昨日、聴いたエクスプローラーズの音源を全て集めた「THE EXPLORERS / Manzanera & Mackay」だが、懐かしいやら、改めてその高いサウンド・クウォリティに感心するわで、iTunesでリスト化したデビュー・アルバムを本日も移動中にiPodでも聴きまくってきたところだが、ここでかねてやりたかった、きちんとした形で遂に陽の目を見なかった。彼らの2枚目をリストしてみることにした。この2枚組には計28曲、アルバムにすれば3枚分のマテリアルが収録されているから、そこからベスト選曲で10曲程度を選んで、仮想的に自分がプロデューサーにでもなった気分で、セカンド・アルバムを作ってしおうということである(これまでに出た数枚のCDは、ダブりもあったことだし、どうも選曲的な納得できないのだ)。
THE EXPLORERS / Manzanera & Mackay(全文)
FOCUS_7 - New Skin (2006) 「フォーカス9/ニュー・スキン」には珍しく、「FOCUS_7」と「FOCUS_9」というナンバリング・シリーズが2曲収録されている。前述の通り、再結成フォーカスのアルバム「フォーカス8」には、そのタイトルと整合性がとるかのように「FOCUS_8」が収録されていたので、結果的に7番が完全な欠番になってしまうことから、アルバム「フォーカス9」に「FOCUS_9」と共にこの「FOCUS_7」も収録されたのだろう。 曲の方は、なにやら「FOCUS_3」を思わせるマイナー調に始まり、ギターを大きくフィーチャーしつつ進んでいく、ナンバリング作品では久々の短調といったところだが、どちらかといえば、かつての「ストラスブルグの聖堂」とか「ブラザー」といったバロック路線に近い作品のような気がしないでもない。あと、全くの推測だが、この番号からすると、本作品はタイスとヤン・アッカーマンの組み、事実上のフォーカス再結成プロジェクトとなったアルバム「青き旅路」のための作品だった....という可能性もある。
Focus_5 -Ship of Memories (1977) 「ハンバーガー・コンチェルト」に先立つ、1973年のレコーディング・セッション(デモのようなものだったと思われる)で収録された作品。従って、順序からいえば「Focus_4」となるのは、当然この作品のはずだったのだが、結局「ハンバーガー・コンチェルト」にこの「Focus_4」が収録されなかったため、同曲は数年を経て、フォーカスの落ち穂拾い的アルバム「美の魔術」で、「Focus_5」として公開されることになる。
数日前にツイッターでのやりとりで、フォーカスのナンバリング・シリーズで欠番の話が出た。欠番というのは実は「Focus 6」のことで、先日、タイスのソロ・アルバムを取り上げたのは、実はそれがきっかけになっていた。更にそれがきっかけになって、いつかはやってみたいと長年思っていたことをやってみた。このナンバリング・シリーズを順番に聴いていくというものである。以前だと、1曲毎にディスクをとっかえひっかえしなくてはならず、面倒くさくてやる気にならなかったのだか、今はiTunesでリストをつくれば簡単にできる。思い立ったので先ほどリスト化して、さっそく聴いているところだ。そんな訳で、何回かに分けて、フォーカス・ナンバリング・シリーズを曲毎にレビューしてみたい。今回は「フォーカス」から「フォーカス3」までの3曲である。
タイス・ファン・レアーのセミ・クラシック・シリーズの1作である。彼のこのシリーズを当初「Introspection」シリーズとして都合パート4まで続け、本作はその後を受けて1981年に発表された作品のようだ。私は「Introspection」シリーズすら全て聴いている訳ではないが、かのシリーズが全体としては「ポール・モーリアより大分高級だが、さりとてクラシックといえるほどシリアスでもない音楽」だったのに比べると、 本作ではロジェ・ファン・オッテルロー(タイスの音楽の師匠で「Introspection」の編曲を担当)が居ないせいか、本作はいささかベタなヨーロッパ調イージー・リスニングに流れてしまってしまった印象が強い。BGMとして聴くならいいけれど、フォーカスのタイスの作品として聴くには、ちと不満を感じてしまう仕上がりだ。
