しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

何をたくらむ

2010-03-31 17:10:28 | かんしがかり
3月9日に爺の仕事の一端をお見せして、この項お休みと宣言した割には早めにお仕事紹介の機会がやってきました。

海の上での仕事なのでこれは海の美しさとともにお伝えしなければ。

          

仕事は『深浅測量』といわれるもので、(知ってる方は先に行ってちょうだい)水面から海底までの距離を音響測深機で測定し、海岸地形を把握する作業であります。船に現在地を測定するGPSと測深機を装着し測線に沿って観測するもので操船にかなりの技を必要とします。
上写真の左舷に突き出ているのがGPS受信機と測深機の上部。

もちろん、船舶操縦若葉マークの私では用をなさず、弊社のトップ自らが社有船で操舵、船首に見張りをつけながら慣性をうまく利用して断崖の2~3mまで接近、観測したのでありました。

この日は透明度も高く、波も静かで余禄の大きい仕事?でした。

それでこの日の仕事は何をやったかというと、機材運搬・機材設置・監視・機材撤去・機材メンテナンス 以上。

          

さて、測量した場所はこのような海岸でしたが、その目的はというと

守秘義務がありますのでいえません。

そのうちお知らせします。またまたターケの何とかといわれないよう元観光基本計画委員(任期は今日まで)としても厳しく見守っていきたいものであります。

こんなに素敵な海ですから。

          

ではでは、平成21年度の大晦日。皆様良い新年度をお迎えください。

爺の今宵はもちろんオトーリで打ち上げ。

初夏の海

2010-03-29 17:01:29 | 宮古史
もうすぐ海開き。4月4日である。

島の東部は断崖絶壁とリーフのコントラストが特徴である。写真は昨日の浦底漁港。

こちらが太平洋側。いままで写してきた夕陽の海が東シナ海ということになる。

この断崖の下から水が湧き出し、昔は米作りも行っていたという。

北東部の小学校では今も田植えから稲刈りまで実習している。

           

堤防の手前、緑の帯が断崖の下まで伸びているのはため池の跡らしい。今も使っているかも。


話変わって今朝の日差し。まるでUFOの出現か天孫降臨(両方とも見たことないけど)のような放射状の光が見られた。

           

この天孫降臨にインスパイアされて、宮古に伝わる神話を一つ。

天界の古意角という男神が、天帝に島づくりを願い出てところ、天帝が天岩戸の先端(?えーーっ)を折り海に投げ入れてできた島が宮古島    なんだって。

ご丁寧にも、旧下地町には高千穂という地名まである。

なお、この後古意角(コイツノ)は一神ではいやじゃと言いだし(たかどうかは知らないけど)姑依玉(コイタマ)という女神を伴って、以前猫が賽銭箱の前で見張っていた「漲水御嶽(ハリミズウタキ)」に降臨し、やることがなかったので幾多の神を生み育てたとさ。


観光をHELP3

2010-03-26 16:07:38 | 日記
年度末ですねェ

現世にお暮らしの方は追い込み、追い込まれで大変な日々をお過ごしのことと存じます。

もうすぐ終わりますからね。あと5日です。

こちらの観光振興基本計画策定委員会も3回の予定を4回に積み増して昨日最終委員会を終えました。今回は宮古テレビが興味を示さず、ニュース画像にはならなかったようです。

内容は、十分に云い尽くしたとは思っておりませんが、作業部会の意見が相当に盛り込まれ、市民に分かりやすい内容になっているぞフムフムと3分の2満足しています。
担当者の皆様のご苦労に感謝します。

いずれ、ホームページにもアップされることでしょうからのぞいてみてください。
その時期はお知らせします。

特に、喜ばしいのは、従来「必要です」「組織作りを検討します」程度で終わっていた計画評価委員会を来年度から発足し、取組み状況のチェックと是正体制を定期的に行うことを盛り込んだ点です。もちろん、自らの参加をお願いしました。過去、計画を立ててもいろいろな制限ででできなかったことをここでやり直せるのはありがたいこと、とますますやる気になっている爺でした。

地域と子供たち

2010-03-24 16:33:45 | 宮古史
日曜日、八重山(石垣島から西の8島を八重山列島といい、宮古列島と合わせて先島諸島という)の小中高生70名が演じる「オヤケアカハチ~太陽(ティダ)の乱~」を見てきた。

学芸会程度とタカを括っていたけれどどーしてどーして、構成のうまさ、演技の素晴らしさ、郷土芸能とヒップホップなダンスに感動した夜であった。

ストーリーは、16世紀初頭の琉球政府の離島政策に反逆して征伐されたとされる「オヤケアカハチ」が、実は八重山の村人を救うために立ちあがったのだったという長編叙事詩を元にしたもので、その意思は八重山の道標として受け継がれているのであった というものである。

           

これを演じる子供たちを見ながら、ふと、そう言えば八重山にも大学がなく、この子たちも島を離れて暮らすことになるのだなぁと思っているうちに、あの合格祝儀式の背景について推察してしまった。

そう、高校合格は、あと3年しか島で暮らせなくなる節目の日なのであった。この3年の内に、本島、本土の就職、進学先を見つけなければならず、親も子も経済的な面、これからの人生の覚悟を決める期間になるのである。

勢い、テンションが高くなるのはやむを得ないこと。この日を境に実はつらい日を迎えるカウントダウンが始まるのであった。

蛇足:オヤケアカハチ、同時期に朝鮮王朝の反逆者として実在した「洪吉童(ホンギルトン)」と同一人物であると説が韓国にあるそうな。もうひとつ、「サウスバウンド」、小生の挨拶状にも使わせてもらった奥田英朗の小説にもエピソードが出てくる。

そんなことを想いながら大団円を迎え、そーか爺もみんなの道しるべとなりたいものよのうと夢見た休日の一夜であった。

合格祝と黄砂

2010-03-23 09:07:56 | 日記
本日は名古屋の某私立高校合格発表の日。めでたく合格して甲子園での活躍を期待しておりますぞY君。合格の暁にはひとりオトーリでお祝いしてあげますからね。

宮古の合格祝い慣習その2。帰り際、いわゆる引き出物が手渡され、帰宅後開けてみると。

         

お江戸の和菓子屋謹製のハート型どら焼きと商品券が入っておりました。

子供は宝、なんですね。高校合格でこれだけ盛り上がっちゃうなんて。

この盛り上がりに砂をかけたのが大陸からの黄砂。

視界2キロ程度。快晴にもかかわらず日食のような薄暗さ。スギ花粉から逃れて全く鼻炎が出なくなったと喜んでいたら、次は黄砂アレルギーになるかも。