拘り執着することで良い結果が出ることになってもその分だけ苦労苦悩しています。
だけども…その拘り執着し苦労して・此れまでよりもよい結果が出たことを・褒めたたえ美化したがるところがあります。
…その道を究めたが如くに言われるのです…
しかもその道を究めた形を特別に愛用したがる者もいるから…
すなわち拘り執着して極上品を苦労して作りたがる人と・極上品をしっかり見極め評価するために拘り執着して苦労した人が…共にいるから…
それがうまい具合に絡み合ったときに…その道を究めた…として褒め称えることになるのです。
と言うことを裏返せば…道を究めたもの同士が互いを褒め合うと言う形になりますから…何だか互いが苦労した傷をなめ合う関係とか自慰行為に似ていると思いませんか…
まして世間一般では普通で十分なのに…なんで「道を究めるまで」深く拘り執着する必要が…どこにあるのか考え直す必要がありませんか…
大方が…私は凡人ではない~と世間に目立ちたがる欲から始まったのが自惚れ慢心になったと思われます。
ちなみに特別な芸術を見る目がある特別な人が・その特別な芸術品を欲しがるような関係になるのです。
ちなみに特権階級の人が特別で高度な芸術作品を褒め称えそれを高額でもって手にして同じような仲間に自慢したがる形と同じになります。
ちなみに世間一般的な私には何の関係もない別世界の出来事と同じです。
と言うことからして…世間的な私たちが何事かに拘り執着して特別になることも特別を欲しがることも無い・苦労も苦悩もない=普通=がお似合いなのです。
その事を自覚認識し確信となってしっかり生きていくことでそれが幸せに思えることにもなるのです。
ところで内容が変わりますが…
延命装置で生きているが死んだも同然の病人に拘り執着してちょっとでも長生きさせたがっている身内の人がいます。
しかし延命装置だけに病気が改善されて元気になる可能性はゼロです。
然るに死ぬしかない人を死なすわけにはいかないとばかりに拘り執着した結果と思われます。
ちなみに賛否両論がありますが…何やら一度装着した延命装置を生きている内に外せば殺人行為となるようです。
とにかく…ちょっとでもと拘り執着すればその分だけ苦労し苦悩することになるのです。
そして人間の欲からして…ちょっとがちょっとでは済まされなくなるのです。
然るに何事も小から始まり大となって手に負えなくなるのです。
ところがちょっとならちょっとで終わると思っている人が多いようです。
ちなみにそうなる事実が世間に数多くありますが…それはあまり拘り執着しなかったことが幸いしただけなのです。
だから拘り執着しなければ大きな問題になることはありません。
ところが欲が出てくると拘り執着して<欲張る>ことになるのです。
だから小さな欲で終わらせればいいのです。
然るに小さく生きていれば大ごとになりません。
そしていつの間にやら欲張る気にもならなくなります。
何たって心穏やかな精神安定でもって生きていくことが当たり前になっていくからです。
だけども…その拘り執着し苦労して・此れまでよりもよい結果が出たことを・褒めたたえ美化したがるところがあります。
…その道を究めたが如くに言われるのです…
しかもその道を究めた形を特別に愛用したがる者もいるから…
すなわち拘り執着して極上品を苦労して作りたがる人と・極上品をしっかり見極め評価するために拘り執着して苦労した人が…共にいるから…
それがうまい具合に絡み合ったときに…その道を究めた…として褒め称えることになるのです。
と言うことを裏返せば…道を究めたもの同士が互いを褒め合うと言う形になりますから…何だか互いが苦労した傷をなめ合う関係とか自慰行為に似ていると思いませんか…
まして世間一般では普通で十分なのに…なんで「道を究めるまで」深く拘り執着する必要が…どこにあるのか考え直す必要がありませんか…
大方が…私は凡人ではない~と世間に目立ちたがる欲から始まったのが自惚れ慢心になったと思われます。
ちなみに特別な芸術を見る目がある特別な人が・その特別な芸術品を欲しがるような関係になるのです。
ちなみに特権階級の人が特別で高度な芸術作品を褒め称えそれを高額でもって手にして同じような仲間に自慢したがる形と同じになります。
ちなみに世間一般的な私には何の関係もない別世界の出来事と同じです。
と言うことからして…世間的な私たちが何事かに拘り執着して特別になることも特別を欲しがることも無い・苦労も苦悩もない=普通=がお似合いなのです。
その事を自覚認識し確信となってしっかり生きていくことでそれが幸せに思えることにもなるのです。
ところで内容が変わりますが…
延命装置で生きているが死んだも同然の病人に拘り執着してちょっとでも長生きさせたがっている身内の人がいます。
しかし延命装置だけに病気が改善されて元気になる可能性はゼロです。
然るに死ぬしかない人を死なすわけにはいかないとばかりに拘り執着した結果と思われます。
ちなみに賛否両論がありますが…何やら一度装着した延命装置を生きている内に外せば殺人行為となるようです。
とにかく…ちょっとでもと拘り執着すればその分だけ苦労し苦悩することになるのです。
そして人間の欲からして…ちょっとがちょっとでは済まされなくなるのです。
然るに何事も小から始まり大となって手に負えなくなるのです。
ところがちょっとならちょっとで終わると思っている人が多いようです。
ちなみにそうなる事実が世間に数多くありますが…それはあまり拘り執着しなかったことが幸いしただけなのです。
だから拘り執着しなければ大きな問題になることはありません。
ところが欲が出てくると拘り執着して<欲張る>ことになるのです。
だから小さな欲で終わらせればいいのです。
然るに小さく生きていれば大ごとになりません。
そしていつの間にやら欲張る気にもならなくなります。
何たって心穏やかな精神安定でもって生きていくことが当たり前になっていくからです。