先週末、極北の地から旧友が来島し、強風の中貴重な経験を積んで帰りましたが、そのあとを追いかけるようにはルピートは岩手沖を北上中。お疲れ様。
22日のこと、宮古島の歴史を知るべく講演会に行ってきました。
主催は、宮古の人材育成塾「佳川(かせん)みるく塾」みるくは弥勒の意。塾長は泡盛酒造所会長砂川佳一氏。
講演者は、琉球放送で”宮古・古陸=蓬莱島”を探し続けて30年。上間信久専務。
しなびたウッス(頭)に水やりをしてきました。
そこでわかったこと。
1.宮古島には14世紀からしか歴史年表がない。したがって、いったもんがち。
(2万6千年前と推測される人骨化石はでていますが他の先人とのつながりがわからない)
では宮古人はどこから来たか
2.タカラ貝が通貨であった頃、産地であった琉球諸島と消費地の中国を結び付ける説が一つ(柳田國男「海上の道」
3.言葉や文化から宮古島とインドネシアを結び付ける説が一つ(K舎:N舎主 他)
そういえば2.に関してはいろいろありますよ。
チャンプルとチャンプルーとの近さ
ウチナーとはインドネシア語で「大きな漁場」の意
宮古にある狩俣という地名とカリマンタ(海峡)との近似性
神事「パーントゥ」(詳細は検索してちょ)の類似性
蛇足で間謝海岸と「マジャパヒト国」、古謝そば点と「コジャ」の一致
バイク運転マナーのインドネシア性 などなど
浅学薄才の身で出すぎた真似を
N舎主、これをご覧になっていたらご指導ご鞭撻のほどを
というわけで、これからも宮古人のルーツ探しで活性化!
ここでウッスへの水やりの後は、島唄ライブ居酒屋でのどとハートに水やりを
テケテケ三線の名手、まさ坊こと「古謝正行」さんの祖先はジャカルタかも
22日のこと、宮古島の歴史を知るべく講演会に行ってきました。
主催は、宮古の人材育成塾「佳川(かせん)みるく塾」みるくは弥勒の意。塾長は泡盛酒造所会長砂川佳一氏。
講演者は、琉球放送で”宮古・古陸=蓬莱島”を探し続けて30年。上間信久専務。
しなびたウッス(頭)に水やりをしてきました。
そこでわかったこと。
1.宮古島には14世紀からしか歴史年表がない。したがって、いったもんがち。
(2万6千年前と推測される人骨化石はでていますが他の先人とのつながりがわからない)
では宮古人はどこから来たか
2.タカラ貝が通貨であった頃、産地であった琉球諸島と消費地の中国を結び付ける説が一つ(柳田國男「海上の道」
3.言葉や文化から宮古島とインドネシアを結び付ける説が一つ(K舎:N舎主 他)
そういえば2.に関してはいろいろありますよ。
チャンプルとチャンプルーとの近さ
ウチナーとはインドネシア語で「大きな漁場」の意
宮古にある狩俣という地名とカリマンタ(海峡)との近似性
神事「パーントゥ」(詳細は検索してちょ)の類似性
蛇足で間謝海岸と「マジャパヒト国」、古謝そば点と「コジャ」の一致
バイク運転マナーのインドネシア性 などなど
浅学薄才の身で出すぎた真似を
N舎主、これをご覧になっていたらご指導ご鞭撻のほどを
というわけで、これからも宮古人のルーツ探しで活性化!
ここでウッスへの水やりの後は、島唄ライブ居酒屋でのどとハートに水やりを
テケテケ三線の名手、まさ坊こと「古謝正行」さんの祖先はジャカルタかも