UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

クリスマスの季節に《神の御加護》問題:福島原発事故とエノラ・ゲイ号の場合・・・

2018-12-15 01:38:42 | 日記
「神の御加護」という言葉がありますね。キリスト教の聖職者や信者のみなさんなどが時に応じて使うことばです。

大半の場合「神の御加護がありますように」とか単に「神の御加護を」といった表現で願望を意味する言葉して用いられます。神があなたを、あるいは他の誰かを守ってくださいますように、というわけです。英語では God bless youなどといいます。

「神の御加護を」という表現は珍しいものでありませんが、何か具体的な事柄や事実などを指して、明確に「神の御加護があった」あるいは「これは神の御加護だ」という表現に出遭う
ことはあまりないと申しますか、稀にしかないのではないでせうか?

ところが、一昨日の新聞(12月13付け朝日)で、「あの時だけは《神の御加護だ》だと思った」とはっきり述べていた日本人の政治家がいることを知って、GGI、正直言って、想定外、驚きでありました。日本の政治家の口からこのような言葉が飛び出すなどとは思ってもいなかったからです。こう述べた人物はおそらくクリスチャンではないのではないかと思われますので、このような表現を用いたことは意外でもありました。いったい何があったのでせうか?

この人物は民主党政権時代、首相を務めたことがあり、在任中に福島原発の大事故というこれまでに経験したことのない危機に直面した菅直人氏です。

朝日新聞がいま「平成とは 取材メモから」という連載記事を掲載していますが、12月13日のこの連載記事事の見出しは

《「この国と原子力⑥」元首相「神の御加護」》

GGIはこの記事の見出しを目にしたとき、一瞬、エッ、何のことだと思いました。

菅氏は政権の座から降りた原発事故から1年半後の2012年10月に「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」という本を著しています(幻冬舎新書)。GGIもこの本を読んだことがあり、その感想のようなものをすでに2013年3月11日の日記に書いています

原発事後直後の政府の対応などが記されていますが、やはり最も衝撃的だったのは、事故発生から間もない時期に、菅氏が首相として当時の原子力委員長・近藤駿介氏に命じて行わせた、最悪事態についてのシミュレーションの結果です。管氏の命を受けた近藤氏は3月25日にその結果を菅氏に報告しているのですが、それは以下のような内容のものでした。

「避難対象は東京都を含む半径250キロ、居住する約5千万人の避難が必要」

上記の記事を書いた記者は、事故から5年後後の2016年4月に、事故当時の状況について管氏に対してインタビュを行っており、その内容はすでに一度記事にされているのですが、一昨日の記事では、その記事の要点が以下のように記されていました。

《菅はこう振り返った。「福島に計10基の原子炉がある。もしすべて制御できなくなったら、チェルノブイリの何十倍もの放射性物質が放出される。東京まで来たらどうするかと考えた。しかし口には出せない・・・」》

そこで菅氏は、上記のように最悪の事態に関するシミュレーションを早急に行わせたのですが、その結果を知って

《菅は恐れた。「五千万人が避難するとなると地獄絵です」。現実には管が書いたように「偶然」が重なったのかもしれない。2号機の格納容器の圧力がなぜか急低下した。4号機の使用済み燃料プールに奇跡的に水があった。それで、何とか最悪のケースにまで被害が拡大することだけは避けられた》

《しみじみと菅は言った。「事故後の対処に人間も頑張ったけど、『頑張った』の積み重ねだけで止まったとは思えない。正直、あの時だけは『神の御加護だ』と思ったのです」》

《福島の被害は甚大だ。当時の菅の指揮には批判も強い。国民の半分近くが避難する事態が想定され、一国の首相がおびえたと言う事実も『平成史』に残しておかないといけない。》

これは「平成史」だけではなく少なくとも日本の戦後史の残しておかなればならない事実でありませう・・・

菅氏の評価についてはいろいろな観方があるかと思いますが《「神の御加護」だと思った》、つまり「あのとき、神の御加護があった」という彼の言葉は未曽有の最悪の危機をぎりぎりのところで乗り切っての偽らざる実感でありませう。GGIは信仰無き者でありますが、菅氏のこの言葉に嘘はないと信じます。

年があければ事故から8年、GGIの知人のなかには今も被災者の支援などに懸命な人たちがいます。でも、まことに残念なことでありますが、二度目の東京オリンピックや新天皇の即位、それに万博などを控えて、福島原発事故が風化しつつあることは否めないように思われます。東電を除く大手の電力会社にとっては、今や福島原発事故は遠い対岸の火事と化しているといっても過言ではないでありませう

