しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

マンゴーの花

2010-02-26 11:53:18 | グルメ
今年もマンゴーの花が咲き始めました。

         

これから受粉をして3月下旬から小さな実をつけることになるそうな。

このマンゴー園は、勤務先の役員のマンゴー園。

今年からはこれで商いをさせてもらいまっさぁ。予約受け付けたるわ。

どーや?美味そうやろ?ってわかるか

        

貴重な地形を見る

2010-02-22 17:04:13 | 宮古史
宮古には知る人ぞ知る、まだ文化財にも登録されていない貴重な地形がある。

その名も「石灰華壇」。研究者によって『ティダガー「三百枚皿」』と名付けられている。

公道からの入口も思い出せないようなキビ畑の中を歩いて断崖の端に行きあたる。

        

急な断崖をロープを伝って下りると

        

宮古では珍しいツルツル岩が転がり、いきなり開けた空間にでる。

そこには

        

不思議な地形が広がり、「自然の造形美」という陳腐な言葉でしか表わせないような美しい光景が広がっていたのであったのだよ。

この地形、石灰分を含んだ地下水が太陽熱で蒸発、沈殿物が「石灰華」となり、段丘面の地形によっていろいろな広がりを見せながら、ダム状の地形が下から上へ棚田状に作られた結果だそうな。

ヤマトでは、秋吉台の「百枚皿」という鍾乳洞内のものが有名だそうだが、これだけオープンな石灰華壇はめったにないそうな。少なくとも沖縄にはない。


断崖の下からはいまだに水が湧き出ていて現在も造形中である。

         

ここの地名ティダガーのガーとは泉、湧水をさし、島のあちこちに昔の水汲み場の跡がある。文化財として史跡指定されているもの10数か所。


一つ一つにいろんな歴史と言い伝えがあるのだろうな。

んーーーーーーん 井戸だけに奥が深い。

みみちりぼうじ

2010-02-19 17:23:16 | かたりべ
さて、多良間で聞いた歴史のお話。

多良間島には、1,700年頃那覇波上護国寺の住職、真言宗の僧「心海」が島民たちを教導しつつ生活をしていたという遺跡がある。
寺山遺跡、地元では寺山ウガンという。
この僧侶がなぜここに来たかという理由は公的には不明で、説明板にも「流刑にされてきたといわれているが真相は不明である」と記されている。

          

ここで先日の福盛家が登場する。
福盛家の庭には、代々絶対埋めてはいけないと伝えられる池があり、心海上人が作ったものといわれている。その池は、心という字の形をしておりまさしく心海上人の手になるものだと信じられている。
今は、水が干上がっており降雨時にしか池にはならないそうだが、地表水を集められない島の地質を知らないものの仕業としか思えないともいえる。

この心海上人はなぜ多良間にやってきたか
その秘密は福盛家だけが知っているのである。(らしい)

話は変わって、本島に伝わるわらべ歌に「耳切り坊主」(みみちりぼーじ)というのがあるそうな。
内容は、「泣かないで泣かないで、泣き続けているとカマをもった耳切り坊主がやってきて耳をグスグス切られてしまうよ」てなこれでよく眠れるなという結構恐ろしい内容で、みみちりぼーじは妖怪の一種なのですな。
なんでこの坊主が妖怪になったかというと、ここからは子守唄とは思えない内容。
この坊主元々は、黒金座主(くろがにざーす)という僧侶。
色欲淫猥強欲変態までいくかどうかは知らねど、まあそんな感じ。寺に女が入っていっても出るのを見たことがないっちゅうくらい食べつくしたらしい。妖術使いとも。
そこでこれを成敗しようと北谷王子に白羽の矢が立ち、すったもんだの末、耳を切り落とすことで命は助けようと王子が成敗したのだが、結局破傷風で命をなくしてしまった。
これを恨んだ黒金は死後なぜか男の子を見ると耳を切りたがり、その話が子守唄となって今に伝わるというお話。

元に戻って、心海上人はこの時、黒金の弟子か何かで連座の罪を受け、多良間に流されてきたというのが福盛家に伝わる言い伝え。(らしい)
まどかちゃんもゆうたくんもしっかり伝承してほしい。

