しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

宮古島ランチ(定番でその2)

2013-11-29 17:04:52 | 島食

宮古島のランチといえば、漲水港といわれていた昔からの平良港のまん前にある

菊栄食堂     につきます

港湾労働者、漁師、釣り師、タクシードライバーさん達の昼食の場として昭和23年開店(たぶん)以来変わらぬ味を提供し続けてきたという超老舗。

最近では芸能人や一般の観光客、肌の露出度の高いオネーちゃん等が作業服の群れに混じって、お世辞にもおしゃれとはいえない狭い店内で体を寄せ合ってお食事している姿も見られます。

5月に尼崎のO川家と訪れた際には 「美ぎ島ミュージックコンベンション2013」に出演した 山崎まさよしさん一同 が食事していましたなあ。

そこのメニューは

        

安くてボリュームたっぷりのがっつり飯。

麺類以外には全部ご飯がついています。みそ汁というメニューに騙されてはいけません。ソバよりボリュームがありますから。

さらに、ここのそばは三枚肉、揚げ物の具が麺の中に隠れていて一見かけそばに見えるのが特徴です。

全部注文してお見せできないのは残念です。

そこでの一番のお気に入りは、この昔ながらの黄色いカレー。

        

そばもついて500円はお値打ち。

甘辛いお子ちゃまカレーと思いきやそのとーり。

1年に3度は食べないと身もだえしてしまうのですね。

もう一つ、2ヶ月に一度食しないと中毒症状を起こすのは「カップヌードルカレー」

島にも1,000円、1,500円のカレー専門店はあれどランチはこれでしょう。

新しい味を期待された皆様には次回に期待を

 


こんなんあり?

2013-11-27 16:16:23 | しらべもの

島の道をほっつき歩いていると色々なものに出会いますぞ。

その1  商品数それだけでいいの?

       

宮古島市のメインストリートともいえる西里通りの最大の交差点近くに構える衣料品店

出ている商品は店の前にかけてあるもののみ。売り子のおばあは真ん中の黒い闇のすぐそばに座っているさぁね

左の白い布は売り物ではなく日除け

きっとおばあの後ろには山のような在庫が横たわっているに違いない

宝の山かゴミの山か   微妙!

その2  本当に営業しているの?

よく見かける喫茶店

とても入る勇気はありません

お店の中は妄想たくましい爺でも創造できません  否  想像したくねぇ

       

一度入ったら2度と現世に戻れないような

タイムマシンのような

       

こちらもドアに手をかけるのをはばかられるお店

何しろ中がうかがえないのが 中から外が見えないだろうと想像できるのが

コーヒー飲みながら闇に向かって瞑想するのかしら

家の中でも使える一人用カラオケ段ボールボックスというのがあるそうだが、そこで考え事をしてはいけないそうだ

マイナス思考の深みにはまる

その3 本当にその色でいいの?

中心部にある種別不明のホテル

宮古人に聞いてもわからないという

最近外壁を塗りなおして海上からも目立った存在

宿泊客も居心地悪そう

        

 良いものばかりではないさ

 


宮古島の森をどーする

2013-11-25 18:12:22 | 宮古史

昨日、宮古島の神を畏敬し、神の鎮まる森を守ろうと20年前に、「宮古島の神と森を考える会」を立ち上げた民俗学者 故谷川健一氏を見送る会に出席してきました。

氏は、今年8月、92歳で逝去されました。

個人的にもお付き合いはなく、氏の著書を読んだこともない爺ですが、スケッチオブミャークの中に歌われた神歌と伝統祭祀の復活に奮闘してこられた方と聞き、あふれる好奇心で顔を出してきました。

          

氏の宮古島に関する代表的な著書のひとつに「神に追われて」と題する著署があります。

この著書は、宮古島のシャーマン「カンカカリャ(神懸り)・ユタ」の成り立ちについて書かれたもので、本人によるとユタになる過程において

「平凡な一介の主婦または娘が、ある日突然神の声を聴く、しかし彼女の世俗的な夢や希望はその声に逆らう、まだ自分は世俗的に色々な夢を見ており、神の命から遠ざかろうとする。しかし、それを神は許さない。それが神に追われるということだ」

すなわちなりたくてなりたいわけではなく、神の道に入るための試練を受け続ける、最後には神に許されるか自らの命を絶つかまで追い込まれるということらしい。

その間は、狂気の沙汰で、肌足でボロボロの着物をまといながら宮古島中をさ迷い歩き、塞がれた井戸があれば開けろと叫び声をあげ、宮古の根を掘り起こせとわめき歩く等いわゆる気違い扱いされるわけですね。

