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しょう爺あーっと宮古

宮古島ではじめたサードライフ。気が向くまま不定期に面白いことあったら伝えます。

バスタモリ3

2025-06-05 16:35:46 | 宮古史

このシリーズも最終回。

朝6時半からの撮影開始。お疲れさまでした。

第3回は宮古島の断層と古代の生活でしたが、ブラブラ歩いてタモリの知識を引き出すという番組のコンセプトが飛んでしまって残念な内容でしたね。

「悠久の楽園」を標榜していましたが、細かいところをつくと「悠久」とは過去から未来にわたってという意味でありましょうが、過去にも多分未来も宮古島が楽園であることはないでしょう。

二百数十年も続いた「定額人頭配賦税」の時代。税による社会保障や公共施設整備、教育・生活支援など一切なくひたすら搾取され続けた過去。

石灰岩の上をロクな履物も与えられずに歩き回り、肥料の袋に頭と腕を通す穴を開けて普段着とし、毎年の台風に耐え続けた私の同世代より前の島民。

静かに暮らそうと思ってやってきた島は空前の国内外観光ブーム。最近できたニトリは商品価格のほかに離島輸送料を取り立てる.........

楽園と感じている島民がいたら出てこい!!!

 

ン?しょう爺は怒っているかな。いやいやいっときの気のまよいさぁ

 

長嶋さんが亡くなりましたね。現役で活躍していた時期は、ちょうど自由にテレビが見られない状況下にあり、リアルで見られることはほとんどなかったのですがこういう人を悠久のプロ野球選手というのでしょうね。  合掌


バスタモリ2

2025-05-28 13:53:29 | 宮古史

第2回が放映されました。

市内一の繁華街「西里大通り」から今も市中に残される井戸を巡る前半。

放送開始50秒あたりに映り込んだ居酒屋「でいりぐち」と「喫茶レオン」。

前者は予約が取りにくい店として有名ですが、「レオン」の方は飲んだ後の締めのステーキをいただく店として地元では欠かせない店なのですね。

さて

タモリ殿がこの井戸の前で羽織った宮古上布の着物。

宮古島が琉球王府を通じて薩摩藩に納めた年貢の一部として、過酷な環境の中で作られた織物だったのですが残念ながらそれには触れられていませんでした。

時は17世紀初頭。琉球王国が薩摩藩の支配下となってから実施された測量をもとに貢租が制度化されました。

これが世にいう「人頭税」。1659年から1902年(明治35年)まで243年もの間搾取されてきたものです。

正確には「定額人頭配布税」

ここで生産される「粟」と「反物」の数量を決めて、15歳から50歳までの人数の増減に関係なく宮古から琉球王府に納める年貢高を定額にする制度でした。

と、ここまで記して思い出し検索してみると。。。。。。

ありました。2014年2月17日に同じような記事を挙げていました。

で、ここでは宮古上布の現在の価格をお伝えするにとどめておきます。

上布一反は約100万といったところでしょうか。是非お買い求めください。

琉球王府の搾取の記念に。

ここに住み始めて最初に気づいたのは、「どこに行ってもヒエラルキーはなくならない」ということです。

薩摩藩→琉球王府→先島諸島

沖縄本島(元琉球王府)→離島→田舎

本島へ行くと本島以外は離島と呼ばれます。まるで沖縄本島が離島ではないかのように。

その離島へ行くと合併前の旧平良市以外は「田舎」といわれます。

宮古島は十分田舎ですとも。

ではまた来週。

 


バスタモリ

2025-05-19 16:13:22 | 宮古史

いよいよ始まりました。ブラタモリ宮古島編第1夜。ぶらぶら歩いてないじゃないかの突っ込みもある中、しょう爺視点で解説しましょう。

まず、あの2階建て天井無しバス。2022年に夜の星空ツアーを目的に導入されたもので、下地島空港と宮古本島を連絡するバスとしても利用されているらしい。

さすがに灼熱の太陽、時にはスコールを浴びながら昼日中観光目的で走行するのは無理がありますものね。

そこでこの番組は、東平安名崎が逆光で撮影されていること、人の影が長いことから早朝に撮影されたと推測されます。

なお、撮影日は私を含めて周りの島民は誰も知らなかったようで、服装と太陽の位置から冬であろうということしかわかっていません。

サンゴのかけらの白い砂に映える海の色を宮古ブルーという説明がありましたが、伊良部島のブルーと宮古島のブルーは場所によって微妙に違っており、爺は「ミヤコバルト」「イラブルー」と呼んでいるのですがまだ一般化にいたっておりません。残念!

