しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ジェラワット なう

2012-09-28 17:13:18 | 台風

宮古島はジェラワットの暴風圏にはいりました。

暴風圏の範囲は約600km。現在時速20kmでまっすぐ宮古島へ向かっています。

目に入るのが明日の午前3時頃。

この速度では、30時間は暴風雨に晒されることとなりますが、そろそろ速度を上げてくれって。

そして、人生60年、下天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなり、初めての台風の目体験かも。

       

車はワイパーを作動するまもなく雨にぬれ

       

できたてのヤマダ電機は、台風対策を忘れたのか、最初から考えていなかったのか設計者。

店頭にはコンクリートミキサーを置いて販売をはじめました。売ってないって。

そして嵐といえば世界で一番仲の悪いペット、チビ。

       

緊急時はプライド、わだかまりを捨て、しっかり、我が家のピロティの乾いたところを探して疎開中。

停電にならないことを祈るのみ。

 


ネフスキー シンポジウム

2012-09-26 17:41:39 | 宮古史

宮古研究の先駆者であるロシアの東洋学者『ニコライ・A・ネフスキー』(1892-1937)という学者がいました。

このほど、その生誕120年を記念するシンポジウムが開かれました。

          

ネフスキーさんは、ロシア帝政時代のペテルブルグ大学から日本に派遣された官費留学生で、1915年から14年間の日本滞在中3回宮古島を訪れ言語・民族などの研究資料を蒐集しています。

          

その成果としては大きく3つあり、宮古諸島の民族および口承文芸に関する研究『月と不死』(1971、東洋文庫)、宮古語の歌謡、民話、ことわざなどを記録した『宮古諸島の口承文芸』(訳本「宮古フォークロア」1998、砂子屋書房)、宮古諸語をロシア式の音声記号で表し、地域別の表現の違いも含めアルファベット順に約5000語を整理した手書き辞典「宮古諸島の語彙研究のための資料集」(早稲田大学図書館に寄贈されたマイクロフィルムから製版出版された「宮古方言ノート」2005、平良市教育委員会)でありまする。

とにかくこの方、耳が良かったと見えて、小生3年いても聞き取れないミャークフツを数か月、3回の滞在で各島を巡り、500語以上の言葉を理解していった人です。

またロシア語は女性名詞と男性名詞をはっきりさせないと気に入らないみたいで、名詞ひとつづつそれは女か男かと聞き続けた結果、特に役職などに関してはそれまでの思い込みで決めていたことがはっきりしたということもあったようです。

これらの研究は、国内の宮古研究者に強い影響を与え、島には顕彰碑が建てられています。

       

このネフさんは、1918年には小樽高等商科学校(現、小樽商科大学)のいロシア語教師として就職し、アイヌ語の研究もしています。この後道産子の女性と結婚しますが、1937年のスターリン粛清で夫妻とも処刑されました。しかしながら、フルシチョフによるスターリン批判の結果、1957年には名誉回復がなされています。

この二人の娘エレーナさんはご健在だそうで、お孫さんとともに2002年に上の顕彰碑除幕式に出席されています。

ここでも何故か北海道つながりがあったわけで、不思議な縁を感じながら、あらためてこの島の言葉の難しさを感じております。

さて

このほど市町村合併後初の「宮古島市史 第1巻 通史編」が刊行されました。

これから10年をかけて「祭祀編」「自然編」「災害編」等を発刊するそうですが平和な10年でありますように。

          

厚さは4.5センチメートル。枕にはちょうど良い。

 


海猿達の休息

2012-09-24 17:35:31 | 宮古史

平良港なう。

いつもは貨物船が係船される岸壁に海上保安庁の巡視船が休息中。

       

こちらに3隻。

       

こちらに4隻。

ほかにも1隻。合わせて8隻。

尖閣周辺には約50隻の巡視船が出動しているらしく、給油・物資積み込み、つかの間の休息などで石垣・宮古等へ入港しているようです。

そもそも琉球は、薩摩藩と清国の二重支配を経て、1880年には「沖縄本島以北を日本の帰属とし、宮古・八重山諸島以南を清国の帰属とする」琉球分割条約の締結が日清両国の間で決定されたのですが、清国側が調印せずそれが締結されることはなかったのです。

分割を認めた背景には、それまでの日清修好条規に、日本商人が中国国内で欧米諸国並みの商業活動ができるよう条文を追加することを認めさせようとするもので、南西諸島は日本によって、この時と先の戦いの2回、棄民されかかり、されちゃったともいえるのですわい。

