しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ヤシガニ保護

2011-06-29 16:41:07 | 生き物達

事務所の1階にあるダイビングショップにヤシガニ(島名:マクガン)が保護されている。

ヤシガニは、陸上生活最大の甲殻類で(ヤドカリの仲間)、絶滅危惧種に指定されていながら多良間島で保護条例があるのみという乱獲野放しの不思議な生物なのである。

また、ヤドカリと言いながら、あまりの大きさに宿となる貝がないため自らの腹部を堅い殻に仕立てあげ、その中に身を隠すというワザをもち、脱皮して30日余り次の堅い殻ができるまで引きこもってしまう。

        

ヤシガニにまつわるお話をご紹介しよう。

1.ヒトを食う

口に入るものなら何でも食う超雑食性で、風葬時代の宮古島では、墓におかれている遺体までも食べていたとされ、島内でも絶対口にしないというところもある。ショップでは、確かに、与えられるものは何でも食うらしい。

2.ヒトを倒す

何でも食べるという事から食べたものによっては、肉に強烈な毒性を持つものもあり、嘔吐・痺れ等の中毒症状を起こすことがあり、過去には島で死んだ人もいる。

3.ヒトを殺す

その名の通りヤシの木に登り、ハサミで穴をあけて実を食べるが誤って実を落とすことがあり、下を通行中のヒトにあたって死なすことがあるらしい。

4.ヒトところにとどまらない

保護されている金網の下部には受け皿をつけてあるが、金網を広げて脱走した輩もいるらしい。でも網をひっくり返して保護されている金網ごと逃走する知恵まではない。

       

それにしてもあまり食欲の起きる相手ではない。むかーし食べたことがあるが、たいしておいしいものでもないし。

結構長命と聞くので、足を広げて1mになるまで生きていて欲しいが、それまで脱走せずに保護されているだろうか?


炭火焼

2011-06-27 17:36:33 | 台風

今回の故郷に錦を飾った台風5号(メアリー)は、さほどの被害をもたらさず、文字通りそよ風程度の規模でございました。

が、なかなか台風一過の晴天とはならず、今週はぐずついた天候のようです。しかしながら、昨日の日没どき、一瞬空が赤く染まりまるで炭火を想わせる光景が展開されました。

       

炭火といえば炭火焼。しばらく口にしていないような気がするなぁ。

ところで6月23日は沖縄慰霊の日でしたが、1960年のこの日は、岸内閣のもと、日米安全保障条約が改訂され発行した日だったのですね。以来、ヤマトでは各地で安保廃棄集会が開かれているようですが、沖縄慰霊の日が1961年に時の琉球政府によって定められたという事実と並べると何かのつながりを感じざるを得ないところです。

琉球史を調べてみなきゃ   ゆっくりね


相変わらずマイペースな者たちよ

2011-06-24 17:25:08 | 生き物達

またまた台風が迫っております。今度のお名前は「メアリー」

って、アメリカ? ノンノン、なんと北朝鮮の命名で「やまびこ」の意だそう。きっちりお国に向かっていますぞ。

島の動物たちは台風慣れしているのか、あまり動揺を見せませんが、時々まともなのがいます。

       

おうちの2階のベランダに囲われた2頭の相似形。台風が心配で外を眺めています。島では放し飼いの犬がいるかとおもうとこのように2階のベランダで生活している犬もおりますです。

一方、我が家の駐車場に毎日訪れる放し飼われの「チビ」

       

外の悪天候に背を向けて昼寝の場所をキープ。ついでに家主も無視。出かける時も、帰宅時も全く顔をあげず、「オイ!」と優しく声をかけると、頭を動かさず眼だけを向けてで貧相な歯を見せるという特技を持つ。

昨日は、夕陽を眺めながらLanaiで缶ビールをたしなんでいると、台風を心配したカナブンが、プルトップの穴に飛び込み溺死。よほどビールが好きだったのか、こちらの道を選んだのか。皿にあけて弔ってやりましたが、どいつもこいつもマイペースな奴らでございます。