西平安名崎から東平安名崎へと島を移動する際に超えた嶺。手元の資料から追ってみましょう。

          

バスは、この島を東西に切った上図③から①へと3つの峰を通って、平面図右下にある指差確認マーク東平安名崎にたどり着いたわけですね。

番組では4本目といっておりますが、切る断面によって峰の数が違うのはお許し下さいまし。

②の峰が最高標高(113m)がある峰でNHK+で確認すると放送開始18分あたりとなります。

宮古馬の牧場はA区間の凹んだところに位置しています。

さて次週は、表面水を集める大きな川のない宮古が、飲料水と農業用水をいかに確保したか、この3つの峰の下に潜む謎に迫ると思われます。

お楽しみに。

閑話休題

番組で説明に当たった宮古島市生涯学習部の「久貝みつぐ氏」

このブログでも人気の高い「長墓遺跡発掘シリーズ」で最初にお世話になった方で、その後いろいろな場面で薄い関係をつなげています。

少し人間が丸くなりすぎの観がありますが。

また来週お会いしましょう。

 


長墓遺跡の今

2021-02-16 17:59:10 | 宮古史

この島のコロナパニックもようやく落ち着きを見せ、昨日まで5日連続で感染無、この1週間で2人と落ち着いています。

コロナワクチン保管用の超低温冷凍庫も県立病院に配置され、来月に3台と合わせて4台が設置されるとのこと。

それでも不要不急の外出自粛は続いておりまして、まだまだ安心はできません。

そんな中、不要不急ではありますが、気分転換にNO蜜な一人探索を初めまして、絶対他人と接しない場所訪問シリーズをはじめたところであります。

第1弾が先日の排水トンネル探しでしたが、第2弾はいまだにアクセスがある「長墓発掘現場」の今です。

ただし、これも単なる思い付きですのでいつ自然消滅するかわかりませんのであしからず。

これは2010年から始まった西日本大学ハドソン教授指導の「長墓遺跡」発掘事業のお手伝いをしたことに始まります。

詳細は2010年7月5日からのシーズン1から2013年まで(最終年は不参加)のシーズン4まで各年7月頭を中心とした記事を参照してくださいませ。

さて、風葬の地の現場の記憶は残っているのか。

        

確かこの嶺の牛小屋の横だったはずですが

        

ありました。目印の慰霊の碑。

未だに供物を用意して下さっているようでしっかりと残っていました。

ところが

        

入口が見当たりません。左下の碑の脇を昇っていくはずでしたが、すっかり雑草に覆われて立ち入るすべもありません。

あれから7年もたちますので致し方ないところです。

遠い過去に葬られた人たちに合掌しつつ現場から去りました。


中休みの先

2021-02-09 17:41:49 | 宮古史

1月26日突然発表された宮古島新型コロナ感染者34名。

以来、全国ニュースにもなり、陸自派遣要請にもなり結構ざわついたこの離島ですが、昨日ようやく28日ぶりに感染者がゼロとなり小中学校の授業再開や公共施設の利用が可能となりました。

多くの方からご心配の声をいただき、なんとありがたかったことか。「離島は隔離施設みたいなもので爆発的な感染はないだろう」とうそぶいておりましたが、アルカトラズ内の感染には無力であったと思い知らされた次第です。やっぱり島流しだったのか。

公共施設利用禁止が公園や公園内の運動施設利用まで拡大されることとなり、散歩・ジョギング・軽運動を路上でやるしかなくなるのは「???」でしたがこれを機会に週末島内歴史探索一人旅を再開してみました。

新型コロナ感染のつかの間の中休みに因んで、この島にある中休みの先の土木施設をご紹介します。

宮古島市の中心平良地区から南東に約20キロのところに城辺(ぐすくべ)という地区があり、そのちょうど中間に中休みというところがあります。昔、城辺の人が徒歩や馬で平良への往復時にちょうど中間となるところでちょっと一休みした場所ということらしいです。

その先の城辺地区の北側は、四方を丘陵に囲まれ大雨のたびに浸水し梅雨時には2~3ヶ月も水が引かないという土地でございました。その対策として地元の有志が組合を組織し、4年の歳月をかけて約1キロのトンネルを東側の海へ向けて貫き排水することとなったのでございます。

そのトンネルがこちら。画像は宮古島市HPから転載しました。

           

断面は高さ2.45m中央部の幅2.7mでしたが、1933年完成から50年たった1983年には老朽化が激しくなったためその横に半径5ⅿの新たなトンネルを新設、2000年に完成しました。

その画像は..........撮れませんでした。

現在はトンネル手前の水路の補修工事中で立ち入り禁止の上、降りたとしても一人ではとても上がれません。

       

この先に坑口があると思われるのですが。

       

その手前には珍しくも水路を跨ぐ橋もあります。伊良部大橋に及ぶべくもありませんが、宮古島内の水路橋では3番目くらいに長い橋です。

というわけで中休みの先にはトンネルがあり、そのトンネルを抜けなければ元の世界には戻れない、まだ先は長いぞというお話でした。   チャンチャン