しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

湧水巡り番外編

2012-10-30 18:03:56 | DB

宮古島の湧水巡りシリーズ。実はまだ終わっていなかったのですよ。

シリーズの終わりに行く前に、番外編として琉球の稲作(水稲)発祥の湧水地を訪ねました。

 

まずは稲作発祥伝説から始めなければなりません。

琉球の国づくりを始めた神様は「アマミキヨ」(阿摩美久)という女神と伝えられています。

この女神はニライカナイから宮古島にそっくりの久高島に降り立ちました。

その後琉球本島に移動する際、はじめて上陸したのがヤハラヅカサという海岸で、干満により見え隠れする岩が目印になっています。

       

満潮と重なり頭しか見えていませんが、天から降り立つことはできたのに、本島へは海から上陸しなければならなかった不条理はさておき、この浜のすぐ陸側に仮住まいした場所と伝えられる「浜川ウタキ」があります。

            

ここに仮住まいしたアマミキヨは、この付近(本当に崖の下です)に湧水が豊かなことを発見。ニライカナイから持ってきた稲の種を植えることにしました。

その湧水が「ウキンジュ」(受水)「ハインジュ」(走水)と呼ばれており、琉球における稲作発祥の舞台となったのです。

こちらが「ウキンジュ」(受水)

       

こちらが「ハインジュ」(走水)

       

宮古島の東河岸の湧水のように崖下の石灰岩の間からこんこんと湧き出ています。

その下の田んぼはどーなっているかというと

       

ちょっと情けないことになっておりました。

実は、最近、この近くのサキタリ洞遺跡の約1万2千年前の地層から人骨とともに石器や獣骨が発見され、旧石器時代の人骨と石器が同じ遺跡から出土したのは国内で初めてといことで一部のマニアに話題となっております。

このそばには約1万8千年前とされる港川人と名づけられた日本人の祖先ではないかという人骨が発見されたところでもあり、これからの研究に興味がもたれますなぁ。

この日は、現地で発掘資料が展示される日だったのですが旅程の関係で断念。

いつの間にか跡男になりかけている自分を発見しましたよ。


表もあれば裏もある

2012-10-26 17:11:45 | DB

ニライカナイということばを聞いたことがありますよね。

遠い海のかなたにある理想郷  ぐらいのイメージしか持っていませんでしたが

具体的な建造物として存在していました。

         

       

これニライカナイ橋といいます。

「せーふぁうたき」のそば、国道331号から沖縄刑務所や自衛隊駐屯地のある丘陵へ上る県道の曲線橋でした。

全体像は

        

それはともかく、

ニライカナイとは柳田國男によると「遠いはるかなところ」という意味があるということらしく、そこにはあらゆる富、豊穣、生

命の根源があるとされています。

旧暦6月には、ニライカナイから神を招きよせ、祝福のおさがりをいただくお祭りが開かれます。

しかしながら、そこでは決して理想郷としてのみとらえられているわけではないようで、悪しきもの、災いをもたらすものの住

む世界でもあるのですね。

一説には、そのようなものを閉じ込めた世界であるともいわれています。

だから柳田國男は「とおいはるかなところ」という場所を示すだけでそこがどんなところかは言っていないと解釈したんでしょ

うな。別の学者の解釈では「根のあるところ」ということですが同じ内容ですよね。

死後は、ニライカナイに行くんだと思い込んでいましたが、結構人間世界と同じようなドロドロ感のある世界なようで、考え直

すことに決めました。

意義のある旅であった。のだ。

 

 

 


せーふぁーうたき

2012-10-25 18:48:23 | DB

沖縄には9つの世界遺産があるとですよ。

などとほざきましたが、正確には9ヶ所からなる「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が登録名です。

そのうちのひとつ、南城市にある「斎場御嶽」(セーファーウタキ)に行ってきました。

     

詳しくは勝手に調べてほしいのですが、訪れる気になったのはBS1のテンペストに出てきた聞得大君(きこえのおおきみ)がきっかけです。

聞得大君とは「広く世に知られた高貴な方」なんていう意味らしいですが、私には常人には聞こえないことを聞いて人心を惑わす怪物としか思えません。

それというのも高岡早紀演じる聞得大君があまりにも怪演で、最後は魂(まぶい)をぬかれてしまうという役柄がおおはまり。私の中では最高に受けた登場人物でした。

この聞得大君とは、琉球王朝の安定を図るためピラミッド型神女組織を構築し、そのトップに位置する琉球王朝最高神官なのですね。

その聞得大君の就任式「お新下り」が行われたのがこのうたきというわけです。

これは寄満(ゆいんち=台所)と呼ばれている祭壇ですが、世界中の交易品が集まる「豊穣の満ちた場所」と解釈されているそうです。

     

三庫理(さんぐーい)と呼ばれる拝所。このうたきのシンボルでもあり、パワースポットといわれるウタキの中でもエネルギーに満ち満ちているらしいのですが......

