最近、気球問題で米中・日中のあいだでもめていますね。中国が放った気球、米側がいったん軍事目的ではなかったことが判明したとしましたので一件落着かと思ったら、やっぱりスパイ気球とちゃうかというわけで、日米は「他国の上空に勝手に気球を放つのはけしからん」、中国は「いや気象観測のためやかららそんなに目くじら立てるようなことないやろ、たまたまお宅のほうへ飛んでいっただけ、気球は風まかせなんや」・・・・
まあ、どっちもどっち、意地の張り合い、いくら犬猿の仲とはいえ、まことに大人気ない、実害があったわけではないのだから、ここはみなさん大人になって事を収めるべきではないか、などと私は思うのですが・・・それとも、日米も中国ももめることに意義ありとでも思っているのでありませうか・・・
この気球を巡るゴタゴタの報道に接して、戦中生まれの日本人である私は、おもわず、そういえばかつての大戦中、わが日本は米国に向けてたくさん気球をぶっ放したことがあったなあと、記憶を新たにいたしました。
全員が戦後産れの自衛隊員諸氏、防衛庁の諸氏、おそらくはほとんどが戦後生まれの政治家諸氏の皆さんにとりましては、そんなこと知ったことかと思われるかもしれませんが、この我が国の歴史をしっかり記憶に留めておくことは決して無意味ではないのではないかと考え、今日は日本の気球話について記すことにいたします。
日本が米国に向けてぶっ放したのは何らかの「観測」を目的としたものではありませぬ。爆弾付きの気球です。正式には「気球爆弾」、通称「風船爆弾」、この気球が米国に向けて放たれたのは先の大戦、つまり日本の敗戦がすでに極めて色濃くなっていた太平洋戦争末期の1944年11月~1945年3月のことです。
わが日本軍、もう勝てる見込みはゼロ、あとはいつまで持ちこたえられるかという状況に追い込まれて、なんとか米国に一矢を報いようと風船爆弾で米国を「空爆」しようと考えたのです。コンニャク糊を使って和紙を張り合わせて作った風船に爆弾を吊り下げて、水素を詰めた風船を偏西風に乗せて放てば太平洋を横断して米国上空に至り、そこで爆弾を落とせば米国のどこかに何らかの被害を与えることができるだろうという皮算用、今から考えますと、運任せ風任せの極めて大雑把な希望的観測に満ち満ちた大作戦でありました。
風船を作るのに女子学生さんたちが大動員されました。今日の写真は北九州平和資料館に保存されている風船爆弾の実物です(北九州平和資料館のサイトに掲載されている写真を勝手に借用させていただきました。ゴメンナサイ)。よろしければクリックしてご覧ください
ウィキペディアさんの「風船爆弾」の項によりますと、風船の装備や風船爆弾による米国空爆の「成果」は以下のようなものであったとされています
風船の直径は約10メートル、総重量は約200㎏、15キロの爆弾1個と5㎏の焼夷弾1個を積んでいたそうです。1944年11月~敗戦の年1945年の3月までに9000個の風船が米国に向けて放たれたものの北米大陸に到達したのは300個程度(もっと多かったとする説もあります)に過ぎなかったとされています、風船爆弾作戦の戦果はほとんどありませんでした。米国側の人的被害は米国オレゴン州でピクニックに来ていた人たち6人が木に引っかかっていた風船爆弾に触れて死亡したというのが米側の唯一の人的被害であったとされています(その他に若干の山火事や建造物などの被害などが船があったようです)。
まあ、費用対効果を考えるならば効果はほぼゼロに等しい「米国空爆作戦」でありました。米国本土を直接攻撃することで米国側に心理的動揺を与えることを目的としたとされていますが、その実態は日本軍お得意の精神主義によるひとりよがりな作戦であったというべきでありませう・・・
最近、ウクライナ紛争に便乗して日本では防衛費倍増、敵地攻撃能力云々など防衛ブームですが、防衛省・自衛隊諸氏がまたしても「敵基地攻撃能力」として風船爆弾のようなアホなことは考えることはないものと、私は一国民として固く信じております。
しかしながら、ウクライナもロシアも死者が日に日に増える一方の泥沼化するウクライナ紛争、日本がかつてただの敵国である米国の尻馬にいつまでも乗っていると大怪我しないとも限りませぬ。このままでは欧米とロシアの産軍複合体に大儲けさせるだけです。そろそろ日本政府は眼を覚ましてこの尻馬から降り、国際紛争の解決に武力は決して行使しないと宣言している誇り高きわが憲法の精神に則り、ウクライナ紛争の休戦あるいは停戦に向けて、本気になって同様の考えの中立的な国々と連携して、努力を傾けるべきではないかと愚考するしだいです・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!