しかしながら、未だ原発が必要と考えている諸氏は、とりわけ安倍首相をはじめとした政府関係者と全国の電力会社の諸氏は、菅氏の言葉、《「神の御加護」だと思った》という言葉が持っている意味をいま一度しっかり受け止めるべきだ、しっかり噛み締めるべきだとGGIは思います・・・あのとき、「神の御加護」がなかったらどうなっているか・・・

二度と「神の御加護」があるとは限らないからです。

などと考えおりましたら、もうひとつ、「神の御加護」についての話を思い出してしまいました。これは「神の御加護があった」という話ではなく、恐るべき重大な使命を無事に果たすことができるように「神の御加護を」願うと言う話です。これも原発に関連した話、つまり、原発の父(母?)である原爆に関連したはなしです。

1945年8月6日午前2時、米軍のエノラ・ゲイ号は世界初の核兵器、原爆を投下するために広島に向けてテニヤン島を飛び立ちました。出撃にあたり、搭乗員全員を前にして従軍牧師が祈りをささげたことが良く知られています。この話は一度、2017年1月26日の日記にすでに書いておりますので、以下に一人の従軍牧師の祈りの内容だけを再録しておきます(従軍牧師はプロテスタントの牧師二人、カソリックの神父一人の計三人であったとされています)。

従軍牧師ウィリアム・ドゥネイ大尉の搭乗員たちのための祈りは次のようなものでした。

主よ。主を愛する者の祈りを聞き給え。

主の存ます天の高みとともに高く天翔けり、
戦いに向かう者とともに在まさんことを。

命ぜられし地へ飛ぶかれらを守り給わんことを。

われらとともにかれらも、主が強さと力を知り、
主が力に鎧われて、速やかに戦いを終わらしめんことを。

戦いの終りの速やかに来たり、
再びわれらに地上の平和を知らしめ給わんことを、
主の前に奉る。

この夜飛ぶ人々の、主が守りによりて安らかに、
また帰路を全からしめられんことを。

われら常に主の加護を知り、ひたぶるに主を信じ進まん。

(注:この祈りの日本語訳は堀田善衛の小説「審判」から引用しました)

エノラ・ゲイの搭乗員は全員、この従軍牧師の「神の御加護」を願う祈りにより、「無事」任務を完了し、テニヤンの基地に帰還したのでありました・・・

しかし、彼らが無事帰還したことにより地球規模の危機の時代、「核の時代」が始まったのです。「神の御加護」とはいったい何のためだったのでありませうか・・・・

一方、エノラ・ゲイの「神の御加護」については、宗教的見地から謝罪の意を表明している人物もいます。

エノラ・ゲイ号の機長であったポール・ティベッツはカトリック教徒であり、同機にはカトリックの従軍牧師ジョージ・ザブレッカ神父も搭乗していたとされています。原爆投下にカトリック教徒と神父が関わっていたことについて、第63回国連総会で議長を務めていたミゲル・デスコト・ブロックマン氏(ニカラグアの元外相)は2009年8月6日、広島での式典において次のように述べています

親愛なる兄弟の皆さん、

 私は、世界がかつて目にしたなかで最大の残虐行為を想起する、この最も厳粛な機会を皆様と共に過ごすことを光栄に思い、また深く心を動かされています。

 本日、私は国連総会議長としてだけでなく、個人的な立場からも、この場に臨席しています。

 ローマ・カトリック教会の神父及びナザレのイエスの弟子として、宿命的なB-29エノラ・ゲイ号の故ポール・ティベッツ機長が我々の教会の信者であったという事実に対し、私は心の底から日本の兄弟・姉妹の許しを請いたいと思います。後に、カトリックの従軍牧師であったジョージ・ザブレッカ神父が、この行為がイエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めたことは、私にとってある程度の慰めではありますが、私は、自分の教会の名において皆様に許しを求めます。

 64年後、原子爆弾による破壊という恐ろしい現実は、悲しみと恐怖、そして、無理からぬ怒りを呼び起こす力を全く失っていません・・・(中略)

 日本が核兵器による攻撃という残虐行為を経験した世界で唯一の国であり、更に日本が許しと和解の素晴らしい模範を世界に示してきたことに鑑みれば、私は日本こそが、最大限の道義的権威を持って、核保有国をこの象徴的な平和都市である聖なる広島に招き、世界に核兵器を一切許さない「ゼロ・トレランス」への道を進み始めることにより、我々の世界が正気を取り戻すプロセスに真剣に着手することのできる国であると信じます。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は福島事故当時の菅氏の姿です。上記の記事から借用しました。

グッドナイト・グッドラック!

