しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

今日の宮古島は開店休業

2013-02-25 17:45:45 | 旅先

毎年のことですけれど、今日の宮古島は旧暦の1月16日にあたり、「旧十六日祭」(ジュウルクニツ・グソーの正月)という3回目のお正月。

グソーとはあの世のことで、午後から親族が墓参りをした後、その墓の前で先祖を供養する酒宴を開きます。

正月の中では一番盛り上がるみたいで、全国各地から親族が集まり、土曜日の空の下り便は全便満席だったとか。  

      

この狭い墓に前に10人は詰め込まれていました。

こちらは、この島統一の祖、仲宗根豊見親の三男の宮金氏一門のお墓。1750年に建てられたとされ、国指定の有形文化財となっていますが、普通にお参りしています。

       

 さすがに立派な墓です。

この墓地の前には、港に面した公園があるのですが、そこでは、急きょ祭壇をしつらえて、あの世のお金とされるうち紙を焼いて、コーヒーとごちそうを広げ供養中です。

       

よんどころのない事情があるのでしょうが、先祖を敬う気持ちには頭を垂れるばかりです。

そんな中で、この島は午後から小中高校休み。民間企業もお休み。関係のない移住者は行く所もないため、通常勤務。市役所は午前と午後に分けて勤務。国、県の職員で墓のない人は通常勤務。

それでも電話はかかってきて、「すまんねぇ」と言いながら普通にご指示。

本島では、4月に入ると二十四節気の第5節清明節にシーミーという同じような行事があり、本島に親族がいる宮古人はこれにも参加することになるのです。

おつかれさまです。


赤い鳥居の赤名宮

2013-02-20 18:13:22 | 宮古史

数回前に赤い鳥居についてちょっと書いたついでに赤い鳥居の赤名宮を紹介しておきませぅ。

場所は、与那覇湾に面した下地、以前源流を探した崎田川の河口近く、今、フル稼働の沖縄製糖宮古工場の真向かいにあります。

        

ここはほかの御嶽と違ってご祭神がいらっしゃいます。

見てのとおりまだ新しい。右手の緑のネットの中が製糖工場です。

昭和34年のサラ台風で倒壊した後、40年には立て直され、老朽化したため、沖縄製糖会長の肝いりで平成20年に立て直されたものです。

赤い鳥居といえば厳島神社、日本の三大鳥居の一つですが、あと二つの春日大社、気比神宮の鳥居も赤いそうです。気比神宮は行ったことがありません。

ご祭神は、御栄加主(うえかぬす)と称し、人々の昇進栄達を司り、四方四方の事業の成就隆昌も道を開き給う霊験あらかたな神様であると案内板には書いてある。

どうも、神様が養育した12の神々の一人らしく、池間島のウハルズ御嶽や平良のアツママ御嶽等といろいろな役割分担でこの島を掌っているそうな。

建て替えられる前の赤名宮の画像があったので参考までに。

          

この時の鳥居は赤くないのね。


帰ってきたチビ

2013-02-18 17:43:32 | 生き物達

全国のチビファンの皆様(3名しか登録なしだけど)朗報?です。

去年の8月、台風15号を境に姿の見えなくなっていたチビがひょっこり、何事もなかったかのように庭に現れました。

          

これが去る8月に最後に撮影されたチビです。痩せてみすぼらしささえ漂わせておりますが.......

