しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

みたび七光湾。皆様今年もありがとうございました

2011-12-31 17:57:49 | オブジェ番外編

今年もとうとう今日で終わりとなりました。

島はあいにくの悪天候ですが、それでも日が変われば翌年です。

来年もよろしくお願いいたします。

今年最後のお知らせは、七光湾プロジェクト「サンピラー」の近況です。

12月22日の冬至は、あいにくの雨もよう。それでも森お嬢様は関係者を引き連れ、現地でパフォーマンス実施。爺は行きませんでしたが。

このプロジェクト、宮古島の自然はそのままにしておいてくれという願いもむなしく、本来は一般人が海岸線に工作物を作れないハズの芸術家と称する一般人が、総費用3億を寄付によって集金、そのうち宮古島市はふるさと納税から500万円ほど提供していることは既報の通りでございます。

お嬢様いわく「人間の視点ではなく地球の自然という観点から場所選びをしていて、美しい、保全すべき豊かな場所が『ここにありますよ』と旗を立てるつもりで作品を設置し、自然に感謝したい」

203高地じゃあるまいし、いや、ひょっとしてこれで宮古島を占領したつもりかも。

はっきりしておきたいこと。宮古島の海に、芸術と称するいかなる工作物もいらない!

観光振興と称するいかなる建築物も必要ない!

ご丁寧に、この七光湾の隣、八光湾を望む例の「ターケーの海中公園」ロビーでは.......

     

このプロジェクトを紹介するコーナーが。

それだけでは足りないと見たのか、海中公園の職員が事細かにお嬢様を持ち上げる案内をしちゃってるではありませんか。

その時いた女性案内係りの鋭いところは、明らかに敵意を見せた爺に目も合わせようとしなかったことです。      

 

どちらもこの海をそのままにしておけないことでは同類なので、手を組むのは筋ではあるよね。

さらに最近の地下の噂では、この芸術品を2億円で宮古島市に買わせようとしているらしい。

そろそろ正体が明らかになりつつあるのか?

興味は尽きない宮古島。

来年をお楽しみに。

 


意味のないもの意義のあるもの

2011-12-26 18:56:16 | 旅先

クリスマスが過ぎました。

永平寺を本山とする曹洞宗で両親を祀っている爺としては、まあ他人事ではあるけれど、人並みにクリスマスにはメリークリスマス等と言ってみるわいな。

でもこれはありか?

           

暴行を受け市中心部に勤務地変更となったまもる君。

制服立ち姿あっての警察官なのにこれでは役立たずではないかいな。サンタが台に乗っているだけでは仕事はできんぞ。

で、24日は、キャンドルライブ。お隣の「タイ古式マッサージ&ヨガ」のお店のおねーさんに誘われ行ってまいりました。

もと歯科医院だったおうちに週末開くカフェです。

               

そこで体験した音楽と特別出演のフラ。

沖縄の唄をきちんと踊りで語ってくれました。HURALIさん以来の感動でした。

まあこんなこともあるので、些細なことは帳消しにされちゃってるけど、ふと良いのか?

なんて想って見た今年のクリスマスでありました。

 


空中巨石墓

2011-12-21 17:17:20 | 宮古史

墓のオッカケとしては見逃せない事がおきています。

14世紀から15世紀にかけての宮古島は、目黒盛系と与那覇系の2大勢力がそれぞれ、島の農産業と貿易を押さえることによって支配していたとされていますが、その与那覇系の支配者の一人に大立大殿(ウプダティ・ウプトゥヌ)という人がおりました。

この人は、16世紀に入って宮古島を統一した仲宗根豊見親の育て親だった人で、幼いころから才能を見抜き、そばにおいて政務の一部をまかせていたといいます。

この、大立大殿(ウプダティ・ウプトゥヌ)の墓が平良港を望む崖っぷちに建てられておりました。

その様式は、「巨石墓(ミャーカ)」と呼ばれており、巨石を用いて長方形に石積みを建てめぐらし、内部に石室を設けてふたをかぶせた構造で、北九州や朝鮮半島の史石墓との関係が深いといわれています。

いま、この墓が都市計画道路の工事によって中に浮いています。

       

車道部分にはかろうじてかかっていませんが、およそ2メートル近く切り下げたため、歩道からは見上げることとなっています。

どう処理して残すのかが見ものですが、ウプトゥヌさんの魂もケツのすわりが悪く落ち着かんことでしょう。

祟りがないと良いのですが。

       

明日はいよいよ冬至。たーけのモニュメントとなりかけているサンピラーに夕陽は降り注ぐのでしょうか。


ラニーニャに熱をあげる

2011-12-20 15:47:07 | 旅先

寒い海から無事帰還。

記憶にあるところでは、11月26日以来の晴天となった18日日曜日。

1年半台風に耐え、じりじりの太陽に耐えて刈り取りを待つキビが、刈って刈ってと穂をだしてせがみはじめました。

       

そして我が夕陽通りもその面目を施す日でもありました。

       

関係ないけど、宮古島市議会が開催中で、例の景観計画をすすめる条例の制定が先送りにされる気配。

しっかり理解してから議論にのせるのは悪いことではないけれど、目の前にぶら下げてあげないと考えないのはいかがなものなか。ってどこも同じか。

昨日からは、またまた低温グズグズ天気に逆戻り。

なんでもラニーニャ現象で太平洋の真ん中に高気圧が居座り、沖縄はその高気圧の縁にあたって、寒気が流れ込むのだそう。

ご機嫌斜めのラニーニャちゃんの体温を上げてあげてよ、情熱的な南米の男たち。


海から空へ そして原発

2011-12-16 14:17:38 | 旅先

先日、那覇空港でこんな全日空機を見かけました。

       

そーです。機体の頭部が青く塗られていることから「モヒカンジェット」と呼ばれていた飛行機です。

2009年から4年間、このボーイング767、1機がどの路線を飛ぶかその日にならないとわからないという状況で国内を飛びまわるそうです。

尾翼には、レオナルド・ダビンチがイメージしたヘリコプターのような飛行体のスケッチが描かれています。

実際は、製作されることなく終わってしまったシロモノですが、誰が見ても跳び上がれるとは思いません。

         

発想のきっかけは、木に木ネジでねじ込む様子からと伝えられているとのことですが、船のスクリューが空を飛べるわけがなく、天才レオナルドさんにしては頭掻き掻きといったところでしょうか。

このモヒカンジェット、1969年から1988年までの約20年間採用されていたデザインなのですが、1969年といえば1970年大阪万博の前の年、いけいけニッポンの真っただ中を飛んでいたわけですね。

それから41年。そのころいけいけ学生だった爺は爺になりました。

福島第一原発1号機から4号機の廃炉まで約40年。これと同じ時間を要するわけです。

40年後のエネルギーは何によって得られているのでしょうか。たとえ何によっていたとしても、今ある原発の廃炉途上で苦労しているのは今生まれた、今から生まれる子たちなのですね。

未来に負担を残さないという言葉が今、宙をさまよっています。