官邸が作っていた《最悪のシナリオ》・・・・

2013-03-11 01:07:31 | 日記

明日11日で福島第一原発事故の発生から丸3年になります、そのためか事故発生直後の報道がいいかげんだと評判のよくなかったNHKさんも反省の意味もあるのでしょうか、連日なかなか力作のドキュメンタリを放映しております

そこで今夜はGGIも昨日の品性無き日記を反省しまして、今夜若干まじめに参りたいと思います
すなわち今夜は、事故発生から2週間後に「官邸が作っていた《最悪のシナリオ》」についてのお話です。この話、もうすでにご存じの方も多いのではないかと思うのですが、そのような方はどうか遠慮なく読み飛ばしてください

これは当時首相であった管直人氏の著書「東電福島原発事故・総理大臣として考えたこと」(幻冬舎、2011年10月刊)に記されていたはなしです。

管元首相は、注水作業などにより最悪の危機を脱しつつあると思われた事故発生から約10日後の2011年3月22日ごろに、近藤駿介・原子力委員会委員長に対して、最悪の事態に至った場合のシミュレーションを行うよう命じ、その結果3月24日に「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」と題された文書が近藤氏から管首相のもとに届けられたと記しています。

今夜の写真は、この文書を基に作成された地図です(同書の21ページ)。よろしければ写真をクリックしてご覧ください

このシナリオの内容に異論のある人もおられるかもしれませんが、でも、GGIは事故発生からまだ時間を経ていない混乱した状況のなかにあって、この「最悪のシナリオ」を作らせた管直人氏の判断そのものは極めて的確であったと思います

この文書において「水素爆発で1号機の格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したとの想定で、注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や、1号機から4号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出されると、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロにおよぶ可能性がある」との説明が行われていたとされています。

そして管元首相は「半径250キロとなると・・・約五千万人が居住している。つまり五千万人の避難が必要ということになる・・・放射線の年間線量が人間が暮らせるようになるまでの避難期間は、自然減衰にのみ任せた場合で数十年を要するものとされた。・・・・もし五千万人の人々の避難ということになった時には想像を絶する困難と混乱が待ち受けていたであろう。そしてこれは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ」と記しています。

さらに、管氏は非公式にこのシナリオは作成されたものであり、この想定に基づいた避難計画の立案は指示していないとしつつも、「現在の日本には戒厳令は存在しないが、戒厳令に近い強権を発動する以外、整然とした避難は無理であろう」と記しています。

しかし、実際にこのような事態に至ったならばたとえ戒厳令を下しても5千万人の避難は事実上不可能だろうとGGIは思います。先日、数人の知人たちといっしょに、福島から避難してきて湖国で暮らしておられる方から直にお聞きした避難の様子はGGIが思っていた以上に混乱を極めたものだったからです。福島第一原発から23キロほどの地点で暮らしておられたた方の話です
 
《屋内退避と言われても何日も家に閉じこもっているわけにはいきませんでした、数日のうちに食品などが手に入らなくなりました、近隣のスーパーやコンビニの棚からは、すぐに調味料やサラダ・ドレッシングの類以外はすべてなくなってしまいました。そして、ふと気が付くと、近所の方が歯が抜けるように姿を消しているのです、一昨日はあっちの家がどこかへ避難、昨日は気が付いたら隣の家がもぬけの殻といったありさま、それで私の一家も、伝手をたよってより遠くへと車で避難することにしました、めいめい、点々バラバラに、自分の判断で自分が選んだ方向へ避難したのです、車で移動できない人には市がバスを仕立ててくれたのですが、そのバスがいったいどこへ向かうのか分からないのです、ですから乗りたがらない人もいたのですが、留まるわけにもいきません、ほんの二、三日分の手荷物を持って不安な気持ちでバスに乗らざるを得なかったのです、そしてそのまま家に帰ることができなくなって・・・》

この話をきいてGGI、ほんとうにびっくりいたしました。というのはチェルブイリ原発事故についてのドキュメンタリ映画に描かれていた様子とそっくりだったからです。この映画では、避難はほんの数日のことだと言われて身の回りのものが入ったカバンと一匹のネコを脇に抱えてバスに乗り込むお婆さんの姿が描かれていました

福島でもこのようなありさまだったのですから、五千万人の避難なんて・・・
しかし、五千万の避難が可能か否かは別にして、管直人氏の言葉でやはり忘れられないのは「これは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ」という一行です

まだ事故から2年に過ぎないのですが、原発はもういらないのではないかと思っているGGIのような人間も含めて、なんだか「紙一重で現実となった話」であるということを忘れがちなような気がする、と言っては言い過ぎでしょうか

この福島からから逃げてこられた方は「日本って、もう一度事故が起きなければ駄目なんじゃないでしょうか」ともおっしゃっていました・・・・

グッドナイト・グッドラック