しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ご当地検定宮古島版その4

2010-05-31 17:12:25 | しらべもの
このシリーズも今回で一旦終了し、次回の中級検定まで勉学に励むことといたしましょう。

さて、最後は先島諸島の英雄「仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)」の墓の前で、今年3月定年退職した砂川玄正さんの説明を聞く。砂川さんは、図書館長や宮古島市総合博物館長を務めた地元の歴史文化の大先生ですが、歴史文化よりも現世の生ネーちゃんの方が好きみたいで、とある忘年会でご一緒した時はお店を何店も掛け持ちして文化しておりました。元気ですよ。いつも酔っているとしか思えないけど。

時は14世紀の後半、おりから島を荒らしまわる「与那覇原軍団」を制圧したはずの目黒盛豊見親(豊見親とは名高き領主という意味の島の首長の尊称)と制圧されたはずの与那覇原勢頭豊見親の二大派閥が島内に存在し何となく均衡を保っておりました。15世紀に入って目黒盛豊見親の五代目として誕生した仲宗根はこの2大勢力を一つにまとめ、あのオヤケアカハチの乱を通じて先島の支配者として君臨、行政、税制等を整備、歴史上の英雄として記録されている一件でした。

ここに住む以上良かれ悪しかれ知っておかなければならない歴史のようです。

さて、現地見学も終わって、問題に答えることになるわけですが、私の間違った問題2問を公開し、戒めとしたいと思います。

その1

「低カロリーで知られる沖縄の太モズクに含まれる抗がん物質の名は?」

  ①フコイダン ②DHA ③カロテン

その2

「国指定の天然記念物で宮古島に住む体長40㎝の達する日本産で最大のトカゲは?

  ①キシノウエトカゲ ②ミヤコトカゲ ③サキシマノボリトカゲ

突然ですが、宮古に新しいイメージキャラクターが誕生しました。



みーや です。よろしく。

全国から377件の応募があり、大阪市に住むグラフィックデザイナー塩崎アユミさんの作品です。

上の正答は①①でした。


たーけの橋上部工1,000m到達

2010-05-28 17:16:02 | たーけの橋
クリスマス以来半年ぶりのたーけの橋情報です。

上部工工事が橋梁部分3,700mのうち1,000mに達し、このほど関係者だけで記念式典を行い、その後関係者だけで駅伝大会を開いたそうです。



少し前には地元の住民を招いて見学会が催されたようです。



古酒卵は海岸から眺めました。

関連事業として伊良部島側の橋詰に予定されている広場の検討や新たな地下ダム建設とそこから送られる農業用水管設計等が行われています。

たーけの橋と言われないようにといくら頑張ってみても..........



伊良部側から見た工事状況です。こちらは橋よりも土工の方が多くなっています。

今回の写真のうち2枚は、伊良部大橋建設事務所の進捗報告から転載しました。

週末は雨模様。当地では、「美ぎ島ミュージックコンベンション2010」が開催されます。

出場アーチストはゴンチチ、山崎まさよし、キマグレンあとは知らない人ばかり。イヤササ良い週末を








のびのびゴーヤとだらだらチビ

2010-05-26 16:06:56 | 菜園
4月中旬の週末、大阪のO川夫妻が来島しておりました。

そのあたりに、紳助社長のプロデュース大作戦ロケ隊が宮古入りしているらしいという噂が島内を駆け巡りましたが、昨日放送されたようです。

みやこまもる君の歌がTBSから発信されるとは感慨深いものがありますなぁ

民宿オープンの日には加納姉妹を呼ぶ計画だそうですが、「都会で傷ついた羽根を休める」というコンセプトとは相容れない企画であるように思われます。

さて、
その際夫妻の手で種まきしていただいたひまわりが30センチ近くになりました。

その向こうのネットに絡まっているのは、ひまわりの翌週に隣の雑草地で見つけたゴーヤーの苗を移植したものです。

もう1m近くになっています。

さらにその向こうにいるのは、例のだらだら犬「チビ」です。やつを見るとこんなだらだらしていてはいけない、と身が引き締まります。

チビとはミャクーフツでお尻の意味があるそうで、ヤマトで使うチビの愛称とは異なった意味で使われているようです。



この前の「夕焼け通りオトーリ」で明らかにされたのですが、チビは隣の家の軒下で産み捨てられていたそうで、隣家と我が家はどうも生まれ故郷と思っているらしいのです。それにしても毎日故郷に帰ってくるな!

ご当地検定宮古島版その3

2010-05-24 17:10:43 | しらべもの
昼食を終えた我々は、島の中南部にある地下ダム資料館に向かいました。

宮古島は以前報告の通り大きな川がなく、年間2,200mm降る雨も貯水できないため、生活は干ばつと台風との戦い、というよりは常に負け続け、神様に頼るしかないものでありました。特に、農業はサトウキビ以外、売り物になる作物ができず、水利用の農業は夢のまた夢という状態でした。

その状況を革命的に変えるきっかけとなったのやはり干ばつでした。1971年(昭和46年)3月から9月までの半年の間の降雨量が162mmという大干ばつが襲い、昭和47年の復帰と同時に国が調査を開始しました。その結果、最大約120メートルの厚さがある琉球石灰岩の地層に貯められ海に流れ出ている地下水を、地中に埋め込んだコンクリートの連続壁によって下流でせき止めるという工法が採用されることになりました。これが世に言う地下ダムであります。大干ばつから27年たった1998年(平成10年)に2つの地下ダム(実験用がもう一つある)が完成し、ここに貯水量2,000万㎥(東京ドーム16杯分)の農業用水が確保されることとなったのです。

そうこれは農業用水なのです。しからば、生活用水はどこから?どうやって?

