しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

花の島と寄せ植え体験

2011-07-27 11:07:00 | 旅先

先週のこと、去年も来島して講演していった石原和幸氏の講演会がありました。

去年の講演では「植え逃げ」を推奨して、宮古島を花いっぱいにしようと言っておりました。

その後、宮古島市熱帯植物園のリニューアル事業のデザインを担当したり、宮古島市観光大使に任命されたりで、この島にはたびたび来ているらしいのですが、このたび、無料講演会と3千円寄せ植えセミナーの開催となった次第です。

     

熱帯植物園のリニューアル事業では「宮古花の王国」と題して、宮古で初めての滝の導入や水生植物の育成を行い、島にはない水辺空間を創り上げるという事です。中央眼鏡の方が石原氏です。

     

工事中の滝ですが、水道水の循環方式でこの日から水が入れられ、懐かしい滝の水音が耳を和ませておりました。

さて、ここで開かれた寄せ植えセミナー。英国王立園芸協会主催のチェルシーフラワーショーでの金メダル獲得の自慢話と3種の植物が用意され、あっという間のセミナーでございました。

用意された植物は、パイナップル科のグズマニア、お馴染みのプミラ、ポトス(向かって右から)。

     

これをネタに鉢に植えてみましょう。というわけでできた作品がこれ。

     

生まれて初めてのお花セミナー。だいたいこの手の職業の方は、普通の男ではないのですがやっぱり空気がおかしい石原氏。この道は、生け花から入ったそうで。

私もこんなことを始めて普通ではない道に.....行きません。

でも、庭は綺麗にしたいよね。島も。


宮古島の夏の夜

2011-07-25 16:51:02 | 日記

宮古島の7月下旬は夏のお祭り真盛り。

22日、23日は「宮古島夏祭り」。宮古角力大会や大綱引きで汗を流した後は24日のオリオンビール主催の「オリオンビアフェスタ2011in宮古」

屋根にモクマオウ(だと思われる)の木を載せた展望台とやけに歯が白いシーサー滑り台のあるカママ嶺公園で開かれました。

シーサー滑り台を忘れた方は下へ

http://blog.goo.ne.jp/umiyako/e/96220c97da2a2214a09125e27bb575b2

遅い日没(今は19時27分が日の入り時刻)を迎えるころには、ビールを飲みながらあくまでビールでオトーリを回す一団に捉まりすっかり出来上がってしまいました。

で、ステージの最後を飾ったのは、沖縄のラテンバンド「ディアマンテス」

     

南の夜はラテン系でしょうというわけで、ノリノリの宮古島の夜は更けていったのでした。

     

ところで、このビアフェストで副市長があいさつに立ち、「オリオンビールを飲んで明日の英気を養おう」と言ってましたが......

豊田市の副市長が「トヨタの車に乗って豊かな生活を送ろう」なんて挨拶、許されるのかしら?

あくまでゆる~い南の島なのでした。

 


男が拝礼できないウタキ

2011-07-22 17:24:53 | ウタキのうわさばなす

宮古島市中心部に位置する「下里大通り」の一角に、10年と1億5千万円をかけて「宮古島市公設市場」が完成しました。

途中、都市計画変更手続きをミスるという突っ込みどころもありましたが、

精肉・鮮魚・土産物・特産物・食堂・レストラン等32店舗が入居し新たな交流拠点として期待されています。

どこが中心かわからない市街地の核になりうるか注目しましょう。

        

この公設市場の北200m、市役所のすぐ隣に南に向かって建つ「住屋御嶽(スムンジャーウタキ)」があります。

        

これだけ見ると市役所の近くにこんな空間が?と思われるでしょうが、どこにでもありますこんなとこ。

でこのウタキにまつわるお話は.......(向かって右:島では右左とは言わずに東西南北というので正確には東のウタキ、さらに磁石の示す東西南北とは微妙にずれているから厄介さぁ:の祠は近くの「ニィーマトゥクルザー」から移したといわれている自然石が置かれているのですね。その「ニィーマトゥクルザー」とは島を二分して戦った与那覇勢頭豊見親と目黒盛豊見親の前者の方にまつわる拝所で.....先に進めないので以下略)

母親に早く死なれて怖ーい継母に育てられていた7歳の子が、この子を亡き者としようとした継母の命令で食わず芋の葉を取りに行ったところ深い洞に落ちてしまいました。落ちる途中で蔓に引っかかって7日7晩泣きとおした上、あろうことか継母と同じ思いの父親に蔓を切られ奈落の底へ。全然変わっていないぞ鬼の父母。

地下の国の根入りヤの神は、奈落の底でも正しい心を持ち続ける子供を不憫に思い、現世に帰してあげました。現世に戻った子供は住屋山に入り、「根入りヤ下りあろう踏む真主」と崇めまつったという一節。

父親に、現世との接点である蔓を切られた子供は、男を呪い始め、男が拝礼してはならぬとの言い伝えが生まれたいう事です。

現在は、学問の神として参拝されていますが、祭忌行事のお供え物は男に与えるなとも云われているようです。

ウタキを見たといっても迂闊にお参りしてはいけないというおはなすでごわした。


長墓から現代へトリップ

2011-07-13 17:02:15 | DB

1週間程、4200年前とされる土や石に触れ、含まれる空気やゴミを思いっきり吸ったあとは大都会那覇へ。

やっぱり都会だねぇ那覇は。

1日目の用事を終えて、同郷のN村氏と夜の牧志へ。

        

ビルの5Fと6Fをぶちぬいて5Fがレストラン、6Fがバーとなっている変わった空間を持ったお店。

オーディオにも凝っていて、那覇に拠点を置く、「知名御多出横(ちなオーディオ)」製のスピーカーがありました。

カウンターの中には女性バーテンダーの香織さん。

        

宮古島の中では見ない、素敵な女性でした。上の写真に香織さんを見つけられないあなたの心は汚れています。

翌日も家族の用事を済ませて宮古空港へ帰りつくと、今年のはじめ2体目に取り掛かったままお休みしていた「空港シーサー」の作者が来島していて、作業の続きに取り組んでおりました。

        

半年前は空港ビルの外に置かれていましたが、9月から新たに那覇―宮古間を運航するスカイマークのカウンター設置に伴う改築工事で到着口近くに引越してきていました。

以前は気付く人も少なく、案内するのも忘れがちでしたが、最近は陽の目を浴びて得意そうなシーサー君です。

宮古島へ帰ると何故かほっとする私は、もう都会の空気になじめない体になってしまったのでしょうか。