市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

視察二日目 宮城県名取市

2012-03-29 | お知らせ
ホテル松島大歓荘で一泊した翌朝は、気持ちのよい晴れ間が広がっていました。

さっそく、二日目のガイドをお願いする木島さん・中山さんのお二人とロビーで落ち合い、バスに乗車。
宮城県で最も被害の大きかった地区の一つである、名取市閖上地区へと向かいました。

ガイドの中山さん、実は私の高校時代の同級生。
現在、仙台市内で人財育成事業やコンサルタントなどを手掛ける会社の代表を務めています。
被災後、東北の企業仲間とともに、「ワンステップ東北」という団体を立ち上げ、経済支援活動を続けています。
昨年8月に市川市のニッケコルトンプラザにテナントを出した時は、私も応援に駆け付けました。

その時の様子を書いたブログは、こちらです。 
http://blog.goo.ne.jp/wa-tika-ro/e/a9ace4298c0d58a01f5e2e35c2e46065

ガイド中の中山さん


そして、中山さんが今回紹介してくださったもうお一方のガイドがこちら、木島さんです。

木島さんはこの日、被災当日と全く同じ服装でいらして下さいました。
こんなところからも、木島さんの想いが伝わってきます。

木島さんは元ホテルマン、現在はマナー講師として活躍されています。
閖上にお住まいだった彼のご自宅は、津波で跡形もなく消え去ってしまいました。
お子さんを連れ命からがら逃げて、ご家族とも幸い無事でしたが、ご親戚やお知り合いなど、周りのたくさんの命が津波とともにさらわれてしまいました。
生々しい記憶が残る現場を前に、当時の状況を語るお気持ちは如何ばかりだったでしょうか。


閖上地区。住宅密集地でした。見事に山も丘もない平地です。
こんなところに巨大な波が押し寄せたのですから、ひとたまりもありません。
約5000名の人口のうち、900名の方々が命を落とされました。











ぽつんと残されているのはお寺です。このすぐ近くに、木島さんのお宅はありました。


唯一残る丘、日和山の前で。

津波はこの丘の上をも容赦なく襲い、ここに逃げてきた人々を簡単に飲み込んでしまいました。

日和山の頂上から


木島さんからは、3.11当日や避難所での生々しいお話をたくさん伺うことができました。

防災無線は回線が遮断され、ほとんど用をなさなかったそうです。
避難所生活一日目はとにかく寒く、プチプチのシートやカーテンを身体に巻いてしのぎ、
二日目にやっとバナナ一本とペットボトルが渡され、
六日目から炊き出し部隊が駆け付け、ようやく温かい汁物が頂けるようになりました。
パンやおにぎりなどは手に入りやすかったのですが、届かなかったのは野菜類。
野菜が食べたくて仕方なかったそうです。

日ごろの避難訓練は、今思えば全く的外れで、近所の広場に集まる程度のものでした。
実際に、今回その避難場所に逃げてきた人々は、ほとんど犠牲になってしまいました。

こちらは、閖上地区から8~9キロほど離れたところにある仮設住宅です。
場所によって住み心地に随分と差があるのだそうです。






私たちが次に向かったのは名取市役所。
今回の震災では、市原市災害ボランティアネットワークの皆さんがいち早く現地に入り、継続的な活動を行ってきました。
また、市原市職員10名が名取市へ派遣され、罹災証明書発行などの役所業務の支援を行っています。

年度末の忙しいこの時期、30名を超す人数で押しかけたにも関わらず、太田副市長が一時間お時間を取ってくださり、直接お話を伺うことができました。

名取市では現在5700名が仮設住宅や民間のアパートでの仮暮らしをしています。
市内の28%にあたる97平方キロメートルが浸水、1400ヘクタールが冠水で作付け不可能となってしまいました。
震災がれきは63万6千トン。分別はほぼ終わり、リサイクルできるものはなるべくリサイクルし、最終処分は業者が行うことになっているとのこと。広域処理については、運賃コストなどを考えればなるべく近県にお願いしたい、あるいは県内で分かち合おうという案も出ているのだそうです。

大変だったことは、食料の確保、行方不明者の捜索活動、ガソリンの確保。

「防災計画のマニュアルが、ほとんど役に立たなかった。想定外の出来事にその場その場で対応するのが精いっぱいだった」

「お金よりも物よりも、とにかく人。人の手が欲しかった」

現在は土木・建築の専門職員が足らず、全国市町村長会で協力を呼びかけているとのことでした。

最後に、心ばかりのカンパをお渡しして名取市役所を後にしました。


その後、
食事処や笹かまぼこのお店なども案内していただくなど、何から何まですっかりお世話になったガイドお二人に別れを告げ、
私たちは宮城県を後にしました。

一泊二日の慌ただしい視察でしたが、実に充実した内容でした。

その証拠に、
帰りのバスでは、みな疲れきって眠ってしまうのが世の旅の常(?)ですが・・・・・さにあらず。



最後の最後まで勉強熱心な、いちはら市民ネットワーク御一行様なのでした(^^)


*****

今回の視察実現ににご尽力いただき、レクチャーも引き受けて下さった白尾さん、
ガイドをしてくださった浅海さん、中山さん、木島さん、
まとめ役の井上さん、
レクチャー係の山本さん、
企画手配してくださった事務局の皆さん、
ご協力いただいた参加者の皆さま、

本当にありがとうございました!

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