自分さえ良ければの個人意識が自己中心だけに大方の人が否定的に捉えていますが、この世が矛盾に満ちているだけに…逆は真なりにして…ブログでは個人意識丸出しの素直にして…自分のために…正直に生きることを書いています。
然るに不完全で矛盾偽善を持つ&不満と欲と矛盾に満ちて間違い狂っている人様のことは「どうしようもないから」ほっといておいて・関わらずにして…
個人の自由にして・持ち前の自力と自信の精神力と創意工夫でもって・自分のために生きていくようにと…宇宙・神・愛の仕組みからして前もって仕組まれてのことなのです。
然るに個人意識でもって生きていくのが人間本来・役割使命でもあるのです。
また自分さえ良ければの個人意識を持っているからには…人様の迷惑にならないように心掛けていなければ矛盾した生き様になります。
そこで…人様のことを気にするよりも・自分のことを真剣に考え…
また人様のことはその人に任せてほっとくことが…個人の自由に任せたことになり…それが貴方様の愛になります。
また人様に役立つ大きなことよりも・人様に迷惑を掛けない小さく生きるほうが賢いのです。
そこで欲張らなければ人様の迷惑にはなりません。
然るに…数に限りがある有限の世界で欲張ることは弱者を虐めることになるが…
そこで人様に迷惑を掛けない・欲張らない実践であれば…東西南北の老若男女の誰もが公平に実践できるのです。
ところが個人意識で生きながらにして更に欲張っている人は…人を虐めるばかりか…人を蹴落とし・陥れてまでも…世間に目立つために自己拡大し続けることにもなります。
そして行き着くところの先にあるのが極悪非道の人殺し戦争なのです。
然るに普通の人間ではなくなり…人様のことはどうでもいい個人意識がサタン意識と化し、そのサタンの手先ともなるのです。
しかもそれが正しい「私は正しい」と主張し誇示したがることになり、その集合意識からして、人と人が戦い殺し合うことを正義だの聖戦だのと正当化しているのがこの世の現実なのです。
然るに…欲に目がくらみ間違い狂っているのに・それが正しいと主張し堅持している・愚かな精神未熟な人の集まりとなっているのです。
だからそんな集まり&集合意識から離れ脱却するには欲張らない実践しか他に道はないと繰り返し書いているのです。
ところがなかなか性根に入らないようです。
それで本当に先行きが大丈夫と言えるのでしょうか?
…自問自答し自己反省する時ではありませんか…
然るに不完全で矛盾偽善を持つ&不満と欲と矛盾に満ちて間違い狂っている人様のことは「どうしようもないから」ほっといておいて・関わらずにして…
個人の自由にして・持ち前の自力と自信の精神力と創意工夫でもって・自分のために生きていくようにと…宇宙・神・愛の仕組みからして前もって仕組まれてのことなのです。
然るに個人意識でもって生きていくのが人間本来・役割使命でもあるのです。
また自分さえ良ければの個人意識を持っているからには…人様の迷惑にならないように心掛けていなければ矛盾した生き様になります。
そこで…人様のことを気にするよりも・自分のことを真剣に考え…
また人様のことはその人に任せてほっとくことが…個人の自由に任せたことになり…それが貴方様の愛になります。
また人様に役立つ大きなことよりも・人様に迷惑を掛けない小さく生きるほうが賢いのです。
そこで欲張らなければ人様の迷惑にはなりません。
然るに…数に限りがある有限の世界で欲張ることは弱者を虐めることになるが…
そこで人様に迷惑を掛けない・欲張らない実践であれば…東西南北の老若男女の誰もが公平に実践できるのです。
ところが個人意識で生きながらにして更に欲張っている人は…人を虐めるばかりか…人を蹴落とし・陥れてまでも…世間に目立つために自己拡大し続けることにもなります。
そして行き着くところの先にあるのが極悪非道の人殺し戦争なのです。
然るに普通の人間ではなくなり…人様のことはどうでもいい個人意識がサタン意識と化し、そのサタンの手先ともなるのです。
しかもそれが正しい「私は正しい」と主張し誇示したがることになり、その集合意識からして、人と人が戦い殺し合うことを正義だの聖戦だのと正当化しているのがこの世の現実なのです。
然るに…欲に目がくらみ間違い狂っているのに・それが正しいと主張し堅持している・愚かな精神未熟な人の集まりとなっているのです。
だからそんな集まり&集合意識から離れ脱却するには欲張らない実践しか他に道はないと繰り返し書いているのです。
ところがなかなか性根に入らないようです。
それで本当に先行きが大丈夫と言えるのでしょうか?
…自問自答し自己反省する時ではありませんか…