     

てなわけで、宮古島にある御嶽とはずいぶん違った感じのところ。

次回は一足先にいっちまったニライカナイの巻。


言葉の意味さえわからない

2012-10-22 17:37:15 | その他

10月20日夕刻から、自宅近くの漁港の自由広場で、宮古島が誇る歌手「下地勇」の10周年記念コンサートが開かれました。

本来は、チケットを購入し、会場で盛り上がるべきところではありましたが、老体の身、会場内で救急車のお世話にもなりたくなく、つい、会場そばの知人宅で

BBQを楽しみながら盗み聞きするという行為に走ってしまいました。

遠くに見えるはステージの灯り。一番下の右端がステージに立つばんたが(我らの)勇君です。

手前のおっさんは参加したUターン組のひとり。

歌の内容は、ミャークフツで全くわかりません。時々出てくる新聞配達とか宮古に昔はなかったものの単語しかわかりません。

重ね重ねすんません。

さて、

時計を巻き戻すこと8時間。

我々は、こんなところにいました。

ここはどこでしょう。

ヒントは、沖縄世界遺産の一つがあるところ。沖縄には9つの世界遺産があるとですよ。

これじゃわからんか。ならばこれではどーじゃ。

ヒントは遠くに見える島。五穀発祥の地、神の島と呼ばれています。

神が天から降りてくる姿はこんなんだったのでしょうか。

次回はその答えをお教えしましょう。


宮古空港のこんなこと

2012-10-18 18:18:58 | しらべもの

最近何故か宮古空港に縁があり、よく訪れます。それがためにあしなが美女軍団を拝めましたし。

そこであらためて普段は見逃している、宮古空港のよしなしごとについて書いてみたいと思い立ったわけでございます。

宮古空港は、昭和18年に旧日本軍の海軍飛行場として開設、終戦を迎えた後、昭和31年に民間飛行場として再出発。

その後昭和58年から需要増と機材大型化に対応した空港拡張工事が始まり、平成9年に現在の位置にターミナルを移転、沖縄県を設置管理者とする地方管理空港なのであります。

空港ビルのデザインは、渡り鳥「サシバ」が羽を広げた姿をモチーフとしたということです。たぶん群れで飛んでいるのでしょうね。どーでもいいけど。

         

旧日本軍による飛行場の強制接収は3つのにまたがり、255名の地主たちが立ち退きを迫られたということです。

空港の入り口近くにその集落の痕跡が残されています。

今までは井戸かと思っていたのですが、この時立ち退いた七原の霊石だったのです。

18世紀初頭にここに村建てが行われたとき、この根石を中心にして集落が形成されたということです。

階段を下りて井戸の底にあるように見えるのは、空港が全体に盛り土され、さらに周辺が高くなっているためと思われます。

        

同じく立ち退きを迫られたに屋原がありましたが、

人々は「ナナバリヤナナツンバリ、ヤーバリヤヤーツンバリ」(七原は七つに割れ、屋原は八つに割れ)とが離散してしまったことを嘆いたということです。

嘆いてる割にはとぼけた味わいですが.....

地代は半分はもらえたようですが、あとの半分は強制貯金とされ闇に葬られたそうです。

ここに、過去の霊石があれば、空港ビルのまん前には「フナイマーク」と呼べと強制されている図形が地面に描かれています。

         

船井総合研究所等の最高顧問を務める経営コンサルタントさん船井幸男氏が夢で見たという図形。

昔、コンパスで遊んでいた時にできた図形に似ていなくもないですが、この中心に立つと良いエネルギーが集まり気分がよくなるとのこと。

宮古島を「癒しの島」と命名したのも彼だそうです。

今昔取り混ぜたパワーを持つ、年間108万人利用の宮古空港。

次の来島時には、空港の周りを散策する余裕で んみゃーち!