まあ、どっちもどっち、意地の張り合い、いくら犬猿の仲とはいえ、まことに大人気ない、実害があったわけではないのだから、ここはみなさん大人になって事を収めるべきではないか、などと私は思うのですが・・・それとも、日米も中国ももめることに意義ありとでも思っているのでありませうか・・・
この気球を巡るゴタゴタの報道に接して、戦中生まれの日本人である私は、おもわず、そういえばかつての大戦中、わが日本は米国に向けてたくさん気球をぶっ放したことがあったなあと、記憶を新たにいたしました。
全員が戦後産れの自衛隊員諸氏、防衛庁の諸氏、おそらくはほとんどが戦後生まれの政治家諸氏の皆さんにとりましては、そんなこと知ったことかと思われるかもしれませんが、この我が国の歴史をしっかり記憶に留めておくことは決して無意味ではないのではないかと考え、今日は日本の気球話について記すことにいたします。
日本が米国に向けてぶっ放したのは何らかの「観測」を目的としたものではありませぬ。爆弾付きの気球です。正式には「気球爆弾」、通称「風船爆弾」、この気球が米国に向けて放たれたのは先の大戦、つまり日本の敗戦がすでに極めて色濃くなっていた太平洋戦争末期の1944年11月~1945年3月のことです。
わが日本軍、もう勝てる見込みはゼロ、あとはいつまで持ちこたえられるかという状況に追い込まれて、なんとか米国に一矢を報いようと風船爆弾で米国を「空爆」しようと考えたのです。コンニャク糊を使って和紙を張り合わせて作った風船に爆弾を吊り下げて、水素を詰めた風船を偏西風に乗せて放てば太平洋を横断して米国上空に至り、そこで爆弾を落とせば米国のどこかに何らかの被害を与えることができるだろうという皮算用、今から考えますと、運任せ風任せの極めて大雑把な希望的観測に満ち満ちた大作戦でありました。
風船を作るのに女子学生さんたちが大動員されました。今日の写真は北九州平和資料館に保存されている風船爆弾の実物です(北九州平和資料館のサイトに掲載されている写真を勝手に借用させていただきました。ゴメンナサイ)。よろしければクリックしてご覧ください
ウィキペディアさんの「風船爆弾」の項によりますと、風船の装備や風船爆弾による米国空爆の「成果」は以下のようなものであったとされています
風船の直径は約10メートル、総重量は約200㎏、15キロの爆弾1個と5㎏の焼夷弾1個を積んでいたそうです。1944年11月~敗戦の年1945年の3月までに9000個の風船が米国に向けて放たれたものの北米大陸に到達したのは300個程度(もっと多かったとする説もあります)に過ぎなかったとされています、風船爆弾作戦の戦果はほとんどありませんでした。米国側の人的被害は米国オレゴン州でピクニックに来ていた人たち6人が木に引っかかっていた風船爆弾に触れて死亡したというのが米側の唯一の人的被害であったとされています(その他に若干の山火事や建造物などの被害などが船があったようです)。
まあ、費用対効果を考えるならば効果はほぼゼロに等しい「米国空爆作戦」でありました。米国本土を直接攻撃することで米国側に心理的動揺を与えることを目的としたとされていますが、その実態は日本軍お得意の精神主義によるひとりよがりな作戦であったというべきでありませう・・・
最近、ウクライナ紛争に便乗して日本では防衛費倍増、敵地攻撃能力云々など防衛ブームですが、防衛省・自衛隊諸氏がまたしても「敵基地攻撃能力」として風船爆弾のようなアホなことは考えることはないものと、私は一国民として固く信じております。
しかしながら、ウクライナもロシアも死者が日に日に増える一方の泥沼化するウクライナ紛争、日本がかつてただの敵国である米国の尻馬にいつまでも乗っていると大怪我しないとも限りませぬ。このままでは欧米とロシアの産軍複合体に大儲けさせるだけです。そろそろ日本政府は眼を覚ましてこの尻馬から降り、国際紛争の解決に武力は決して行使しないと宣言している誇り高きわが憲法の精神に則り、ウクライナ紛争の休戦あるいは停戦に向けて、本気になって同様の考えの中立的な国々と連携して、努力を傾けるべきではないかと愚考するしだいです・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
グッドナイト・グッドラック!