しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

リトハクだって

2013-01-28 18:38:27 | DB

先週末、那覇へ出かけたら、ユイレールがラッピングされていました。

       

「沖縄の魅力が丸ごと詰まった離島博覧会リトハク」で、沖縄県のを15の離島パビリオンに見立て、それぞれの島の魅力をPRしようという例の一括交付金を使用した事業だそうな。

知らなかった。

個人的には

宮古ブルーよりも  ミヤコバルト  イラブルー を宣伝しているのだけれど.....

1200万かけているそうです。

お疲れ様です。


緑のタマゴ

2013-01-23 17:05:16 | グルメ

無謀にもこの島で純米酒だけを飲ませる店でお会いした近所のにーにー。

ちょっと前に厚岸の牡蛎をたらふく食ったところさぁね。

このにーにーは、4軒半隣に住んでいながらこの3年間声も交わしたことのない人だったさ。

向こうは爺が家の前でうろうろ、ふらふらしているのを何度も見ていたらしいのだけれど。

ニー二ーは養鶏場を経営していて、不思議なタマゴを生ませているらしい。

君達は、緑色の殻をもった卵を見たことがあるか!?

知っている人にはごめんなさい。

そこで届いたこのタマゴ。

       

中心においたのが普通の赤色タマゴ。

黒翡翠鳥の翡翠タマゴ。烏骨鶏(うこっけい)の血統だそうです。

       

黄身の大きさと卵白の盛り上がりが美しいたまご。

さっそく卵かけごはんと大好物の稲庭うどんに落としていただきました。美味美味。

あっ!麺類は宮古そばだけを食していると思ったら大間違い。いろいろ変化球を投げるのさ。

さて

2日間続いた「オトーリ」検索事件の謎」が解けました。

閲覧数は、20日が824、21日が2,152、22日がもとにもどって116。

穏やかな日々が戻ってきました。

下を開くと、ヤフーニュースで地元紙沖縄タイムス記者の「オトーリ禁止条例から30年」に因んだ記事「宮古島オトーリ別れる賛否」が読めます。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/local_people/

この記事の下にリンク先としてこのブログが載っていたわけですね。

一件落着。


お墓めぐりの続き

2013-01-21 18:00:51 | 宮古史

今朝はびっくりしました。

いつもは、記事をアップすると90人前後の訪問者。怠けていると50~60人程度。

それが昨日の訪問者はなんと260人。

いつもの訪問者以外は、18時から22時の間に「オトーリ」を検索して、2010年4月12日の「オトーリの歴史的意味」という記事にアクセスしてきたようです。

きっとどこかで「オトーリ」が話題に上り、クリック、クリックしたんでしょうなぁ。

さて久しぶりのお墓ネタ。

復習すると、宮古島在来のお墓は、ミャーカと呼ばれる巨石墓(石を積み上げて1枚岩で蓋をした風葬墓地)から沖縄本島の影響を受けた横穴式のお墓になり、やがて屋形墓に変化したのでしたね。

この墓は、巨石墓時代の墓といわれているが、築造技術としては未熟なもので、石を四角くカットし積み上げた壁によって支えるのではなく、4隅の柱石で蓋を支え、その壁は小さな石を積み上げたもののようです。

       

石蓋の下に、いかにも支えてますという風情のガジュマルが人の字型に見えていますが、これは芽を出してから上に伸びられず、横に逃げ場を求めたもののようで、面白い雰囲気になっています、

中は、空洞で柱の間を埋めていた石は今はありません。

       

ここにもガジュマルが絡み付いています。

このお墓は、宮古島統一戦で目黒盛に敗れた与那覇原一族の共同墓地といわれていますが、築造された年代は不明です。

今日は久しぶりに24℃まで気温が上がり、春の陽気でしたなぁ。寒いヤマトの皆様お体に気を付けて。


一区切り(爺のお仕事)

2013-01-17 17:21:50 | 生き物達

6,434人もの人の命を奪い、貴重なものをたくさん失った阪神淡路大震災から18年たちましたね。

その間には、15,000人以上の死者と5,000人近い行方不明者をだした東日本大震災がありました。

あらためて、亡くなられた方のご冥福とふるさとの復興をお祈りしたいと思います。

さて、

年末から取り掛かっていた堤防の調査の仕事が、天候不順もあって大幅に遅れましたが本日、現場での調査作業が終了しました。

堤防上での作業は前回お知らせしましたが、もうひとつ、海の中での調査があります。

堤防本体を守る、消波ブロック(テトラポッドとして有名ですが、テトラポッドは商品名なので軽々には使えないことになっています)の破損、移動状態やそれを支えている基盤の部分を目視して、問題を探す調査です。

潜水夫の資格を持ったダイバーが撮影してきた写真を見て問題を探し出すわけですが、ダイバー船に同乗して船上からの安全確保や結果を素早く見て、再調査の指示をだしたりするのが爺の仕事です。

これは、群れから外れた消波ブロック。置かれたときにすぐに転がったか、その後の波などで独りぼっちになってしまったものです。

      

また、作業には、サメ監視船と船舶監視船が義務付けられていて、航行する船やサメの出没に備えます。

海中には、サメ出没の場合に身を守る「サメ檻」と呼ばれる檻が置かれますが、正確には、サメを入れる檻ではなく、人が避難する檻です。

       

中には予備のタンクが置かれ、サメがいなくなるまでじっと待ち続けることとなります。

とにかく、気が抜けない作業で、自分がダイビングするほうがよほど楽ではないかと思われるくらいです。

予想されるリスクにどう対応するか、予測と妄想の谷間に揺れる思いの日々なのであります。


看板と出会う

2013-01-14 12:16:18 | 旅先

街を歩いているといろいろな看板に出会います。

この島の特徴は、建物の壁に直接ペイントすることです。

たぶん、袖看板や屋上看板、野立て看板では強風で消滅するからではないかとみているのですが......

それが故に、時がたち、お店がなくなってもその文字は消えず、かといってかつて何かがあったぐらいにしか読み取れないものの方が多いのですが。

       

いまはもう閉店したなんでも屋さん。

また、もう移転してそのものはないけど看板だけは残っている「宮古そば」の有名な製麺所あと。

       

現在は、室内に見える洗濯機から想像できるように、クリーニング工場となっています。

これは絶対に消さないぞ、という、強い意志が感じられるのがこの看板。

浮き文字型のいわゆるチャンネル看板とは逆に文字を型でくぼませています。

       

これは何やさんかというと、宮古島の商業発祥の地に立つ、介護施設。周辺は、パブやクラブの立ち並ぶ飲食街。むーーーん。微妙な立ち位置ですな。

この看板なら何年たっても大丈夫という見本がこれ。

       

TAURA SLAUGHTER-HOUSE

扉に描かれている木工所のことではありません。平良場のことです。

どうも、アメリカによる沖縄統治の時代(1945-1972)に使われていた場らしいのですが、市街地のど真ん中に建てられていたこの建物。貴重なものだと思うのですが.....

もう一つ、ウミガメが商品として流通していた時代。

ウミガメ剥製工場があったことを忍ばせるこの看板。

            

これもいつか人知れずなくなっているのでしょうか。

場の看板を見つけるに当たり、島の住人さんに情報をいただきました。

DAISUKE君ありがとう。