孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

ちょっとでもと…拘り執着すれば…そのちょっとがちょっとでは済まされなくなる仕組みがあります。

2020年02月16日 | Weblog
拘り執着することで良い結果が出ることになってもその分だけ苦労苦悩しています。

だけども…その拘り執着し苦労して・此れまでよりもよい結果が出たことを・褒めたたえ美化したがるところがあります。
…その道を究めたが如くに言われるのです…

しかもその道を究めた形を特別に愛用したがる者もいるから…
すなわち拘り執着して極上品を苦労して作りたがる人と・極上品をしっかり見極め評価するために拘り執着して苦労した人が…共にいるから…
それがうまい具合に絡み合ったときに…その道を究めた…として褒め称えることになるのです。

と言うことを裏返せば…道を究めたもの同士が互いを褒め合うと言う形になりますから…何だか互いが苦労した傷をなめ合う関係とか自慰行為に似ていると思いませんか…

まして世間一般では普通で十分なのに…なんで「道を究めるまで」深く拘り執着する必要が…どこにあるのか考え直す必要がありませんか…

大方が…私は凡人ではない~と世間に目立ちたがる欲から始まったのが自惚れ慢心になったと思われます。

ちなみに特別な芸術を見る目がある特別な人が・その特別な芸術品を欲しがるような関係になるのです。

ちなみに特権階級の人が特別で高度な芸術作品を褒め称えそれを高額でもって手にして同じような仲間に自慢したがる形と同じになります。

ちなみに世間一般的な私には何の関係もない別世界の出来事と同じです。

と言うことからして…世間的な私たちが何事かに拘り執着して特別になることも特別を欲しがることも無い・苦労も苦悩もない=普通=がお似合いなのです。

その事を自覚認識し確信となってしっかり生きていくことでそれが幸せに思えることにもなるのです。

ところで内容が変わりますが…
延命装置で生きているが死んだも同然の病人に拘り執着してちょっとでも長生きさせたがっている身内の人がいます。

しかし延命装置だけに病気が改善されて元気になる可能性はゼロです。

然るに死ぬしかない人を死なすわけにはいかないとばかりに拘り執着した結果と思われます。

ちなみに賛否両論がありますが…何やら一度装着した延命装置を生きている内に外せば殺人行為となるようです。

とにかく…ちょっとでもと拘り執着すればその分だけ苦労し苦悩することになるのです。

そして人間の欲からして…ちょっとがちょっとでは済まされなくなるのです。

然るに何事も小から始まり大となって手に負えなくなるのです。

ところがちょっとならちょっとで終わると思っている人が多いようです。

ちなみにそうなる事実が世間に数多くありますが…それはあまり拘り執着しなかったことが幸いしただけなのです。

だから拘り執着しなければ大きな問題になることはありません。

ところが欲が出てくると拘り執着して<欲張る>ことになるのです。

だから小さな欲で終わらせればいいのです。

然るに小さく生きていれば大ごとになりません。

そしていつの間にやら欲張る気にもならなくなります。

何たって心穏やかな精神安定でもって生きていくことが当たり前になっていくからです。

あなたは<人間>やめますか!?

2020年02月16日 | Weblog
この世と言われる・すべてはひとつと言われる宇宙の中に天国とか地獄とか言われる形は絶対にありません。

あるのは人間の中の・いわゆる心(精神体・意識体)と言われる中にあるのです。

だからここは地獄だと思えば地獄になるし、ここは天国だと思えば天国になるのです。

またお葬式をしたから成仏できるとか、地獄に行くところが助かって天国に行くことになるなんてことは絶対にありません。
…嘘も方便からして惑わされているのです…

すべては貴方様の中にある本能や思い意識と言われる精神体意識体の中に記憶されたことやまた過去の経験から(前世・過去性を含め)学んだ諸々の・潜在意識みたいな<貴方様の思い意識>が原因からして…
その思い意識の有様が時折り現実が如くに浮かんで出てきたりまた引っ込んだりしているだけです。
…すべては「貴方様の思い意識」が原因なのです…

だから何か特別な能力からして成すことが出来る術者・いわゆる超能力や念力や霊力や手かざしと言われる類の術者とか催眠術者などの諸々が如何に成しても…

人間が持つ本能や性格個性感性を含めた心意識精神を修正改革することは絶対に無理なのです。

ちなみに記憶を一時的に消したり、また一時的に術者の思い通りに操ることが出来ても、人間が持っている本能や心意識精神を本格的に修正改革するなんて絶対に無理なのです。

然るに貴方様の思い意識や心と言われる諸々を他力でもって本格的に修正改革する(本物にする)ことは絶対に無理なのです。

となれば何事も貴方様の自力と自信の精神力で対応するしか他に道はありません。

またその為に人間として(役割使命として)生まれ出てきたのです。

だから尚更に他力が通用しないのです。

万が一にちょっとでも他力が通用することがあったとしたら…
既に大昔から…極悪非道の人間同士が戦い殺し合うことのない…自由平等調和の平和な人間界になっていたはずです。

ところが無理なことは無理なのに…溺れる者は藁をもつかむが如くの<欲>からして…他力に依存したがる弱い未熟な心精神を持っている人が大勢いるのです。

しかしそれも生きているうちに自力と自信の精神力を身につけるために(前もって・他力に依存したがる弱さが)仕組まれていたのです。

然るに…誰も皆が自力自信の精神力を高めるチャンスが平等に仕組まれているのです…

それを言い換えれば…他力依存から卒業するのが…人間の役割使命にもなっているのです。

それでも尚且つ他力依存から離れ卒業しなければ…人間として生きている価値さえも失われていることになり…結果的に…人間やめますか!?となります。