孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

個人意識からして、人様のことはほっとく、それが個人の自由となり、それが愛ともなるのです。

2020年02月14日 | Weblog
私の性格個性の成り行き任せからして…此れまで私の思いが先立ち自からの思いでもって人間関係を望んだことは無かったと思っています。

だから成り行きの必然ご縁が仕組まれての「後付け」からしてその関係が始まるわけです。

ちなみに妻と結婚したのも…結婚の仲介をして収入を得ている仲人さんから紹介された(7回目のお見合いで)その成り行きで妻と結婚することになりました。

となれば…孤独に過ごす時間が多かった私が(自営業だったから尚更に)当然ながら妻といる時間が多くなりました。

となれば…此れまでの両親や兄弟親戚関係よりも親密な関係でもって色々と経験することになりました。

その一例を書けば…私は夫婦円満にして一緒に過ごしたいから、母親の意向を無視してまでも妻の思いをずーっと優先してきました。

だから母親に嫌われましたし親不孝者と言われました。

なのに妻は私が母親の言いなりになっている・頼りない夫と言われました。

そこで私なりに気付いたのが…妻や母親や身近な人を含めて(人間は)人様の思いに関係なく・自分の身勝手な思い・自分優先でもって生きていることに気付き学び知りました。

また世間の人よりもちょこっと優れた技能能力を持っている妻や・また飛びぬけた技能能力や博識を持ち・その経験も豊かな姉を見ていて気付いたのも…
己の思い意識や信念を私は正しいとばかりに人に押し付けたがることです。

そして異論反論で反発でもすれば…すぐさまに不機嫌となり、時には感情的に怒ることにもなります。

…妻や姉に限った事例ではありません…

しかもその事実に本人が全く気付いていない・気付こうとしない・その身勝手さ・自信を超えた自惚れ慢心が強くもあります。

またその事を的確に指摘すればするほどにそれが気に入らないで尚更に感情が激しくなります。

また優れた技能能力を持っている人ほど我欲が強く、またそれだけに人の話を聞く耳が無くて(聞いているふりをするだけで)結果的には己のことばかり語り主張したがるようです。

と言うことからすれば…どんな人間関係であっても事がスムーズに運ぶはずもないのです。

そして技能能力や学識知識教養に優れた人が増えるほどに尚更ややっこしいことにもなり、またそれが長く続くことにもなるのです。

然るにそれが矛盾なのです。

それがこの世人間界なのです。

ちなみに人の話を聞く耳がない人ほど…老人になって難聴になったり耳鳴りが激しくて人とあまり会話が出来ない状態になるようです。

また我欲が強いほど世間に出て活躍したがりますから、当然ながらその苦労苦悩が多くなりますが、それさえも乗り切って頑張りますから、当然ながらその弊害や後遺症が出て老後生活が心身ともに厳しい状況になるようです。

ちなみに私の自惚れ慢心になるかもしれませんが…
私が人様の動向を見て精神的な学びになったからには(人を見て我が身に振り替えることで)私がその同じ過ちを犯さないように心掛けています。

また人様のことは(私の自力では)どうしようもないその事実を幾多も経験してきました。

…だからほっとくしかないと悟ったのです…それが個人の自由なのです…またそれが愛になると気付いたのです…

そして結果的に…私が人様のことをほっとくように…私も人様からほっとかれることを望む…そんなお互い様の関係とそのお蔭さまの関係の中で…孤独の自由…を味わっているのです。

私は常識知らず、礼儀知らず、知識教養に欠けているが…自力と自信の精神力からして…まっとうな人間として生きていると自覚認識しています。

2020年02月14日 | Weblog
前回に書きましたが…時代の流れからして・多くの人を巻き込まない家族葬が増えていることを書きましたが…

それを言い換えれば…葬儀法要に多くの人様を巻き込んで迷惑を掛けていることに気付き後悔反省したことになります。

だったら一層のこと葬儀法要をしないままに…お通夜の翌日に遺体の焼き場でもって遺骨となるほうが…手っ取り早く簡単に後腐れなく終わります。

ちなみに私は自我意識を持ち始めた若いころから巷の伝統風習や冠婚葬祭に違和感やら不信感を持っていました。

だからそれらに関わることを避けてきましたから…年末年始の挨拶やら冠婚葬祭などの儀礼儀式に馴染めなかったから…いつも蚊帳の外でいましたから…それら類の正式な挨拶も「未だに」できませんし、またそれら慣例を習得するその気も全くありません。

なのに伝統風習や冠婚葬祭などをビデオ撮影して記念に残す、そのビデオ撮影制作を誰よりも先駆けて始めたのも何だか矛盾しますね。

何はともあれ…私の周りの人は(私のことを)乱雑な人、常識知らず、礼儀知らず、知識教養に欠けた、お粗末な人、一種の変人に思われていることでしょう…

ところがしかし私自身は自力と自信の精神力からして…まっとうな人間と自覚認識しています。

然るに世間一般の方が間違い狂っていると書くブログになっています。

ゆえに逆は真なりのこの世に稀なるブログを書いているのです。

然るに…過疎地でもって孤独の自由となったその経緯・幾多の仕組みの連続のことを何度も書いているように…

また現在はブログを書くために生きているような現状からしても…

あらかじめ宇宙・神・愛の仕組みの必然ご縁の数々が仕組まれていたのです。

だから前回に書いたような(過疎地に来てまなしに)(下半身に障害を持つご老人)とご縁が仕組まれたのも…私の先行きの生活や意識の変化を暗示したかのようなお手本が如くに用意されていた事例…すなわち下半身の障害を持ったままに・自らの意志で息子夫婦から離れた(他力にあまり依存することなく)孤独の自由にして・呑気に気楽にして・地面にはいつくばってまでも生きようとしている・自力と自信でもって生きている独居老人までが身近に仕組まれていたのです。

またおよそ10年前に必然のご縁で仕組まれ求められ始まった・暇つぶしの牛舎のパートを飽きずに続けられているのも…
その牛舎のオーナーの精神世界の理解や人を思いやる親切心や持ち前の自力と自信と創意工夫する性格個性を持っている・そのお蔭さまで何の不満もなく・単調ながらも飽きることなく・長く続いているのです。

また時おり必然ご縁が仕組まれた人と関わり接することで何かと「精神世界の学び」となり、その事例をブログで紹介しているのも…仕組まれているからなのです。

また11年連続にして謎の発光体・地球外生命体と接し触れ合っているのを含めての摩訶不思議の数々の仕組みがありました。

何はともあれ…世間の人と同じ矛盾偽善を持っている不完全な私がこの様な常識外れの逆は真なりのブログを書けているのも…「仕組まれている」からなのです。

さらに言い換えると(自惚れ慢心かもしれませんが)完全なる宇宙・神・愛の仕組みからして仕組まれ続けた…その私が…あるがままの宇宙・神・愛の真理のその橋渡しのお役をしている「お伝え人」にもなるのです。