しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

ピンザ ピンギズ

2012-08-30 17:39:22 | 生き物達

台風が去って、貨物船が生活物資輸送を再開して、よーやく島の商品棚にものが並び始め、元の生活に戻りつつあります。

気づいたらもう8月もあと1日。

今日は旧盆入り「ンカイ」の日(旧暦7月13日から15日までを旧盆といいますね) 明日は中日の「ナカビ」、最終日は「ウッフィユー」でグソーに返す日。

グソー(先祖がいる後生)に送り出すときには「うちかび」という紙銭を焼いて旅の費用にします。

これはスーパーに普通に売られていますが、昔はチリ紙(懐かしいですね、ハンカチとチリ紙の検査官をやった記憶があります)に硬貨をこすり付けて写し、うちかびににしたそうですよ。

秋の気配がひしひしと といっても雲だけですけど......

 

これは時々通るキビ畑の中の松の木。蔦のようなものが絡まって動物のような形に見えますが......

別のキビ畑の中の道を車で移動中、突然現れたヤギの群れ。

こっそり抜け出したというよりは、小屋丸ごと蹴破って一族で逃げ出した様子。

車を止めてからかおうとすると突然一斉に近寄ってきて奈良公園状態。

その後無事におうちに帰れたでしょうか。うちかびを渡してあげたらよかったかな。

さて島のヤギの寿命はどれぐらいでしょうか。

島の人に聞くと、「知らないさぁ食べてしまうからねぇ」と真面目に答えてくれました。

合掌!

 タイトルのピンザ ピンギズ は「ヤギ 逃げる」を爺流に訳してみたもの


渋谷区神宮前2-8

2012-08-28 15:32:55 | 旅先

台風15号が本島を横切っている日曜日、旧石器時代に勤務していた場所に縁のある人に出会いました。

出会いの場は

「東京・原宿のマクロビレストランオーナー Eiichiro Yamadaシェフによる宮古島特別ワークショップ」

マクロビオテックをコンセプトとするレストランのオーナーで、宮古島での営農生活を目指して来島したついでに、マクロビな食生活を送るためのお話と実技のワークショップを開いたというわけ。

マクロビオテックとは何かというと、玄米を中心に、季節ごとの食物をバランスよく組み合わせた食事により、最高の健康状態と長寿を獲得する生活方法。だそうです。

詳しくはネットで検索してください。

これ以上健康になることは特に望んでいないけど、台風でアウトドアライフができず、たまたま隣宅で開かれるのを知り参加してみました。

参加者は爺を含めて5名。みな若い女性。

進行役は、渋谷区神宮前2-8-15にある「MOMINOKI HOUSE」という自然食レストランのオーナー山田英知郎氏。

開業は1976年とのことですから、当時神宮前2-8-2に勤務し、自然食志向だった方には記憶にあるかも。

わたしゃー、ホープ軒と丸屋ぐらいしか思いだせんのだけれど。

で何を作ったかというと

1.玄米あずき入りごはん (あずきは入れ忘れ)

2.人参のホットサラダ (沖縄のにんじんしりしり)

3.ベジハンバーグステーキフレッシュトマトソース添え (一部焦げ焦げ)

4.梅ときゅうりのサラダ 中華ドレッシング

5.青菜(エンサイ)の胡麻和え 

6.宮古味噌の大根味噌汁

7.ナス炒め

このほか、胡麻豆腐やらデザートやらあるはずでしたがどこかへ遊びに行きました。

砂糖とうま味調味料、乳製品は一切使わず、食材の持つ甘み、うま味を引き出す手法は、自然に対する畏敬と感謝が感じられ、これぞ宮古島にふさわしいものぞと思いつつ、みんな同じ味がする島の青菜をどーしたものかと。

台風のおかげでちょっと変わった島ライフを送った1日でありました。

そして、返り咲き14号テンビンがこちらへ接近中です。


ボラヴェン 去る

2012-08-27 18:00:17 | 台風

大型でゆっくりで強い台風15号ボラヴェンがよーやく去りました。

と、とおもいきや14号テンビンがお得意のバク転?前転?で明日夕方接近するというじゃありませんか。

尖閣、竹島狙いでしょうか。

 

いつものように、台風が接近すると輸送船が欠航し、青野菜と乳製品とパンが商品棚から姿を消します。

この島に入ってくる野菜はほとんどが九州で時々信州、東関東などが見られます。

外国産は中国物が主ですが、カボチャだけはニュージーランド、メキシコ、韓国など最近関塚ジャパンやヤングなでしこが対戦した国のものが見られます。

北海道モノは、タマネギ、ジャガイモ、カボチャといった青物以外が多いのですが、台風前意外なものが売られていました。

北海道は東神楽のホウレンソウです。どんな波乱万丈なソウ生でここまでやってきたかは存じ上げませんが、「大丈夫かお前!」と。

きっと船だけではなく飛行機にも乗ったに違いないこのホウレンソウ。この分際で高価な値段もつけられず、暑いぞおい!とか言いながらわが身の不遇を悲しんでいたことでありましょう