アレアはご存じの通りディメトリオ・ストラトスというある種超人的といいたいようなボーカリストを擁して、彼のエジプトで生まれたギリシャ人というルーツから生まれたと思われる、地中海や中近東音楽音楽をベースにした特異なヴィブラート・ボイスに、ジャズをロックを自由に行き交うヴァーサタイルなインストをスパークさせた、破天荒なダイナミズムを獲得した音楽だった。彼らはこうしたスタイルでアルバムを数枚ほど残し、多分その最盛期のまっただ中で、リーダーのディメトリオがなんと白血病で亡くなってしまうのだ。このバンドに対するダメージの壊滅度はほぼ最大級であったろう。ほとんどビートルズからレノン&マッカートニーがいなくなってしまったようなものである。しかし、メンバーはこの悲劇にひるむことなく(実際はひるみまくっただろうが-笑)、このアルバムを作り、それが意外にも傑作となったのだ。
アメリカのシンセサイザー奏者ラリー・ファーストによるひとり多重シンセ・オーケストラ、シナジーの第2作である。前作の「10番街の殺人」については、かなり酷評気味に書いてしまった私であるが、この第2作は中々良い出来だと思う。多少、手前勝手な言い方になると思うが、本作がかくも素晴らしき仕上がりとなったのは、やはり前作と本作の間に、彼が関わったネクターの大傑作「リサイクルド」の存在が大きいのではないかと思う。疑似管弦楽というシミュレーション作業にやや手足を絡め取られてしまった感のある前作に比べ、本作ではシンセサイザーのスペイシーな音色、いささか下世話なドラマチックさや仕掛けをもっと自由に駆使して、よりダイナミックな音楽に仕立てているのだが、そこにどうしても「リサイクルド」の音楽が見え隠れしてしまうのだ。実際、ここで展開される音楽を聴いていると、まるで「リサイクルド」の音楽から、ネクターの演奏したパートだけをカットしたような音楽に聴こえる....ところすらあるくらいなのだ。
先日とりあげた「The Dancer」と一緒に購入したもの。ただし、こちらは昔の作品ではなくて2003年に収録された比較的近年の作品である。ゲイリー・ボイルは「The Dancer」の後、数枚のソロを出していたことは知っていたが、それから後は全く消息を聞かなくなってしまっていた。小さなジャズ・クラブに出たり、マイナー・レーベルでソロ・アルバムが出ていた可能性もあるが、本作の内ジャケを見ると「25年振り云々かんぬん」というフレーズが出ていたりするが、実態としてはほとんど引退状態だったのだろう。 さて、その久方ぶりのソロ・アルバムであるが、2曲だけピアノが参加しているものの、基本的には極めてオーソドックスなギター・トリオで録音されていて、メンツはウッド・ベースにRiaau Volso、ドラムスにPatrick Illingworth、ゲストのピアノがZoe Rahamanという布陣となっている。私にとっては全く無名な布陣であるが、名前からするとイギリスのインド系ジャズ・ミュージシャン達なのかもしれない。
本作は「レディエーション」の翌年(99年)に発表された20世紀最後のマリリオン作品だ。 ほとんど初めて聴くのと同様な作品ではあるのだが、1曲目の「A Legacy」の暗いトーンのボーカルによる開幕に続いて、ギターやコーラスが中心となった重厚なマリリオン・サウンドが始まる時点で、「あぁ、相変わらずだな」と、聴いていてほとんど安心感のようものすら感じてしまうから不思議だ。「基本的にいつも同じ」とか「相変わらず」とは書いたが、前々作の「This Strange Engine」がフォーク・ロック、前作がギター・ロックと味付けはいろいろと変えていて、今回はその意味では多少都会的でポップな趣きが多少強く、その意味で「Afraid Of Sunlight」の感触に近いものを感じたりもする。
本作を何度か聴いての感想だが、制作年度はとんでもなく離れているものの、実質的な再結成フロイドの後継作となった「オン・アン・アイランド」に比べれば、より「素のギルモア」が出ている作品といえる。音楽は基本的にギター、ベース、ドラムスのトリオで収録されていて、そこにギルモア自身が弾いた思われる最小限のキーボード(これがリック・ライトにそっくり)がダビングされているといった体裁である。それまでのギルモアらしさともいえるスペイシーなギターといった建前より、むしろギルモアのルーツとおぼしきブルース・ロック的な音楽性が表に出ていて、エッジの切り立ったハードなサウンドにブルースを基本とするアーシーな感覚がブレンドされて全面に出ている....といったあたりが特徴だと思う。
