孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

此れまで特別に生きた人が普通を知るほどに、その特別よりも<普通>に生きる事を選ぶ事になります。

2011年11月11日 | Weblog
この世は宇宙・神・愛(全知全能)のお仕組みで動いていますから偶然はなく全てが必然ご縁の仕組みで成るようになっています。
だから皆さんも此れまでに摩訶不思議や奇跡現象に出合ったり、またこの世の矛盾やその人間関係の何ともし難い目に遭われてきたことと思います。

私は商売人としていろんな事に取り組み稼いでいましたから、その顧客はもちろん同業者や卸問屋や生産製造業者とも業種ごとに様々な関係がありましたので、それらの仕組みやその人間関係から様々なことを学び知ることにもなりました。
また先駆け意識で様々な趣味嗜好娯楽を味わってきたことからも、それらに関わる人達との人間関係や人間模様も多く学び知ることが出来ました。

そんな中で特筆できることにあるのが・・・自力で出来ない事を他力・業者に頼るわけですから、その他力に対しての感謝とその対等な金銭の支払いがあるのが当たり前になっています。
ところが支払いの時に難癖をつけて値引きを引き出したがる人、また僅かな不備な点を探し持ち出して、私は誤魔化され騙されないぞ!一筋縄にはいかないぞ!とばかりに文句を並べ立てる(心の貧しい)商売人泣かせの人が時たま居ることです。

また私が顧客側に立ったときに、その関わる面倒がいやで(不信感もなく)概ねに任せ切りにしますが、それが手抜きや価格の上乗せがあったりすると、そこで何かと事細かくチェックする口うるさい人が得をすることになりますから、その得したいために面倒なことを言いたがる人が多くなる原因でもありまが、その結果(任せ切りではなく)互いが事細かく面倒な事を確りと打ち合わせしなければ事が進んでいかない時代(束縛制限しあう関係)にもなっているのです。

また納入業者いじめが当たり前になっている(納入先の)担当者・上司や社長までもが同じ類の中小企業もあるということです。
ところが個人顧客ではない企業だけに何ともし難い目に遭っても、それに耐える我慢や妥協が必要になりますが、その度が過ぎてくるとそれが重荷になり(楽しかった仕事が楽しくも嬉しくもなくなり)私の性格からして納入業者を辞退することになります。

それでも必然ご縁から(捨てる神あれば拾う神もいることから)新たな取引先からお声がかかりましたので倒産することにはなりませんでした。
しかも自らが欲から捜し求めたことではなくて先方からの「必然のご縁」でしたから、それだけに納入業者として喜ばれることはあっても難癖的なクレームや金銭的負担やお接待を持ち出されることはありません。
しかしそれでも人事異動で担当者やその上役が変わるたびに業者いじめに遭いますから、またそこででもやっていられなくなって納入を辞退することにもなり、そんな繰り返しが続いたことから商売・事業をすることの違和感と私なりの限界を感じ気付いたわけです。

そしてその時にはご縁必然で宇宙エネルギー・見えない世界・精神世界に目覚めていたことと、また嫁いだ娘が田舎暮らしを望んでいたこととがきっかけの必然ご縁から今の暮らしに至っているのです。
そして何度も書いているように自己拡大で生きることよりも自己縮小で生きることの真価を知ったのです。
すなわち自己拡大の矛盾・違和感・人間意識の何ともし難い目に遭ったからこそ、それを味わないで済む自己縮小の良さに自信確信が持てたわけです。

そして宇宙・神の愛の仕組みからすれば、自己拡大ばかりし続けている人や反対に南海の楽園でその日暮らしの呑気気楽に生き続けている人では、いずれも片手落ちになるわけです。
だから自己拡大と自己縮小の両面・裏表を知ってこその、その自己縮小の真価を知る必要があったのです。
だからこのブログに来られたことがご縁であり必然でもあるのです。

だから此れまで自己拡大してきた人に残るのは自己縮小だけです。
そして過ぎた自己拡大で無理した人ほど(概ね)自己縮小もそれだけ難しくなります。
またその自己縮小の実践中にも様々な気付き学びがありますから、それが完全真理の理解力や実践力にもなり、それが自信自力にもなりますから、その実践なくして先に進んで行くことはありません。

だから此れまでの人生・自己拡大を生かすも殺すもあなた方の意識にかかっています。
そして実践さえすれば、地上の天国とは言えなくても「気楽」に生きていけることのその真価を知ることにはなります。
そして特別に生きていた人が普通を知るほどに、その特別よりも普通に生きる事を選ぶ事になります。