良い悪いで判断してその良いとこ取りすることが欲になります。
然るに完全真理が説くところの…良い悪い・善悪優劣損得で判断し比較競争差別する原因は<欲>にあったのです。
そこで(頭の中で)良い悪いで判断しても…
その「良いとこ取り」したがる・その欲を(外へ)出さなければ・それで何事も無く終わり・やがてその欲を忘れます。
そしてその欲の正体を知るには…自己縮小して自らが欲張らなくなるほどにその欲の正体が明らかになります。
そして「欲は魔物」「諸悪の根源」だと気付き悟ります。
そこで無理し欲張り頑張り見栄張りすることが無くなり…
然るに安心安全の楽チンにして生きていくことが出来るようになります。
そして欲の正体を知れば「人が集る」のも欲絡みだと気付きます。
然るにその欲が無ければ人と出会っても(引き寄せられ・集る事無く)袖が擦れ合うだけの縁で終わります。
また中には好奇心や怖いもの見たさで集る人がいますがそれも欲になります。
また好き者同士&志す者同士が集り引っ付き合うこともありますが、それも自分に都合がいいその欲からですし…
いつしかその裏が出て好きが嫌いになれば…当然ながら離れ離れになりますが、それも自分の都合からして出た欲になります。
ところが独りだと自分&自力で何事も成さなければなりません。
そして欲張れば欲張るほどに疲れますから、やがて欲張り続けることに無理が出てきて長続きしません。
そうなれば当然ながら…自分に出来ることを無理なく続けていくことしかありません。
ところがその欲からして…何かと人が集まり合い・互いに補い合い助け合い協力すれば…欲張り続けることが長続きするし、その効率も良くなりますが…
しかしその成果を分かち合わなければなりませんから、そこで依存関係でありながらも、その身分の上下関係や取り分などの差からして常に摩擦がありその問題を抱え込み続けます。
然るに欲で集り…その欲からして自分が少しでも都合良くなるようにと…そこででも欲張るから問題となるのです。
何はともあれ…自分の足下に多くの人を集めたがる輩ほど欲が深いのは事実です。
だから過去の釈迦やイエスらも同類なのです。
然るに精神世界ともなると…特別な超能力・霊力・念力などで人を集めるのが手っ取り早く、しかも憧れ慕う者が多く集まりますし、しかも周りの者に宣伝までしてくれるから好都合なわけです。
何はともあれ…欲絡みの集団・組織団体の中で接し馴染んでいることで幸せになれる人は誰一人いません。
また他力依存や他力の期待願望からして(欲からして)自由も平等も絶対になりません。
そこで…誰も皆が同じ個人意識を持っているからには…自分のことは自分&自力で成さなければならないのです。
また自分の優れた技能能力からして他の人にちょっかいを出しても、その結果は矛盾のある不完全なままに推移しますから…そこで賢い人ならば!「どうしようもない」ことに気付きます。
そして「ほっとく」しかないことにも気付きます。
またそれが愛になると気付きます。
また見えない世界&神仏霊魂の世界&精神世界を生業にして(飯のタネにして)人を集めることも、また世間に目立ちたがるのも、それは欲ですから…
それをしっかりと自覚認識し、また自力と自信の精神力でもって自問自答しながら、その欲の正体を自らして気付き悟ることができれば…
善悪で判断したり優劣で判断したり損得で判断したり、また好き嫌いで判断して、その良いとこ取りすることの愚かさ・精神の未熟さに気付き…
その欲から離れた生き様&欲張らない生き方が可能になります。
然るに欲から離れることで→その欲の正体が明らかになり→更に欲張らなくなり→それが板に付くと→二度と欲張らなくなります。
そして無理の無い安心安全な心持・心穏やかな精神安定でもって生き続けることが出来ます。
2013-11-24 投稿文を少し修正し再投稿しました。
然るに完全真理が説くところの…良い悪い・善悪優劣損得で判断し比較競争差別する原因は<欲>にあったのです。
そこで(頭の中で)良い悪いで判断しても…
その「良いとこ取り」したがる・その欲を(外へ)出さなければ・それで何事も無く終わり・やがてその欲を忘れます。
そしてその欲の正体を知るには…自己縮小して自らが欲張らなくなるほどにその欲の正体が明らかになります。
そして「欲は魔物」「諸悪の根源」だと気付き悟ります。
そこで無理し欲張り頑張り見栄張りすることが無くなり…
然るに安心安全の楽チンにして生きていくことが出来るようになります。
そして欲の正体を知れば「人が集る」のも欲絡みだと気付きます。
然るにその欲が無ければ人と出会っても(引き寄せられ・集る事無く)袖が擦れ合うだけの縁で終わります。
また中には好奇心や怖いもの見たさで集る人がいますがそれも欲になります。
また好き者同士&志す者同士が集り引っ付き合うこともありますが、それも自分に都合がいいその欲からですし…
いつしかその裏が出て好きが嫌いになれば…当然ながら離れ離れになりますが、それも自分の都合からして出た欲になります。
ところが独りだと自分&自力で何事も成さなければなりません。
そして欲張れば欲張るほどに疲れますから、やがて欲張り続けることに無理が出てきて長続きしません。
そうなれば当然ながら…自分に出来ることを無理なく続けていくことしかありません。
ところがその欲からして…何かと人が集まり合い・互いに補い合い助け合い協力すれば…欲張り続けることが長続きするし、その効率も良くなりますが…
しかしその成果を分かち合わなければなりませんから、そこで依存関係でありながらも、その身分の上下関係や取り分などの差からして常に摩擦がありその問題を抱え込み続けます。
然るに欲で集り…その欲からして自分が少しでも都合良くなるようにと…そこででも欲張るから問題となるのです。
何はともあれ…自分の足下に多くの人を集めたがる輩ほど欲が深いのは事実です。
だから過去の釈迦やイエスらも同類なのです。
然るに精神世界ともなると…特別な超能力・霊力・念力などで人を集めるのが手っ取り早く、しかも憧れ慕う者が多く集まりますし、しかも周りの者に宣伝までしてくれるから好都合なわけです。
何はともあれ…欲絡みの集団・組織団体の中で接し馴染んでいることで幸せになれる人は誰一人いません。
また他力依存や他力の期待願望からして(欲からして)自由も平等も絶対になりません。
そこで…誰も皆が同じ個人意識を持っているからには…自分のことは自分&自力で成さなければならないのです。
また自分の優れた技能能力からして他の人にちょっかいを出しても、その結果は矛盾のある不完全なままに推移しますから…そこで賢い人ならば!「どうしようもない」ことに気付きます。
そして「ほっとく」しかないことにも気付きます。
またそれが愛になると気付きます。
また見えない世界&神仏霊魂の世界&精神世界を生業にして(飯のタネにして)人を集めることも、また世間に目立ちたがるのも、それは欲ですから…
それをしっかりと自覚認識し、また自力と自信の精神力でもって自問自答しながら、その欲の正体を自らして気付き悟ることができれば…
善悪で判断したり優劣で判断したり損得で判断したり、また好き嫌いで判断して、その良いとこ取りすることの愚かさ・精神の未熟さに気付き…
その欲から離れた生き様&欲張らない生き方が可能になります。
然るに欲から離れることで→その欲の正体が明らかになり→更に欲張らなくなり→それが板に付くと→二度と欲張らなくなります。
そして無理の無い安心安全な心持・心穏やかな精神安定でもって生き続けることが出来ます。
2013-11-24 投稿文を少し修正し再投稿しました。