しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ひさしぶり4連発プラス

2012-01-29 15:27:15 | その他

ひさしぶりその1

朝から太陽が顔を出し、晴と呼べるお天気。これが宮古よ!という暖かさ。寒さに震えている本土の民よ、暖かさはヒトを幸せにしますなぁ。

ひさしぶりその2

この暖かさでのんびり海辺を散歩だと思いきやさにあらず。3年ぶりに日曜出勤で勤務中の身であるぞ。

モトカイ(元いた会社の意味ね)の依頼により防波堤調査を終えたけど、その結果を今月中にまとめなければならないわけ。

久しぶりの追い込まれ感は微妙に体調を狂わせて5年ぶりに風邪気味。

久しぶりその3

建設中の伊良部島とを結ぶ伊良部大橋。供用が1年延びて、たーけの橋になるかどーかまであと1年。        

今は、主航路をまたぐために桁を天に向かってつないでいるところ。 

撮影は今朝。好天の程度が判るでしょうが。

ひさしぶりその4

天候が良くなると生物も生き生きとしてきます。お昼には、庭のハイビスカスの内一番大きな花をつけるTHE PEARL

という品種が開花。

まあ何となく春の兆しを感じながら、もう少し頑張ってみようぜい。

 


ニュースな宮古島

2012-01-23 17:48:51 | 旅先

本日は旧歴1月1日。

島では旧正月用の伝統儀式やご馳走が用意され2度目のお祝いをする地域があります。特に航海の安全と豊漁を祈願する内容が主となっているようです。

また、恒例の集落の入口に生肉を掲げて魔除けをする習慣や、

       

サトウキビの搬送や製糖工場から船で集荷される初荷等が見られ、また始まる1年を実感させられています。

       

また、最近の発表では、10月1日から放映されるNHK大阪製作の朝の連続テレビ小説の舞台が宮古島と大阪になることが決定したようで、またまたへんな観光客が増えないように祈るばかりです。

脚本は「女王の教室」や「家政婦のミタ」を手掛けた遊川和彦氏。

この高視聴率だったという「家政婦のミタ」。沖縄では日本テレビ系列がないのでリアルタイムでは見られませんでした。

ケーブルテレビでは1ケ月遅れで先週金曜日が最終回。現在は、TBS系列のRBC琉球放送が、月曜から水曜の午後1時55分から週3日放映しています。

さて、我が家のラナイ(ベランダ)に置かれている鉢植え野菜用の鉢を勝手に使用している輩がいます。

お向いの猫ですが、ネコよけ用のバリアーも気にせずくつろぎっぱなし。

       

植えた種はあきらめられますが寝床にされると困るんですが。

       

勝手に目覚めては室内をうらみがましい目で睨みつけております。

今年も、動物たちにはかわいがってもらえそうです。


温泉につかりながら市町村合併を想う

2012-01-18 18:01:27 | DB

今年初めの旅行は

       

でございました。

訳あって那覇まで行かなければならないところ、羽を羽ばたきすぎて九州は由布院温泉へ。

あいにくの霙まじりの天候の中、露天風呂までは足元を照らすのみの照明で、酔っ払いには緊張の夜でありました。

       

この由布院は個人の美術館が多いところで、翌日は美術館巡りと相成ったのですが、一番おもしろかったのは、

「湯布院トリックアート迷宮館」

初登場某マダムがカクレクマノミを手づかみ~

       

さて、お立会。すでにお気づきと思いますが「由布院と湯布院」どっちが正しい?

これも市町村合併の妥協の産物でどちらも正しいのです。

1953年から1961年の昭和の大合併の際、由布院町と湯平村が合併して湯布院町となりました。その時以来、町全体について語るときは湯布院、昔からある 地名などは由布院と使い分けてきたというわけです。

さらに1999年から 2006年にかけての平成の大合併では、庄内町・挾間町 ・湯布院町が合併して、由布市に。

ここで由布が復活、湯布院町は由布市湯布院町となったわけですが、由布院温泉、由布岳等はそのままの呼称を使っているというわけです。

いろいろ綱引きがあったのでしょうなぁ。

露天風呂につかりながら思索にふける爺でありました。


お久しぶりございます

2012-01-13 16:28:26 | 旅先

1週間も更新をさぼってしまいました。

でも連日100人以上の方のアクセスがありまして感激にむせぶ爺であります。

宮古島では、11日から製糖工場が稼働し、いよい冬の風物詩「キビ倒し」が本格化します。

でも今年の収穫は、昨年5月に襲ってきた台風や夏の少雨等で大幅な減産が確実視されています。

過去4年間連続で30万トンを超えていた生産量が8万トン近く減ると予想されています。

サトウキビの買い取り価格は糖度によって微妙に差があり、糖度が0.1度上がると1トン当たり40円加算されます。

基本的な価格は糖度13.8度で1トン当たり21,502円。

この10トン車1台で21万5千円也。

         

安いものです。それも国の交付金が1トン当たり16,000円上乗せされているのです。

日頃の世話はオジイとオバァが中心ですが、キビ倒しは家族総出の労働で、特に、御子チャマ達は、学費が欲しくないのかと脅されて渋々手伝っております。

最近は「ハーベスター」と呼ばれるキビ刈りマシーンの使用も増えているようです。

ハーベスターについては1昨年お知らせしました。そちらもご参照ください。

確か2010年の1月8日だったと思います。毎年この時期になるとキビ刈りを話題にしているのですね。

ここのところ雨続きでキビ刈りも大変です。私にはキビ刈りはムリムリ。


またまたお墓のはなす

2012-01-06 18:14:58 | 宮古史

今日も20℃そこそこの雨天というらしくない天気でございます。

土日もグズグズと雨模様。こういうときはお墓に限る。

平良港を望む小高い丘に、珍しい作りのお墓がございます。

お墓に門があるのも珍しいのですが、その門は通常、石を積み上げた石垣の上に平たい石を載せてつくられます。

なんとこのお墓は、このあたり一帯の石灰岩の層をそのまま掘り下げて造られたのです。

        

ですから岩盤にあけられたトンネルの様を呈しているのです。

たくさんの人夫がつぎ込まれ、掘りだした石の1升分に粟1升が労賃だったという事から「ツガ墓(升墓)」といわれるようになったという説がありますがどーだか。

墓全体が四角く掘られ、マスのような形をしているからというのが本当のようです。

        

このお墓は、1685年に砂川というところの頭であった昌信という人をはじめとする益茂(マスモウジ)氏一門の墓で、その後も6人の頭を輩出した有力な系統だったわけです。

島には今でも有力者の立派な墓が残されています。

そこで爺は、治水の必要なし、雨水をためることもままならない、小さい島の交通は踏みわけ道があればよし、という、島の主要産業は有力者の墓づくりであったのではと推測するわけです。宮古役人の俸給は粟だったことから、労賃はほとんどが粟だったようですが。

はなすはコロッと変わって

昨日は、島の成人式でした。知人の長女が20歳を迎えるという事でお祝いに駆けつけましたが、やはりオトーリでお祝い。本人は参加することなく勝手に盛り上がる、いつもどおりの大宴会があちこちで開かれておりました。

この後も旧正月だ、十六日祭だとあって、春には合格祝い。お身体に気をつけて。