数年前に発表されたハットフィールド&ノースの未発表音源集である。ピップ・パイル自身の編集により、BBCの音源を中心に、ライブやデモなども取り混ぜ、CD2枚に分けて発売されたものだが、長年のファンならまさに待望のといった感じのアルバムであろう。購入してずいぶん経ってしまったが、ここ数日ようやっと聴いているところなので、今回はこのアルバムを取り上げてみたい。こういうアルバムはトータルな印象を語るより、どんな曲が、どんな風に、演奏されているかがポイントだと思うので、各収録曲について少しづつメモっていくことにしたい。なお、タイトルは例のおふざけ感覚なのか、ほとんどがオリジナルから変更されている。
HATFIELD AND THE NORTH / Archive Recordings 1973-1975 vol.1 "Hatwise Choice" [その1]
HATFIELD AND THE NORTH / Archive Recordings 1973-1975 vol.1 "Hatwise Choice" [その2]
83年に出た「ファイナル・カット」を最後にフロイドを解散させたロジャー・ウォーターズが、その一年後に出した実質的なソロ第1作である。ロック・オペラ、あるいはコンセプト・アルバム的な音楽フロイドでやり尽くしたから、ソロではもっとリラックスしたものでもやるんだろう....と思っていたら、堂々のコンセプト・アルバム出してきた....というのは、いかにウォーターズらしい、と、当時は感じたものだが(笑)、なんでも本作はフロイド時代に「ウォール」と共にこのアイデアをメンバーに提示したところ、あっさりと却下されたアイデアを元にしているのだそうだ。やはり、ウォーターズとしては「やり尽くしてなどいない」というところだったのだろう。
http://blogout.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/roger-waters-th.html
マイケル・ジャイルズのタイコが好きだ。ところが、彼の最盛期のドラミングが聴ける作品は意外と少ない。「クリムゾン・キングの宮殿」を筆頭に、「マクドナルド&ジャイルズ」と「ポセイドンのめざめ」がピック3といったところだろう。もちろん、M&G以降もロパート・ハイン、ジョン・G・ペリー、あとレオ・セイヤーなどの作品などに、彼の名前はみかけたが(近年、当時お蔵入りなったソロ・アルバムなども出たりした)、クリムゾンやM&Gのようなドラミングを期待して聴いてみても、どれも前記3作のようなドラミング全くといっていいほど披露せず、もっぱらセッション・ミュージシャン的な手堅いドラムで律儀にリズムをキープしているだけだった。一体、ジャイルズにとって、「宮殿やM&Gでのドラミングはなんだったんだ?」と思わざるを得なかったが、そのマイケル・ジャイルズが、奇しくも「宮殿」から10年後に、あの時のドラミングを思い出したように披露したことがあった。それが本作、アンソニー・フィリップスの「サイズ」である。
http://blogout.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/anthony-phillip.html
これも今頃になって聴いたピーター・バーデンス関連作品。ご存じの通りこのキーツは一応ピーター・バーデンスがリーダー格にはなっているが、英国の比較的知名度の高いメンツを集めた上で、全体はアラン・パーソンズに仕切らせて上で制作された、アリス・レーベルの一種の「戦略商品」であった。おそらくこれを発表した時期に一斉を風靡していたエイジアの成功が念頭にあったのだろう。集められたメンバーはバーデンスの他、ゾンビーズのコリン・ブランストーンがヴォーカル、パイロットからイアン・ベアンソンのギターとディヴィッド・ペイトンのベース、、英国のセッションドラマーとしては最高の安定度を誇ったスチュワート・エリオットという、地味ながら中々のメンツを揃えている。