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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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京極夏彦の「百鬼夜行」シリーズと新ウィーン楽派の音楽

2009年04月10日 23時52分55秒 | Books
 先の日曜くらいからのことだったが、ある方の日記上であれこれコメントしていくうちに、ひょんなことから再読したくなって。ここ2,3日久しぶりに夢中になって読んでしまったのが京極夏彦の「絡新婦の理」という作品。もともとその方の日記では北朝鮮のテポドン(?)が日本の上空に飛来する話題がメインだったのだが、ネットでの会話ではありがちなこととはいえ、こういう話題の飛び方はなかなかおもしろい。時に話を意図的に横道にそらした本人ですら、意図せざる方向に話があれよあれよという間に進んでいったりするのである。今回は、北朝鮮のミサイル発射に何故か理解を示す、某政党の女性党首の話から、フェミニズムの話になり、それが憑き物の話に発展して、そのあたりを包含した新たな話題として、「絡新婦の理」という作品の話が登場したというところかもしれない。こう書いていくとなにやら必然な流れを感じさせるが、実際はそうでもない。適当な偶然である。

 さて、そんなきっかけで再読した「絡新婦の理」だが、めっぽうおもしろかった。舞台となる場所は、馴染みある千葉県の勝浦市、季節は今と同じ桜舞う春ということで、TPOもぴったりだ。三読目だから荒筋だの真犯人だのは覚えているが、ディテールは忘れている部分も多く、通勤時や出張の移動時間、自宅で就寝前などを利用して読んでいたのだが、木場、榎木津、京極堂にせよ、事件の全体のからくりがおぼろげに見えていながら、いやおうなくその事件にの駒として取り込まれていってしまうあたりのプロセスがおもしろいし、三つくらいのストーリー(目潰し魔、勝浦、ミッションスクール)が前半はほとんど交錯することなく進行し、中盤当たりから畳みかけるように収束していく様は、京極らしいストーリー・テーリングに翻弄される楽しさがあった。またサブストーリーとして出てくるフェミズムの問題も女性拡張論者という名で登場人物達に様々な正論を語らせつつ、結局最後でその理論の浅薄さを論破してしまう構造も中々のものだ。

 ちなみにタイトルのことだが、移動中はそういう音楽を聴くこともあまりないのものの、自宅でゆっくりと京極作品を読むときは、そのBGMに新ウィーン楽派の音楽をかけることが多い。特にシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンあたりの無調時代の音楽は、その世紀末的に退廃的なムードと、、ある種の官能や情動と明晰な合理性が奇妙に混濁して共存、つまり無意識な流れを音楽化したような混沌さがあるけれど、京極作品の陰湿で暗く、ドロドロしてはいるが、基本はあくまでも謎解きである作品の特徴にけっこう共通するのではないか?と個人的には思ったりしているので、こんなタイトルになった。深い意味はない。
 ちなみに先ほど、「絡新婦の理」の勢いを借りて、早々と「姑獲鳥の夏 」も再読してみたが(こちらは四読目くらい?)、BGMはもっぱらポリーニが弾く「新ウィーン楽派のピアノ音楽集」であった。
コメント (3)
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