風塵社的業務日誌

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ブタ箱物語(16)

2017年02月10日 | ブタ箱物語
前項では「人間性」などと少々大げさな物言いをしてしまい、いささか反省している。おまえの言う人間性とはなにかと問われれば、「マルクスの疎外論でも読んでくれ」と逃げることにしよう。再々書いているようにこの場で批判的なことを述べるつもりはあまりなく、体験した内容を淡々と記述することを意図しているのだが、酒を飲みながら書いていると時おり腹立たしさに襲われてしまい、ついつい理屈っぽいことを記してしまう。この拙文を読まれている方には、その点をご了承願いたい。
そこで独りぽつねんと房の木のベンチに腰掛けながら広間の光景を眺めていると、23区内のあちこちの警察署からここ東京地方検察庁に集められているようだ。そして、一人、二人と小生のいる房に入れられる方が出てきた。入ってくるみなさん、当然ながらブッチョウ面だ。さらに、数珠繋ぎのご一行の追加も到着される。そして、「品川署何番、何号何席」「湾岸署何番、何号何席」という読み上げが続く。
そこで、Cさんら裁判所に行く人たちはどうしたんだっけな。その日予定されている、東京地検に集めるべき被疑者全員が集まってから、裁判所部隊は地裁に移動になったような記憶がする(いまいちはっきりしないが)。彼らは2列に並べられてから、再び手錠にロープが通され、数珠繋ぎとなって大きなトビラから出ていった。トビラを開ける前に、ドンドンドンと大きな音を打ち鳴らす。銅鑼でも置いてあるのかと思ったら、警官がこぶしでドアを叩いているようだ。よく手が痛くならないなあと感心する。
裁判所でどういう一日を過ごすのかは知らないが、勾留理由開示公判というのが開かれるのだろう。そこで被疑者がどういう理由で勾留されるのかを裁判官が知らせ、場合によっては釈放となることもある(無罪となったという意味ではない)。
ようやくにして、本日の検事調べを受ける全員が房内に収用されることになった。小生の入っている房も定員に達している。人がまったく入っていない房もある。それまでに1時間ほどかかったのだろうか。やることもなくかなりヒマである。コントロールルームのようなところに掲げられている時計を見れば9:00くらいとなった。各房の定員が10名として房が10あるとすれば、100名ほどがこれから調べを受けるということだ。もちろん、検察調べを受けるのはこれだけでなく、拘置所から呼ばれている人もいるのだろうけれど、それは小生の閉ざされた視界には入りようもない。
そして、若い警官が房に近づいて説明を始めた。用便をするものは、見張りの担当者を呼んでくれ。そうすれば片手錠にして用紙を渡す。そして、臭いが房内に立ち込めないよう、排便したらすぐに水で流してほしい。常備薬を飲んでいる人には、昼食時に預っているものを渡すから、そのときに伝えてほしい。そして私語厳禁、云々かんぬん。
次いで、中年の警官が説明を始めた。「きょうは一日中、みなさんにその場で待機してもらうことになります。すでに検察官の取り調べは始まっていますが、みなさんの順番が回ってくるまでかなり待つことになるかもしれません。その間、検察官に伝えたいことを自分のなかでしっかりとまとめておいてください。云々かんぬん」。よく言うぜと、聞きながら鼻白む。「俺様を一日拘束したら、日給いくらすると思ってんだ!」などと貧乏人が偉そうに述べるつもりはないが、その説明には大きな欺瞞があるからだ。つまり、収容者を一日拘束するのは検察と警察の都合であって、我々収容者側の問題ではない。そして、これまでたびたび述べてきたように、収容されるそのこと自体がソフトな拷問であり、日本国憲法第18条違反であるからだ。
しかし、檻のなかの子ブタちゃんがそんな因縁を警官につけてもしょうがない。せっかく格子ぎわに座ることができたのだから、なんでも見てやろう精神を発揮するしかないのだ(小田実を読んだことはほとんどないけれど)。しばらくすると、一人また一人と「荒川署1番」のように番号が呼ばれる。呼ばれた人が検事調べを受けているんだなとようやく理解し、一人当たり何分くらいの時間なのかを計ってみることにした。かなりアバウトな計算になるけれど、一人頭15分以下という感じだろうか。
そしてまた、その取り調べ室に向かう姿が面白い。該当する人物の入っている房に警察官が近づき、「何署何番」とバインダーのメモを見ながら警官が呼び出し、房を開錠する。呼ばれた人が房からのそのそ出ると、腰縄をされてそのロープを呼び出した警官が自分にも巻きつける。そして収容者を前に歩かして、警官があっちに行けと指示を出している。なんだか、二人羽織の超立体ヴァージョンみたいだ。
そういう光景におかしみを覚えていたのもどのくらいなのだろうか。しばらくしたら飽きちゃった。こちとら、なにもすることがないのである。人間とは哀しい生き物で、眠っているとき以外には、思考を止めるということができないのだ。したがって、無念無想の境地に至った坊主が尊敬されることになる。坊主はともかくとして、同房の方々も同じ苛立ちを共有していることだろう。みなさん下を向きながらも、イライラしたものはなんとなく伝わってくる(これはただの主観にすぎない)。そして前にも同じようなことを述べたけれど、こういうときにかぎって、時間の進行が遅いのである。

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