宮古島の湧水巡りシリーズ。実はまだ終わっていなかったのですよ。
シリーズの終わりに行く前に、番外編として琉球の稲作(水稲)発祥の湧水地を訪ねました。
まずは稲作発祥伝説から始めなければなりません。
琉球の国づくりを始めた神様は「アマミキヨ」(阿摩美久)という女神と伝えられています。
この女神はニライカナイから宮古島にそっくりの久高島に降り立ちました。
その後琉球本島に移動する際、はじめて上陸したのがヤハラヅカサという海岸で、干満により見え隠れする岩が目印になっています。
満潮と重なり頭しか見えていませんが、天から降り立つことはできたのに、本島へは海から上陸しなければならなかった不条理はさておき、この浜のすぐ陸側に仮住まいした場所と伝えられる「浜川ウタキ」があります。
ここに仮住まいしたアマミキヨは、この付近(本当に崖の下です)に湧水が豊かなことを発見。ニライカナイから持ってきた稲の種を植えることにしました。
その湧水が「ウキンジュ」(受水)「ハインジュ」(走水)と呼ばれており、琉球における稲作発祥の舞台となったのです。
こちらが「ウキンジュ」(受水)
こちらが「ハインジュ」(走水)
宮古島の東河岸の湧水のように崖下の石灰岩の間からこんこんと湧き出ています。
その下の田んぼはどーなっているかというと
ちょっと情けないことになっておりました。
実は、最近、この近くのサキタリ洞遺跡の約1万2千年前の地層から人骨とともに石器や獣骨が発見され、旧石器時代の人骨と石器が同じ遺跡から出土したのは国内で初めてといことで一部のマニアに話題となっております。
このそばには約1万8千年前とされる港川人と名づけられた日本人の祖先ではないかという人骨が発見されたところでもあり、これからの研究に興味がもたれますなぁ。
この日は、現地で発掘資料が展示される日だったのですが旅程の関係で断念。
いつの間にか跡男になりかけている自分を発見しましたよ。