だから、世の中の荒波や人間関係の情などに疎い。裁判で最も重要な経験を彼らは持たない。だから、素人といわれようが、裁判員がその欠点を補う制度がこの裁判員制度なのだという。そう言えば、学校の先生もそうだ。親の七光りで当選した代議士もそうだ。最も大切な人間の心を持たない人たちがこの日本の社会の中心になってから、この社会はおかしくなってきたように思う。

Y-FP Office Japan
「歴史から学ばない者は豚だ。」というイギリスの著名な経営者の言葉は言いすぎだと思いますが、けれど、歴史学を感じさせないお金持ちは単なる成金であることにも間違いはないでしょう。是非、歴史の好きな皆さん。Y-FP の時代小説もご覧ください。
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