それにしてもこんな恨み話を子守唄にするのは、子守役の少女の意趣返し4回転としか考えられないというもっと残酷な解釈をしてみるのはどーだろうか。

わらべ歌自体はまったりしてすぐ眠くなるようなオキナワ音階なので一度聞いてみてください。
http://rca.open.ed.jp/city-2002/song/song_13.html

最後に、寺山ウガンの根抱き岩を
根に抱かれているのか緊縛されているのかどっちでもいいけどすごい力を感じる。

          

民泊体験

2010-02-18 12:02:06 | DB
農家生活と自然に触れるつもりが生臭い男の業に触れてしまった離島の旅

       を語る前にどんなところへ行ったかを教えようね

          

尾翼にシーサーをあしらった琉球エアコミューターDHC-8双発ターボプロップ機で宮古空港を離陸すること20分、もう着いた。ついた所はどこでしょう。

          

旧暦8月8日から3日間行われる豊年祭(8月踊り)といえば多良間村(たらまそん)
人口1,400人足らず、牛の頭およそ4,000、面積19平方キロの隆起サンゴの島である。

          


今回のツアーは、沖縄県が実施している
「平成21年度宮古地域離島広域連携推進モデル事業」において、多良間村における農家民泊事業を立ち上げる取り組み(グリーンツーリズム農家民泊推進事業)の一環として公募された農家民泊モニターツアー   ながーい   なのだね。

同行は、配偶者とお隣のSHANTIさん

あいにくの天候で戸外での活動はほとんどする気もおきず、夕方から宿泊先の玄関で雨空を見上げ哲学しながらオリオン→島酒しておりました。

          

この家は、受け入れ先の事情で空き家を活用したもので、生活できるよう急きょ手を入れた家らしい。トイレは別棟、風呂はシャワーのみで当日使用不能。まあいっか状態。受け入れ先は「富盛」さんといい、地名が多い姓の中でなんと希望に満ちた縁起の良い姓であることか。

この富森さんの実家がすぐそばにあり、低い石垣とフクギの防風林が宮古とは違う八重山風のたたずまいを見せている。

          

そして受け入れ先の母子
一緒に朝食と夕食を食べ、過ごした時間は数時間だが、てらいのない(何年も使ったた事のない言葉だが、いまどきこの言葉が似合う人たちがいるなんて)人柄に、感動してしまった。
まどかちゃんとゆうたくんに感謝。

          

ところが
一夜明けて、我々はとんでもない歴史を知ることになる。

宮古の地形のお勉強

2010-02-15 10:27:55 | 宮古史
今日は宮古の地形について知ってもらいましょう。

突っ込みがいのないお話ですが許せ。

宮古島の基盤をなしている琉球石灰岩は、6から7本の断層層が北西から南東に走り、緩やかな南西斜面と急な崖か急斜面となっている北東斜面から形成されているのが特徴である。

この嶺と嶺の間(写真の黒い筋状の部分)に表土が堆積し主に耕作地として利用され、崖の部分は林となって緑の帯となり、さらに崖下からは雨水が浸透した地下水が湧き出ている。

この地形の縮小版が南部海岸にある。島内の道路を走るとこれを実感できる。

          

この地形は「ケスタ」と呼ばれ、ニューメキシコで見られる地形から命名されたものでこの海岸の縮小版を「ミクロケスタ」と呼んでいる。

この海岸には、多くの化石が無造作にそのままに放置されており、何の案内もないためほとんどの観光客が見逃してしまう化石もある。

          

およそ1,700年前に生息したオオシャコガイの化石である。

死んだシャコガイの内臓部分が砂礫等と入れ替わって化石となったものだそうで、殻の部分は、外れて流出したか人の手によって採取されたかである。

この化石のそばに立っている白い帽子のおじさんが今回の話のネタ提供者

宮古島市文化財審議会委員 安谷屋 昭先生  である。

ここの海岸は、復帰後の建設需要で深さ3m以上の砂が採取され丸裸になった結果、ミクロケスタや化石が露出したもので太古の豊かな海と静穏な砂の海岸がしのばれる。

サンゴの化石をもう一つ。

          

このような塊状のハマサンゴの化石がいくつも転がっているが、保存の動きはなく、観光客に対しては、私のようなしっかりしたたくさんのガイド育成と携帯につけた「ミヤコマモル君ストラップ」、観光客自身の良心によって保存できたらと願うばかりである。

しかし、先生のお話では、地元の子供たちによる悪戯が最も怖いということだが。