しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

久松にもまもる君

2015-05-28 17:25:41 | まもる君トーナメント

えー、久松とは爺のやー(住居)があるところね。

突然交通量が多くなり、徒歩5分でコンビニにたどりつけるという地域活性効果も生み出した伊良部大橋供用。

久松入口の交差点に、酒酔い運転撲滅のため転任してきた宮古島まもる君。

    ココストアを見守っている気配も

前任地は、島の北部、大浦地区の公民館前。

 

左が現任地、右が前任地。お色直しを終えたといえ、口髭のような唇と右目の上の眉が短い特徴は隠せません。

       

2010年暮れから2011年のお正月にかけて実施したまもる君トーナメント。

緊縛跡も生々しい壮絶な新里勤務のまもる君が輝く第1回トーナメントを制しましたが、あれから4年。

まもる君の成長とともに、任地も大幅に変わりました。プチ整形やら衣装替えもありますがその顔の特徴は変わっていないようです。

そろそろ前任地と現任地の照合調査を実施しましょうかね。

 


魔王の宮殿に魔王を奉納

2015-05-24 15:09:38 | 海人

久しぶりの休日更新

20日に梅雨入りして以来、連日の雨。昨日の24時間雨量は90ミリ越え。

5月の台風来襲、月間最多雨量更新必須などなどおかしいぞ 地球

というわけでアウトドアの活動はお休み。

ダイビングは別腹。

22日は宮古島で一番の人気スポットを独り占め。正確には3人占め。

そのポイントの名はの宮殿

はじめての自画像宮殿入口

宮殿に立つ。情けないことに体幹が弱いのでまっすぐ立てない。

奉納を予定していた魔王は海を汚してはいけないので自宅で処分。

めでたし めでたし                                                                           


シュガーローフと高層住宅

2015-05-20 17:54:31 | 旅先

那覇市おもろまち 

現在はDFSや大型ショッピングセンター、日銀沖縄支店、内閣府沖縄総合事務局、パチンコ店、ホテル、高層マンション、はては博物館・美術館まで立地するノーコンセプトの街ながら、日本人・欧米人の集まる牧志市場とは一線を引いて、中国・台湾・韓国人に占領されたかのごときまちなのです。  

ここにあったのは、第二次世界大戦後米軍統治下におかれ、昭和62年まで米軍牧港住宅地区があった見晴らしの
良い高台の土地でした。
高台ということは沖縄戦において、日本軍と米軍がこの土地の制圧へ向けて激戦となったのは必須のことで、日本軍は
安里(あさと)52高地、米軍はシュガーローフ(アメリカ南部の菓子パンの1種)、ハーフムーン等と称し、7日間で双方5000人の
死傷者を出した戦闘が繰り広げられました。

これが戦闘後のシュガーローフ。


その遺骨の一部は、いまだにこの土地の下に眠っているとされ、その上に、または削られた土地の上に最初に記した施設が建てられているのですが、ここを訪れる観光客には知る由もありません。


正面の東横インの裏側がシュガーローフにあたり、現在は給水タンクが設置されています。


目の前のDFSがあるあたりはチャーリーヒルと呼ばれ、その奥に見える高層住宅がダイワハウス、大京などが売り主のリュークス・タワー。上層階は
ほとんどが沖縄県民で占められているといううわさです。安室奈美恵は最上階を購入したのだとか。104.3m、38階です。


このさらに奥にはそれまで沖縄で最も高いといわれていた25階建て、89.8mの「D'グラフォート沖縄タワー」(これもダイワハウス)もあります。
仲間由紀恵も所有しているという噂です。隣はNHK沖縄放送局です。

さて、ここで疑問がわきます。
那覇空港や米軍基地の飛行場がひしめいている本島中南部地域。

那覇市内の低地は航空制限も厳しく、高度制限がかけられていて高層ビルは建てられません。

なのに、海抜25mの地にさらに100m以上の建物が建設できるのはなぜか?


