昨年物故した加藤和彦の最後のプロジェクトのひとつである「VITAMIN-Q」は、土屋昌巳(gtr)、小原礼(b)、屋敷豪太(ds)、そして女性ヴォーカルANZAが加わったロック・バンド・プロジェクトだ。ANZAのことは寡聞にしてよく知らないのだが(元々は桜っ子クラブさくら組というアイドルグループ出身でその後シンガーとして自立したという経歴らしい)、このメンツであれば、一昔であればスーパー・バンドと呼ばれていたことだろう。だが、おもしろいのはむしろここに参集した面々が、メインで活躍した時期が60年代から現代までほぼ全域をフォローしているということだろう。60年代フォーク、サディスティック・ミカ・バンド、一風堂、ソウルIIソウル、HEAD PHONES PRESIDENTといったところだが、およそポップやロックと名のつくものなら、なんでも出来てしまいそう面々を集めながら、音楽的なターゲットはもっぱら「60年代後半ロックの再現」に絞っているという足枷がまずおもしろい。この時代のロックに対して、集まったメンバーの思いはいろいろだろうし、それぞれの音楽的スタンスも違うであろう。おそらく、加藤和彦はそのあたり微妙なズレを予め織り込んで、いや計算ずくでこのメンツを集めたのだろうと思う。このアルバムのおもしろさは多分そのあたりにある。
本アルバムは先ほども書いたとおり、基本的には60年代後半のロックだ。ただし、あの時代のサイケデリック・ロックやフォーク・ロックをベースにしつつも、オールディーズ、ビートルズ、ニューロック、日本のGS、歌謡曲、ハードロック、グラムロック、ニューウェイブ、90年代以降のギター・ロックといった音楽的要素が隠し味のように効いて、音数はそれほどでもないが、やけ情報量の多いサウンドとなっている。まさに立ち位置の微妙に異なる大ベテランが集まったからこそ出来上がった音というべきだろう。収録曲は加藤和彦の曲が中心だが、基本フォーク・ロック風な曲に、土屋昌巳のギターがのることで、例えばSMBなどともひと味違うサウンドになっているあたり、このバンドの異種格闘的なおもしろさが出た最たる場面だと思う。それらしても、土屋のギターは相変わらずロックの全ヒストリーをひとりでフォローするヴァーサタイルさを発揮していて、本物なんだが偽物なのかわからないこのバンドの音楽に、いかにもロックなリアリティを与えていて素晴らしい。ちなみに屋敷豪太の提供した2曲は、「ホワイト・アルバム」をパロディったような曲たが、彼は世代的に60年代後半の音楽をリアルタイマーとして経験していないハズだから、完全に現代の視点で「ホワイト・アルバム」の音楽を料理していて(XTCなんかに近い感じ)、これまたおもしろい作りになっている。
本アルバムは先ほども書いたとおり、基本的には60年代後半のロックだ。ただし、あの時代のサイケデリック・ロックやフォーク・ロックをベースにしつつも、オールディーズ、ビートルズ、ニューロック、日本のGS、歌謡曲、ハードロック、グラムロック、ニューウェイブ、90年代以降のギター・ロックといった音楽的要素が隠し味のように効いて、音数はそれほどでもないが、やけ情報量の多いサウンドとなっている。まさに立ち位置の微妙に異なる大ベテランが集まったからこそ出来上がった音というべきだろう。収録曲は加藤和彦の曲が中心だが、基本フォーク・ロック風な曲に、土屋昌巳のギターがのることで、例えばSMBなどともひと味違うサウンドになっているあたり、このバンドの異種格闘的なおもしろさが出た最たる場面だと思う。それらしても、土屋のギターは相変わらずロックの全ヒストリーをひとりでフォローするヴァーサタイルさを発揮していて、本物なんだが偽物なのかわからないこのバンドの音楽に、いかにもロックなリアリティを与えていて素晴らしい。ちなみに屋敷豪太の提供した2曲は、「ホワイト・アルバム」をパロディったような曲たが、彼は世代的に60年代後半の音楽をリアルタイマーとして経験していないハズだから、完全に現代の視点で「ホワイト・アルバム」の音楽を料理していて(XTCなんかに近い感じ)、これまたおもしろい作りになっている。