しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

宮古島ランチ(ひさしぶりにその4)

2014-02-27 17:26:44 | 島食

久しく外で食べていないランチ。

ようやく行ってきましたよ、丼喫茶「フルハウス」

       

店に立ち入った途端のデジャブ。

30年以上前のテーブルでゲームができる喫茶店。

30年以上前は美人だったと思われる店主。

固まったまま入り口でたたずんでいると

「食事ですか?今は喫茶だけなんですよ~食事は来月から再開しますよ」

との仰せ。

店の中も、元あぱらぎの店主も撮る間もなく取り乱し、店をいったん出てから舞い戻り、壁に貼ってあるメニューだけは確保してきました。

      

メニューのうち丼物は5品目。最安値の玉子丼450円から最高値のかつ丼650円まできっちり50円間隔。

古くから料金を変えていないものと料金を変えたらしいっモノがはっきりわかるメニュー。

玉子丼より高い、それぞれ500円のシューマイと手作りギョーザ。

トンカツ定食650円に対し納豆定食750円。

アールグレイをアイスティーで、ダージリンをホットティーで出すこだわり。

カルピスコークという初めて目にするメニュー。

予習を終えてきっちり来月はランチしに行こう。まずは玉子丼からだなぁ。


JA8571 ちゅらわし2号

2014-02-24 17:42:28 | news

措置檻 もとい ソチオリンピックが閉幕しましたね。

5時間の時差というのが微妙でついつい起き続けるパターンになってしまいますなぁ。

このブログの訪問者も期間中は、いつになく深夜1時ころにピークを迎えるパターンが多く、こちらやあちらで時間つぶしをしているのかしらなどと勘ぐってしまいました。

皆様お疲れ様でございました。

キムと浅田の採点論争も場外乱闘寸前でございましたが、下のサイトの漫画解説がなかなかの面白さでした。

http://happyeveryday.biz/post-2364

閑話休題

平和の祭典もきな臭さを残して終了したところで、日常に戻ります。

今日の宮古空港。海上保安庁第十一管区海上保安本部那覇空港基地所属のジェット機が姿を見せました。

機体記号 JA8571   FALCON900 です。

       

2005年までは羽田空港所属の「おおたか2号」として任務に就いていましたが、その後「ちゅらわし2号」として現在の基地に配属されたものだそうです。

太平洋を無着陸で航行できるGulfstreamⅤが導入されるまでは、海保唯一のジェット機として全国で2機のサーチ&レスキュー機でした。

まだ現役で、宮古空港での飛来目的はわかりませんがその利用目的や機能にかかわらず、航空機は心惹かれるものがありますです。

離陸するJTA560便とのツーショットです。

       


やーふく

2014-02-21 17:02:10 | 日記

今を去ること60年ほど前、当時、道都S市の郊外に居を構えた両親は、息子の遊び相手に周辺の住宅建設に携わる職人さん達を選びました。

一口に職人とは言いますが、その工程でいろいろな人が出入りします。

その時の測量から基礎打ち、(中略)、建具を入れて完成までの過程を見守ってきた経験が、その後の職業選択に大きな影響を及ぼしたことは否めません。

でも、建築屋でも、電気屋でも、左官屋でもなく土木屋を選んだのは測量器械を覗いた時の驚きが原因だったのでしょう。

その若き日の原体験を今、追体験しています。

我が家の前に建設中の住宅の一部始終を観察できる機会に恵まれたからです。

敷地境界問題でしばらく止まっていた工事が再開しました。工事が止まっていたのは境界問題ばかりではなく、昨今の建設バブルと消費税増税前の駆け込み需要で、鉄筋屋さんの手が足りないことも一因なのかもしれません。

       

周辺にブロック塀を建て(これはやめてほしかったけれどねぇ)整地した後、奇妙なことをはじめました。

防湿なのかどうかはわかりませんが、ポリエステル風のシートを敷き詰め、隅に捨コンを打っています。

シロアリ対策なのでしょうか。それでも周囲のコンクリートと土の間からの侵入を防ぐことは難しいと思いますが。

その上に鉄筋を組み立て、べた基礎とするようです。意外と簡単な基礎ですが.....