さっそく食してみましたが、さすがに鮮度はよくない。が、長旅に免じて許してあげよう。それにしてもどういう経緯でここまで流れてきたか不思議な流通業界であります。

そして台風といえばチビ。今回は風向きがまともに駐車場に吹き付けるため、さすがに雨宿りには来てませんでしたが......

ほれこの通り、いつものすね顔で生家の車の下で、自己憐憫を磨いていたようですぞ。

それにしてもいつになったらこいつは爺に対する態度を改めるのか。


宮古島の湧水その3

2012-08-24 17:40:37 | 宮古史

台風ボラヴェンは、進路を東に変え、那覇直撃コースに乗りながらますますゆっくり進んでおります。

おかげで、今夏の湧水巡りは中止。

それでもここでは続きます。

3つ目の湧水は、前の湧水の北、西原集落の西にある

ヒダ川 これもガー  ヒダガー です。

この湧水は海辺の脇にありますが、池間島と伊良部島の佐良浜から西原集落を分村したときの貴重な生活水源だったところです。

これは1955年に、満潮時でも海水と混じらないように取水口を工事したものですが、必要のない水は溢れさせて海に戻し、貴重な汽水域を守っています。

正面の奥の林の中が水源です。

島の土地は狭く農地も限られているため、人口が増えると島の内外に強制的に移住させられ、開墾から始めるということが普通に行われていました。

特に、宮古島の北にある池間島は、人口が千人をこえると統治が困難になるとされていました。

1873(明治 6)年には、人口が1800人を超えたため、新村を組み立てることになりました。村建や分村に際しては、役人から突然に命令され、親子兄弟等がひき離された悲劇話が伝えられています。

この時、池間から75戸、佐良浜からは15戸が移住したということです。

この水域は大きな入り江になっていて、マングローブが生育し、汽水域の生物が多様な生態を見せている貴重な場所です。

宮古島ではあまりお目にかからない景色ですが、これもこの島の顔のひとつです。

 


七光湾 招かざる客 ボラヴェン

2012-08-23 18:07:34 | 台風

最近あまり歓迎できない客が2組ほど来島、また来島を予定している。

その1 七光湾プロジェクト

覚えておいでだろうか。島の北部「狩俣」のグーグルで見つけインスピレーションをお受けになったという入り江に設置された「サンピラー」なる作品。

3億円を集めて、ふるさと納税から522万円を拠出させたというだけではなくさらにおねだりに来島した森万里子女史。

20日に公務多忙な市長を訪問。以下は新聞記事からインスピレーションを受けた爺の妄想である。

いわく、

「七光湾プロジェクトは、各国で紹介され芸術界で高い評価を得ている」

そりゃそうでしょう、現地に来たこともなく、地域と海のかかわりも知らない人たちが一方的に発信される情報だけで判断のしようもないが、お互いに褒めあうことでお互いの地位を高められれば良いわけだから。

「宮古島からアートを発信していく目的でNPO法人を立ち上げ、活動に対して市民の理解と賛同を得たい」

立ち上がったとされているNPO「ガイア・アート協会」。3年間事業報告もなくデータベースにも無記入の集金団体。

活動なんかきいたこともない。たぶん女史が来島したときだけお世話をしているのだろう。

「作品が眺望できる場所に危険なあるため改善策を講じるよう市に要望した」

この時ばかりは市長の見識に、いいね!を百回エアークリックした。

『改善については、NPO法人の会員がどのような具体案をもっているかを論議し、場所の所有者である自治会とも相談をする必要がある』

こればかりではなく、いろいろおねだりをして帰ったはずだ。

一番恐れているのは、この愚作を宮古島市が買わせられることだ。

景観条例によって、次の工作物は、大きさ、設置位置など当然届け出の対象となるはずでどう出てくるかが楽しみだ。

その2 台風15号

2003年に宮古島を通過し、瞬間最大風速74.1m(時速267km!!!)を記録した14号(マエミー:島ではマエミーで通じます)と同じ進路で宮古島に向かっているのだ。

これが当時の進路。発生直後は消え入りそうな顔をして、移動中に大化け。30年ぶりの暴れん坊に成長したのだった。

アレ?このネタは去年もやったような。

週末はビクビクしながら久しぶりの雨読のひとときとしよう。