また清国が調印しなかった背景には、南西諸島を手に入れることの見返りに日本側のみに利益がある条約を締結することへの逡巡、同じころロシアとの間で中国北西部の領土問題で緊張状態にあり、日露と清国の間で微妙な駆け引きが繰り返されていいたのですね。調印時点での情勢は、清露関係が好転し、清国が自国に不利な条約を結ばなくともいよい強気な状態にあったため、ドタキャンしたということらしいです。

この時の数日間の国際情勢が、今、住んでいる宮古島を含む南西諸島が日本に帰属することを決定したということなんですね。

1880年時点では、南西諸島に尖閣は含まれていなかった(どこの国のものでもなかった)のですが、1885年日本政府が上陸調査し、他国の支配が及んでいる痕跡がないとして、日本の領土であると高らかに宣言したのでした。

というのが、しょう爺風「そーだったのか日清政粉、チキンな心が国を決めた」でござる。


カードのかび落とし

2012-09-21 17:32:25 | news

本日、島で2店目の家電量販店「ヤマダ電機」(沖縄ヤマダ電機では5店目)がオープンしました。

うわさでは今年の春ということでしたが、半年遅れての開店でしょうか。

      

売り場面積は約990平方メートル。これは大店立地法で義務付けられている、1000平方メートル以上の売り場面積を持つ大規模小売店の届け出と騒音・渋滞対策・ゴミなどの対策審査を逃れられる面積ぎりぎりなのですね。

今年6月までに開店した全国の「テックランド」16店のうち、『喜多方店』『浪岡店』『駒ケ根店』等9店がぴったり990平方メートル。

(ヤマダ電機 月次IR情報より)

初日の午前は、市街地方面からの右折進入(写真右手ですね)が多く、300メートルほどの渋滞が見られましたが、午後1時には上のように落ち着き、これからもこの状態が続くのでしょう。

さて、これを機会に、使うことのめったにない、持ち続けている家電店のカードを整理してみました。

持っているのは、「ヤマダ電機」「ビックカメラ」「ヨドバシカメラ」「ベスト電器」。

ミドリとかデオデオとかケーズとかは引っ越しの時整理したんだった。

意外と少なかった。カビもついていなかった。

保有ポイントは島にある「ベスト電器」以外はすべて期限切れ。

こちらではずっとネットショッピングだったからなぁ。

そういえば、今日、「ビックカメラ.com」から10月20日有効期限ポイントの警告メールがあったなぁ。

このタイミングで。


運が良いのか悪いのか

2012-09-18 18:09:29 | 台風

今年16個めの台風「サンバ」が週末の沖縄を襲い、そのうち4個が朝鮮半島上陸という事態になりました。

いろいろ各地からご心配をいただきましたが、幸いにも宮古島を含む南西諸島は進路の西側という好位置にあり、被害はほとんどありませんでした。

宮古島の航空路線はJTAの東京往復便を除き那覇空港発着となっているため、島が好天でも全国のどこかの空港が閉鎖、欠航が出ると少なからず影響が出ます。

特にANA便は、機材を使いまわしているため、遅れや欠航の影響を受けやすく厄介です。

遠くは、昨年の那覇での資格試験受験失敗事件があり、懲りているはずですが、何とかなるさと相変わらず、ANAマイラーを続けております。

そんな天候の中、尾張・美濃の国から3組5人の客人が島を訪れました。

       

到着の13日は台風接近が2日後ということもあり、夕日を前にターケーの橋建設の中断状況をネタに盛り上がりましたが......

       

何故か連休を2日残して15日に帰国するとのこと。

しかし....

予報通り、帰国当日の朝、搭乗予定便が早々と欠航決定。

この後、16日は全便欠航となるのですが、この一行、JTAが欠航した2便の臨時便を15日のうちに運航するということで速やかにお帰りあそばしました。

お疲れ様でした。

この顛末を見ていると、欠航の決断はANAが速く、運航再開もANAが早いということがわかりました。その差は約4時間。

次の機会に検証してみましょう。

そうやってすり抜け帰国した一行ですが、追いかけてきた「サンバ」の影響か、お国は温低からの前線で大雨とか。

お気をつけて。

尖閣問題では中国の一部がヒステリックにやってますなぁ。

党大会までに収束できるのか、はたまた、反日から反政府へ乗り換えるのか、先島への攻撃はあるのか、中国語の勉強を始めよう。

で、どこの言葉を学べば良い?