最後には、ある御嶽の前に行くと頭のてっぺんにビビッと響く音を感じ、自分の神を発見するということです。

そのようなカンカカリャの一人である根間忠彦さんという方が出席され、魂の弔いで見送りました。

           

見かけは普通のおじさんですが、宮古島では有名なユタの弟で、自らも学生時代にカンダーリと呼ばれる神による体験を経験しています。

           

宮古島の森林率は全国の7割に対して2割を切っています。大きな森を住まいとしている神々にとって居場所を失っていくということを意味する開発は伝統的な祭祀の危機にもつながっている現状を変えようとしているのがこの会の趣旨です。

今、島ではこの会をはじめとして植林、育林行動が芽生えています。

公共では、防潮・防風・防災林造成事業という名を冠して。


アンパンマンとナッチャン

2013-11-21 17:41:46 | その他

前回のアニメネタに引き続く島ネタを

先日、去年まで我が家の向かいに住んでいたイギリス人と山形人の夫婦。

そのおうちでちょっとしたパーティがあり、手土産にケーキを持参しました。

          

そう、アンパンマンケーキです。

そこのご子息ジミ君。父親がクレージーにジミ・ヘンドリックスを溺愛するあまり、名前を頂戴してしまったといういわくつきの子。

最初は手を出すのをたしなめられ、すねておりましたが.......

          

最後はご機嫌に楽しんでおられました。

          

先月ご逝去のやなせたかし氏、ご冥福をお祈りいたします。

宮古島で初めて実施された、陸自の対艦戦闘訓練が終了し、19日にミサイルともども撤収しました。

これに使われていた輸送船、実は津軽海峡フェリー所有の民間フェリーでした。

極北の大地に住むお方たちにはご周知の船ですよね。その名も「ナッチャンWorld」

10月13日にアップした記事の写真にあるイラスト付きの船です。

            

このフェリー満載時でも36ノット(67km/h)で航行できる高速艇で、現在定期運航はされていない。東日本大震災の時には物資輸送に貢献し、時々陸上自衛隊にチャーターされているそうですが。

船体のイラストは児童から公募したもので恐竜や海の生物などが描かれてます。

子供の思いが描かれたフェリーが自衛隊にチャーターされることになるとはねぇ。この船の姉妹船「ナッチャンRela」は台湾に売却されたそうですが、姉妹で戦う愚は避けたいですね。


エイトマン放映開始50年

2013-11-18 17:23:52 | しらべもの

人生を60年以上やっている人しか初放送版を見て記憶していないはずのテレビアニメ「エイトマン」の放送開始から50年たちました。

番組自体は1年程度で終わったのですが、テレビアニメの創生期で多感な中学生であった爺は興奮する自らの心情を抑え、あえてテンションを下げて斜めに見ていたようであります。

この年1963年は、あの東京オリンピック開催の前年で、我が家でもカラーテレビでオリンピック放送を見た記憶があるのですが、11月に始まったとされる放送を最初から見ていたかどうかは定かでありません。

覚えているのは、主人公の刑事にして戦闘ロボットの名前が東貴博の父にして萩本欽一の師匠、かのトリオザスカイラインの東八郎と同じ名であったことぐらい。Wikipediaで内容を確認してようやくストーリーをおぼろげに記憶の引き出しから引っ張り出せたという次第です。

さて宮古島のエイトマンならぬエイトカー。

ナンバーが8尽くしの車たちです。

先日、自分の車と同じナンバーの車を見つけてからいったい島にはどれくらい同じナンバーの車があるだろうかと、運転しながら探し始めたのが2ヶ月ほど前。

同じナンバーを覚えるのは大変なので簡単な数字8に着目し、探しはじめたら......あるわあるわ。

 まずは3ケタ

           

続いて4ケタ。意外な人気者です。このほかにもすれ違いざま確認できたのがタクシーなど2台。

  

どーでしょう。私の好奇心も並はずれてきましたなぁ。

ついでに単独しか見つかっていないけど

        

実は50年前の1963年は「鉄腕アトム」「鉄人28号」等も放映が始まった年で、まさしく創生期であった年なのです。

この中で何故「エイトマン」だけを取り上げたかというと、上でご理解いただけたかと......