       

そうして組み立て終わった鉄筋くん。

それにしても小さく見える。元の家の半分位しかないのね。

       

いつ現場の人間に話しかけて、変なおっさんと思われようか胸を躍らせている毎日です。

タイトルの「やーふく」とは家(やー)を建てるというみゃーくふつです。

ちなみに、住んでいる周辺では、大工は「さやふ」、左官屋は「むつざやふ」、棟上げは「むにあぎ」といいます。外国です。


しょう爺の宮古島史 2.人頭税とサトウキビ栽培

2014-02-17 18:06:43 | 宮古史

しばらく続いた雨でサトウキビの収穫ができず製糖工場が操業停止となっていましたが、ようやく再稼働したようです。

その原因は、生産者の高齢化で最近増加した機械によるキビ刈り(ハーベスタといいます―ザリガニみたいです)が雨で稼働できなくなったからです。

         

こちらは手刈で刈り取られたキビの束。

         

一束が500㎏から600㎏。10束ほどありますから、今年の価格ではこれ全部で11万から13万円ぐらいでしょうか。

1トン当たり21,800円のうち国の交付金が16,320円。砂糖輸入の関税が財源です。

TPP協定に敏感になるはずです。

このあたりは前にも書いたかなぁ。

このサトウキビ、宮古島で栽培され始めるのは明治に入ってから。それまで栽培が禁止されていたのです。

それは、琉球王府が宮古島に課した税制と無縁ではないのです。

 

「人頭税」正しくは「定額人頭配賦税」は、宮古島において1659年から1902年まで課せられた税制です。

「人頭税」は、ヨーロッパやインド、中国などで導入されてきた税制で、その多くは、すべての統治される人に一定額の税金を課するもので、支払い能力に関係なく支払う義務が生じるものだといわれています。

それに対して、宮古島をはじめとする先島で導入された「定額人頭配賦税」は、島から琉球王府への年貢高を人口の増減にかかわらず、定額(粟換算で3,367石、内訳は粟納で1,150石、反布納で4,998反)で治めるものでした。

この粟と布の物納の時代には、島の中での通貨も粟が使用され、いわゆる換金作物ではなかったのですね。

また、年貢として粟を収めていたために、ほかの作物を作りたくても粟の栽培をやめるわけにはいかず、効率の悪い畑作を続けなければならなかったのです。

そこで、換金できる作物としてサトウキビの栽培を進め、金銭で納税したいと考えるようになったのですね。もちろんこれには寄留商人と呼ばれる他府県の実業家が、宮古島に金儲けの道を見つけ後押ししたことはいうまでもありませんが。

すなわち、サトウキビに代表される換金作物の導入には納税制度を変える必要があった、定額人頭配賦税制を廃止する必要があったということですね。

この人頭税廃止運動にかかわった農民リーダーの多くは、後に大土地所有者に成長し、寄留商人は宮古島の商業の中心となり、島の近代化が進んだといわれております。

めでたしめでたし。


雑誌1周遅れで入荷

2014-02-13 17:58:46 | 日記

週刊文春が昨日入荷。同時に5日発売の「ビッグコミックオリジナル」も購入。

41年間連載し続けてきた昭和の怪漫画「あぶさん」の最終打席なのでした。

41年前といえば、小生が札幌から青函連絡船と寝台急行十和田3号(だったかな?)を乗り継いで某Pコンに就職した年ですよお立合い。

引退したのが2009年62歳で2コ上。ほぼ同時進行の人生だったのですね。

お互い頑張りましたなぁ。というより作者の水島新司だよね。酒が飲めないのに。

今日は久しぶりに大吟醸でも飲んで弔おうか。

さて、まもるくん。

週刊文春の内容は、テレビ報道やネットで知ったこと以上のことはなかったけど、心の暗い闇は謎だらけですな。

びっくりしたのは、10面しかない地元紙が1面の3分の2を割いて、謝罪文の要旨と解説を報道したこと。衆院予算委員会よりも大きい扱い。1面は当地漁協の製氷機を取り換えるという記事。

あ、それから今年のカギマナフラは5月16日前夜祭ですよ。

さてDBはどーなったかというと......

エンジンにようやくシリンダーが収まり、風防ガラスや電気関係が着々と更新されています。

爺の担当である船底磨きも遅々として進んでおりますぞ。

その効果は

         

手前が磨き終わり。向こう側との差がわかるかな?