しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ニガイのよ

2011-10-27 17:00:33 | ウタキのうわさばなす

宮古警察署の前に集合した宮古島まもる君達。

暴行を受けたのは2体だったはずなのに、何故か1体増えて、もともと勤務していた1体と新人まる子ちゃんと合わせて5体も並んでおります。

怪我のリハビリをしながら次の勤務地指示を待っている2体の横にいる1体はどこから来たのでしょうか。

探し出しました。市の北部西原にある西部小学校前に勤務していたまもる君でありました。

        

台座の低いのがそのまもる君です。今度の勤務地が、人の目につきやすく、できるだけたくさんの人に守られている場所であることを祈ります。

まもる君を守りたいまさる君の切なる願いであります。

さて、このまもる君が勤務していた西原という土地にちょっとした問題が起きています。

18世紀末、薩摩の支配下の琉球王朝からやってきた検使は、島のいたるところで行われているウタキ籠りや祝い事、ウタキ掃除と称しての飲み食い等の多さに目を見張り、これらを禁止する規模帳と呼ばれるものを令達しました。

それから400年近くたった今でも年間50以上のニガイ(願い)行事があり、それを執行する人の不足が心配されています。

西原集落では、これに携わる女性は「ニガインマ」と呼ばれ、47歳から56歳までの10年間、50近い行事の準備を入れて年間120日近く関わることになるのです。

大家族時代の家事を皆で分担していた頃に比べ、共働きの増加や晩婚、世代別居等、なり手を減らす要因ばかりが増え、来年になると5人必要なニガイ行事の運営に2人しかいなくなるというのです。

おりしも島では小学校統廃合の問題で揺れています。ここの西部小学校も他の3校と統合の計画があります。

小学校が無くなると地域活動のエネルギーが低下することは事実だと思います。

西部小学校に勤務していたまもる君もそんな地域の実情にいや気がさしたのでしょうか。

島の人口自然増に寄与できないもどかしさをニガイ思いで見るしかないのかねぇ。


男が拝礼できないウタキ

2011-07-22 17:24:53 | ウタキのうわさばなす

宮古島市中心部に位置する「下里大通り」の一角に、10年と1億5千万円をかけて「宮古島市公設市場」が完成しました。

途中、都市計画変更手続きをミスるという突っ込みどころもありましたが、

精肉・鮮魚・土産物・特産物・食堂・レストラン等32店舗が入居し新たな交流拠点として期待されています。

どこが中心かわからない市街地の核になりうるか注目しましょう。

        

この公設市場の北200m、市役所のすぐ隣に南に向かって建つ「住屋御嶽(スムンジャーウタキ)」があります。

        

これだけ見ると市役所の近くにこんな空間が?と思われるでしょうが、どこにでもありますこんなとこ。

でこのウタキにまつわるお話は.......(向かって右:島では右左とは言わずに東西南北というので正確には東のウタキ、さらに磁石の示す東西南北とは微妙にずれているから厄介さぁ:の祠は近くの「ニィーマトゥクルザー」から移したといわれている自然石が置かれているのですね。その「ニィーマトゥクルザー」とは島を二分して戦った与那覇勢頭豊見親と目黒盛豊見親の前者の方にまつわる拝所で.....先に進めないので以下略)

母親に早く死なれて怖ーい継母に育てられていた7歳の子が、この子を亡き者としようとした継母の命令で食わず芋の葉を取りに行ったところ深い洞に落ちてしまいました。落ちる途中で蔓に引っかかって7日7晩泣きとおした上、あろうことか継母と同じ思いの父親に蔓を切られ奈落の底へ。全然変わっていないぞ鬼の父母。

地下の国の根入りヤの神は、奈落の底でも正しい心を持ち続ける子供を不憫に思い、現世に帰してあげました。現世に戻った子供は住屋山に入り、「根入りヤ下りあろう踏む真主」と崇めまつったという一節。

父親に、現世との接点である蔓を切られた子供は、男を呪い始め、男が拝礼してはならぬとの言い伝えが生まれたいう事です。

現在は、学問の神として参拝されていますが、祭忌行事のお供え物は男に与えるなとも云われているようです。

ウタキを見たといっても迂闊にお参りしてはいけないというおはなすでごわした。