       

週末は、大荒れになりそう。あと1~2週間で収穫というマンゴー。なんとか頑張って愛好家に届いて欲しい。


何かおかしい慰霊の日

2011-06-22 17:18:40 | 宮古史

明日は、沖縄県では「慰霊の日」に決められ、県条例で定められた公休日です。

学校や県庁・市町村役場は休日となりますが、民間企業で休日となるところはほとんどありません。

「慰霊の日」とは、太平洋戦争沖縄戦で犠牲になった人たちの霊を慰め、平和を祈る日とされていますが、何故この日なのかについてはいろいろ疑問があります。

1945年6月23日未明、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決したとされています。そのことからこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。

え”ーーーーっ

沖縄戦20万の犠牲者の内、民間人が半数近い9万4千人といわれている沖縄戦。その慰霊記念日が本土の軍人自決の日っておかしくないですか?

この後も戦争は続き、この自決した司令官は、死ぬまで戦えと言い残し(たと想う)、組織を失った兵隊に民間人を守るすべはなく、犠牲者は増え続けていたのですから。

節目の時は、この後2回あり、米軍の沖縄戦終了宣言が出された7月2日、日米司令官が降伏文書に調印して沖縄戦が公式に終結した9月7日(8月15日は本土の終戦で沖縄戦はまだ終わっていなかったのですね)です。

沖縄県でも9月7日を公式な沖縄戦終結の日としており、県が建立した糸満市平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」刻銘基本方針には沖縄戦の期間を1945年3月26日から9月7日と明記してあります。

ではなぜ6月23日なのか。爺の灰色の脳細胞がピクリと動いて、そこには何か政治的な意図も感じられるわけで、でも今はまだ分からないのでココまでにしておいてやろう。

という疑問はさておいて、今週日曜日、宮古島市総合博物館慰霊の日特別展示「今に残る戦争遺跡」関連講演会に参加してきました。

       

沖縄戦開戦に先立つこと5ケ月、1944年10月10日朝、突然米軍の空襲が始まり、それまで準備を重ねていた日本軍の3つの飛行場(陸軍2海軍1)はなんの役にも立たず、地上戦に備えて自然壕や地下壕の利用が進みます。講演は、その中のいくつかの壕の調査結果についてのもので、そのうちのいくつかが我が家のそばにもあります。

       

これは、特攻艇秘匿壕と呼ばれるもので、結局ここから出撃することはなかったのですが、人口6万人の島に3万人の軍隊が駐留、食糧や水の調達、施設建設に多くの島民がかりだされたことは想像に難くありません。もちろんシモの世話も。

       

指揮所や陣地壕は中でつながっているものも多く、最大のものは400mの長さを有しておりました。その中の一つの平面図です。

       

ヤマトでの戦争観と沖縄での戦争観(特に非戦闘員の犠牲と終戦処理に関して)とはずいぶんと違う事を知ってきましたが、やはりヤマトは平和ボケでしょうか。

戦争を避ける努力は必要ですが、島に上陸する他国の侵入者に対して、何も武器を持たず「この野郎話し合うぞ!」というしかない無力感はどーでしょう。


宮古島まもる君パーフェクトガイドいよいよ明日発売

2011-06-20 17:12:39 | news

何故か微妙に顔の違う「人体模型形交通安全看板 宮古島まもる君」のパーフェクトガイドがいよいよ明日発売されます。

トーナメントで最優秀まもる君まで選んだのに、形成手術を受けたり、勤務地変更だったりと相変わらず平穏ではなさそうなまもる君達ですが、その全貌が違う視点から明らかにされます。爺の足で集めたまもる君の本当の姿とはいかに?

          

出版したのは㈱アドビズ、宮古島から初めて発売される電子書籍としても注目されています。下のサイトでご確認を!

http://pukarasu-shop.com/

編集にあたったのは、ダイスケ君という知人で、オトーリに弱く井戸探しマニアとしてもいっぱしの若者であります。

これからもいろいろな本を出す予定という事なのでご支援よろしく。