宮古島水道誌によると、人が住み始めてからしばらくは「自然洞窟時代」と称され、湧水や溜まっている雨水を利用していたとのこと。その後、13世紀頃からはちょっと知恵がついて井戸を掘ることを知り「掘り抜き井戸時代」に入ります。女性や子供の日課となる共同井戸の水汲みから各戸の井戸に変化し、雨水の貯水タンクと併用しながら水を得ていたということです。

「自然洞窟時代」の水は、多くは洞窟の底にある湧水を汲むもので「下って水を汲む」という意味の「ウリガ―」と呼ばれ、18世紀初期の書物には59ケ所が記録されているということです。この湧水地群のいくつかは国や市の文化財として指定され、市街地や郊外の集落の近くに今も残っています。その訪問記もこれからの楽しみの一つでありますね。

この水道水は、結構厄介な水で、炭酸カルシウムを多く含む硬水のため湯沸かし器に悪影響を及ぼすなどの問題があったことから、浄水場で流動床式晶石軟化法(ペレットリアクター法)を導入し硬度の調整を行うようになったということであります。それでも、鍋ややかん、コーヒーメーカー等定期的にクエン酸で洗浄してやらなければへそを曲げてしまうのですよ。

さて、終戦後の米軍の占領下、軍専用の鉄の水道管が民間の利用もできるようになり、1952年(昭和27年)市内の水源地から上水道敷設工事が着工され、1957年塩素滅菌室と排水池の完成によりようやく浄化滅菌された水が供給されることとなったのでした。
米民政府はその後、水道マスタープランを作成、1967年(昭和42年)全島水道化が達成されたのでした。

あ”ーーーっ、復帰に先立つこと5年も前に全島に上水道が引かれ、地下ダムは農業用に作られたものであったとは知らなんだ。浅学薄才を恥じ、オトーリで学ぶこととしよう。

その地下ダムがどのように位置しているかを資料館の展示物から見てみましょうね。



宮古島は北西から南西に大きく6条の断層があり、断層に沿って地層が傾いていいるため三角柱状の地下水盆が形成されている(ケスタと呼ばれているのでしたね)ことは2月15日にお勉強しました。

その琉球石灰岩の下には水を通しにくい島尻層泥岩の地層が横たわっており、地下水はこの上に蓄えられる形になっているわけです。そこで、断層の間にせき止めるダムを作り、その上流の地下水をくみ上げ農業に使用しているということなんです。

赤い線で囲われているところが地下の貯水範囲で、写真下部の海に近いところに連続地中壁が設置されているということです。

なお、地表から浸透する排水によって水質が悪化することを防ぐため地下水の水質監視が行われており、重要な地下水源のある地域においては畜産やリゾート事業などの開発が規制されています。



ここは資料館のそばにある、ダムの露出部で水質検査の為の取水口を兼ねています。

以上のようなこれぞ宮古学という重要なことを学びつつ、日本百景のひとつ「東平安名崎」へ向かったのであります。去年の8月8日には、ここにある絶世の不倫美女マムヤの墓の主、マムヤについていずれ記しますとか言っていたのに本日も先送りします。

東平安名崎の有名な写真がどこから撮られているか今まで疑問だったのですが、今回判明しました。おまかせくださいもう大丈夫です。ここです。(長くなったので誤字脱字などあると思います。各自チェックしてください。)


シロアリが出たら通りオトーリが始まった

2010-05-21 16:31:21 | アバウト
横道それっぱなしでまだそれてる。

先日、自宅内で不審な昆虫の羽根を発見。

勤務先のジモティに見せたら「絶対シロアリさぁ」

やばい、築4年、シロアリ対策をしてあるとは聞いてないし、ついに出たか。

さっそく、市内のシロアリ業者を紹介してもらい見積もりをしてもらうことに。

自宅でシロアリの豆知識を仕入れ見積もりの話をしていると......

南隣り人が白いレジ袋を両手に下げ外からシロアリ業者を呼んでいる。

今は空き家となった西隣りの家の前で始まったのが夕焼け宴会。

そのうち東隣り人、帰宅途中、散歩途中の近所の人を巻き込み、例の我が家をアネックスにしている犬、チビまで参加して通りオトーリの始まり始まり。

              

このあと、西隣人を含め瞬間最多参加人数10人へ。

その中でまとまったのが「夕焼け通り会」の発足。

この地の東シナ海に沈む夕景色をサカナにオトーリを回すだけではなく、この通りを(結構対立があるらしい)住みやすい地域社会とするため力を合わせようという趣旨だそうである。

そもそもシロアリ対策からどーしてこーなったのかというと

業者へ住所連絡→近くに知人が住んでいたはずと南隣り人に連絡→それは隣のおうちだよろしく→久しぶりだな今日行くよ→待ってるよ買い出しして→おーい来てるか→これからこの通りでシロアリ対策するから今回はタダにしておけ→いやいやタダほど高くつくものはないから1円でも払っておけ→良いこというじゃないかお前が会長だ→よしあそことあそこの家を呼んでこい

となったわけ

いやはや、人生こうやって何かのきっかけで道を踏み外したり、塀の外に落ちたり、一攫千金をつかんだりするのだなぁとふかーく考えさせられる一夜であった。