爺の妄想では、米軍の住宅があったからなのですね。


我々の住む住宅上にはいかなる飛行機も飛ばさせない。


というわけで那覇空港制限表面区域から見事に外されているのですね。
在沖米軍の制限表面は確認できませんでしたが、高さ制限がないということは同じことでしょう。

その制限表面とやらに興味がおありの方は那覇空港事務所のHPで検索を

 
扇の要のところにあるのが「おもろまち」ですがや。


こうして日本人の頭の上には世界一危険な軍事基地を乗せて、自分たちは安全な地域を作って暮らす。

これが在沖米軍の実態です。

この危険の少ない地区の高層住宅を競って購入しているのが地元人沖縄人の高所得者層であるというのも皮肉なめぐりあわせであることよのう。


たまたま出張で訪れた「おもろまち」
またまた長くなってしまった。
読者の方お疲れ様でした。


ちなみに町名は公募によりきめられたもので「おもろ」とは「歌」の意で「おもい」の意味もあるということです。
沖縄にお越しの節は、浮ついた東アジア人とは一線を画して、この町をおもろしてみなはれ。


ファーストライフ

2015-05-15 18:41:59 | 旅先

このブログのトップで「サードライフ」を標榜しておりますが、その最初「ファーストライフ」の軌跡を訪ねてまいりました。

所は「蝦夷」と呼ばれた地。

琉球人とアイヌ人はもともときわめて近い遺伝子を持つことがわかっており、日本列島に住んでいた先祖が、朝鮮半島から南下した大陸の渡来人にくさびを撃ち込まれたように南北に分かれたといわれているようです。

宮古人が19世紀前半まで文字を持たなかったことや体の特徴に類似点が見られます。

自分にはアイヌの血が混じっていると聞いたことはないのですが、こうして比較的抵抗なく琉球人になろうしているのも何かの縁ではないかと思ったりもするわけです。

その蝦夷の地で幼少から教育を受けた期間を「ファーストライフ」と称しております。

そして今回の最大のイベントは父の23回忌法要を行うことでした。

    

これを挟んで、小中高大のすべてのステージで出会った人たちのごく一部ですがお会いするというのが第二の目的。

今の自分の基盤を形成するのに多くの影響を受けた人たちと接することは、本当に意味のある旅でした。

その中で触媒となったイベントとトンでも名物がありました。

一つは友人が経営するバーでのライブ。

    

ここに参集したあるステージの人たちは、このブログの読者が多く、更新が少ないとこっぴどく怒られました。

また、最後のステージの舞台では、前夜の名物堪能に引き続き、その後の地域探訪に行ってまいりましたがとんでもない名物がありました。

    

どーでしょう、このストレートなネーミング。食べてみたくはなりませんでしたが。

朝起きて一番にすることは新聞のお悔み欄をチェックすることというお方もおりまして、地元に残るというのも厄介なことではありますなあ。

お会いした皆様のみならずお会いできなかった皆様のご健勝をお祈りいたしております。


伊良部奇行 はじめ

2015-05-01 17:08:56 | たーけの橋

今日から5月でございます。

あの伊良部大橋の供用開始から3ヶ月。

思いのほか検討しておりまして、その効果は大きいものと見込まれております。

これまでは伊良部の町なかをゆっくりと見る機会もなかったのですが、フェリーの時刻を気にしないで日帰りできるメリットは絶大で、好奇心を刺激されること満タンです。

いつも途中で分からなくなってしまうシリーズものですが今回からは「はじめ」「おわり」を決めて、その間に適当に挟む方式を考え出しましたのでよろしく。

そこで「はじめ」ですが、まずは見た目から入りましょう。

興味深い建物がいっぱいあります。

伊良部島の中でももっとも池間島に近く、最大の港がある佐良浜地区は断層の切り口のような斜面に住宅が張り付いている地区です

尾道市のような狭い坂の両側に住宅が並んでいます。その住宅の壁の色たるや遊び心に満ち満ちております。

  

 その中でも異才を放つこのエクステリア

 左は煉瓦積み、右はフェイク。コンクリート柱にお絵かきしたもの。

工事中に気が変わったのでしょうか。片方だけ破壊されて煉瓦復活の資金切れだったのでしょうか。

さらにはこの家の斜め向かいの何かを販売していそうなこの建物の外装。奥の煉瓦家は本物。手前は遊び心。わかるかな。 

   端部までは気持ちが続かなったのか

   見え見えのフェイク

適当心満載の佐良浜族なのでした。

お散歩も終わって水分補給と地元のスーパーまーけっとと称する超スーパーなお店へ。

すると

    

先月末販売中止となったあのs社のヨーグリーナが10本近く在庫。

すぐに飲みたい方は「下地スーパー」へ。 Aコープにはありませんよ。