          

それが結構丸くなって風格さえ見せております。口周りの卑しさは前の通りですが。

左目に縦に走る苦み走った傷跡と、左耳がつぶれかけているのいるのと、左鼻の脇に傷跡があるのは男の勲章でしょうか。ホシは右利きだぜ。

これまで、捜査本部に寄せられた近所での目撃情報は3つほどありました。

いわく、3キロメートルほど離れた繁華街でとぼとぼ歩いているのを見かけた。

喧嘩して大怪我を負って自宅療養中。

元の飼い主にリードを付けられて、暗くなってから散歩に出ていた。

どれも本当なのでしょう。

自分探しの旅に出て、喧嘩に敗れ、飼い主の監視のもと療養していたけど、運動不足で丸くなっちまった。ってところでしょうか。

         

それでもさっそく、近所の猫を追い回す元気はあるようで、追い回した後満足げに上がった息を整えておりました。

すこーしうれしいよーな。うっとーしーよーな。あいかわらず目をあわせないし。


顔を上げて歩こうその3

2013-02-15 16:44:18 | 旅先

顔を上げて歩こうシリーズは何のためにやっていたかというと実はこのためだったのです。

飛行機のおなかに描かれた絵柄。これを撮るモチベーションを上げるためにシリーズを立ち上げたわけさぁ。

    

たまたま通りすがりに出会う着陸機を見上げて、真っ白だったらがっかりしてなんてことやってたら、もっと効率よくできねーかと天の声。

毎日、JALの運行状況をチェックして、会社を抜け出す機会を作って、着陸のための進入方向をチェックして、ようやく獲得しましたよこの画像。

この飛行機は、沖縄美ら海水族館開館10周年とJTA(日本トランスオーシャン)創立45周年を記念して機体にジンべエを描いたB737-400型機。

    

すなわち、おなかに描かれていたのはジンベエザメに張り付いたコバンザメというわけです。

今日は、那覇-宮古の他、那覇-中部国際、那覇-福岡などの路線で運行しているようです。

2012年12月26日に運航を開始し、2017年12月末まで運行する予定ということですので、見かけたら餌を上げてくださいネ。

そーいえば昔、マンタを見に行った時のことを思い出したなぁ。

あの時も海底にへばりついてじっと上を見上げてジッと現れるのを待っていたさぁ。

ダイビングのシーズンももうすぐだ。


顔を上げて歩こうその2

2013-02-11 11:08:19 | 旅先

昨日は旧暦の1月1日。

沖縄では、正月が少なくとも3回あるってーのは以前にもお知らせしたかな?

新旧の1月1日に加え、亡くなった人のお正月「十六日祭(じゅうるくにちさい)」後生(ぐそー)の正月ともいいますね。

そこで爺も海の神様である「漲水御嶽」にお参りに行って、お礼とお願いをしてきたさ。

そのあとキッと顔を上げて帰り道についたら、見つけたじゃありませんか。

         

御嶽の鳥居に垂れている石灰分のつらら。

セメントに含まれる石灰分が雨で溶け出し、鍾乳石状態となっているわけですね。

そのうち下までつながって新たな名所となるかもね。

ところで、御嶽にある鳥居。

集落ごとの聖地にあった御嶽は、たいていこんもりしたガジュマルの木の根元にひっそりと拝所が置かれ、鳥居なんぞ無かったのですが、明治に入っての琉球処分以降の「皇民化政策」により神道施設として位置付けられたが故の鳥居設置といわれています。

しかしながら、地域の聖地としての御嶽を聖域として区別するのには格好の施設だったこともあり、爺は、皇民化政策とは切り離して受け入れられているのだという説に1票入れます。

今でも、御嶽に入る際は、鳥居の下で脱帽し、自分の住所氏名を唱えて、ご先祖に報告すべきね~というのが常識となっています。

宮古島には、宮古神社という神道施設が別にあり、御嶽は御嶽として心の中に存在しているのですね。

また、島の中には赤い鳥居を持った社が複数あります。

前回シマクサラシとイスラエルのことを記しましたが、赤い鳥居には魔よけの意味があり、ユダヤに伝わる、殺戮の天使から身を守るために玄関の鴨居と二本の柱を羊の血で赤くそめたというのが鳥居のルーツといわれているようです。

インディ・ジョーンズシリーズの「失われた聖櫃」の聖櫃と神輿の類似点とか、どこでどうつながっているのかまだまだ興味は尽きないのですね。