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つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

谷川岳の珈琲(3)

2019-07-04 12:25:09 | エッセイ

エッセイ 谷川岳の珈琲 (3) 【自由課題・季節】 2017/9/29

悪天候の中、谷川岳に登り始めたがすぐに断念し、途中で安藤さんが入れてくれた「谷川岳の珈琲」を飲み、知り合いがいると言う水上に行くことになった。

「少し変わった人だけど、とってもいい人」安藤さんのてきぱきした言葉に、よく事情が呑み込めないまま、ついて行くことにした。

雨が本降りになり、人影のない駅で長い時間を待ち、やっと来た電車に乗って水上駅に降りた。
安藤さんはホームで人を探していたが、「行こう」と言って駅の裏通りにあるアパートに行き、慣れた手つきで鍵を探し、自分の家のように入った。
古い部屋の中は、安手の座卓と座布団が何枚も積んであった。

「ここは皆のたまり場なの」、皆とは山岳会のことらしかった。
部屋の持ち主はちゃんと居るが、登山の途中、天気の急変などがあった時は、何日でも泊まる人がいるのだと言う。

 温泉の観光客で賑う駅は、駅弁を売る人が大勢いてその一人が部屋の持ち主だと言う。
しばらくして、その人が帰ってきた。
若い人かと思ったら年配の男性で、安藤さんの紹介を笑顔で受けてくれた。

その人は、水上温泉の大きなホテルの仕出し駅弁を売っているので、いつもお客さんが使った後の温泉に入るとか。
「夜、遅くなったら温泉に連れて行くから、ひと眠りして待ってて」と言い、「商売、商売」と言いながら出かけて行った。

遠い日のことなので、あの晩のことや、次の日はどうしたのかが思い出せない。
後日、その人と、東京で飲みましょうと約束をしていたので、新宿の居酒屋に四人で集まった。

「ここに来る前、山岳会の若い衆が、パンツをプレゼントしてくれたよ」と言って、紙包みを広げ、色とりどりのパンツを見せてくれた。

 

 

 

 

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エッセイ 谷川岳の珈琲(2)

2019-06-23 07:48:37 | エッセイ

エッセイ 谷川岳の珈琲(2)  課題【欲しい・飽きる】 2017/9/2 

土が雨に流された道は、ごつごつして歩きにくい。
沢の水が音を立てて流れている。

一寸した平地に出た所で、安藤さんは小さなテントを立てた。
そしてザックの中からコンロを出し、汲んだ沢水でお湯を沸かし、約束の「谷川岳の珈琲」を作り、カップに取り分けた。

テントの中は狭く、寄り添ってしゃがんだ。
帽子をとると、三人とも濡れた髪が顔に張りつき、化粧の落ちた顔が可笑しいと、長い時間笑った覚えがある。

帰り道は、だだっ広いまっすぐな道路が続き、たまに材木を積んだトラックが通る、誰とも会わない道だった。
そういう所だから、勿論トイレは無い。
林さんは我慢が出来ないと言った。
隠れる窪みも見当たらない。仕方がないので道の端に傘を広げて用を済ませた。

私の番になり同じようにしたが、二人に見られてるような気がしてうまくいかない。
トラックが来ることも心配だった。
「じゃあ三人の傘で囲ってあげる、車が見えたらすぐに知らせるから」と言って先に歩いて行った。

山では、男性が用を足すために列を離れる時は、「雉を打ちにいく」、女性は「お花を摘みにいく」と言うのだと安藤さんは教えてくれた。

彼女は駅までの道を歩きながら、山岳会のこと、次に行く山の事、仲間内のあれこれや、費用の事などを話した。
私と林さんは「くたびれないの」「寒くはないの」、「お風呂はどうするの」などと、たわいのない質問をした。

以前は囁くように話し、すぐに弱気になっていた安藤さんとは見違えるようだった。
すっかり、何か、自信を掴んだらしかった。
私と林さんは相も変わらず、仲間内だけで、強気なことを言っているだけのような気がした。

 

          

 

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エッセイ 谷川岳の珈琲(1)

2019-06-01 09:44:54 | エッセイ

エッセイ 谷川岳の珈琲(1) 課題【切符・証明書】 2017・9・8

若い頃、いつも集まっていた友人達と、近くの山へ行くことが多かった。
その中の一人、安藤さんは背が高く、おしゃれな気取り屋さんだった。
体力はありそうなのに、すぐに弱気なことを言う。
山道が長く続き、足元が危なっかしい時など、皆も我慢しているのにそれを言うから、途端に「弱虫ね」となる。
「私は銀座で生まれたの、こんな所は無理よ」
「育った所は違うでしょう」
その後アテネフランセに通い、通訳になると言って会社を辞めた。

一年ほどしてから皆で会った。見違えるように体格ががっちりとして、日焼けしている。
私たちはどこか「フランス」的な雰囲気を予想していたから驚いた。
通訳はどうしたのかと聞くと、「無理」、後は何にも聞かないでと言うように強い口調で言った。
その代り新宿の山岳会に入って登山をしていると言う。
私たちは行ったこともない、遠くの有名な山を縦走したとか、雪山にビバークする等と、歯切れよくしゃべった。

「今度一緒に谷川岳に行こうよ、沢の水で入れた美味しい珈琲を飲ませてあげる」谷川岳とは腰が引けたが、今迄大きな顔をした手前、林さんと私が行くことになった。

その日は天気が悪く、雨と風が吹いていた。
安藤さんは大きなザックを背負ってきた。
上越線の土合駅だったか長い駅の階段を上り、改札口で「東京からです」といって切符を出した。
又長い道を歩いて山に登り始めた。
樹木の生えてない岩山に取り付いたが、強い風が下からも煽る。
背中でザックがぐらぐらと揺れる。
霧で何にも見えない。
不安がる私たちに「平気よ」と言いながら暫く登ったが、降りてきた男性グループに「やめた方がいい」と言われ、何か話をしていたが、諦めたのか下ることした。

本降りになった沢道を、それぞれが黙って歩いた。

 
               

 

            

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エッセイ 赤いベレー帽

2019-05-18 13:01:24 | エッセイ


 
エッセイ 赤いベレー帽 【服装・装身具】 2012/5/11

 独身時代、会社の同僚、安藤さん、林さんと、いつも一緒に行動していた時期があった。
私より三つ年下の、安藤さんと林さんが仲良くなって、その後に私が入ったように記憶している。
安藤さんは、眼鏡をかけていて、固太りの少し色黒、たっぷりの髪の毛をピンで留めたり結わえたり、学生のような雰囲気だった。
性格は気取り屋で、時々、首を少し傾げて「なぜ?」と澄ました顔をする。

林さんは安藤さんと反対に、色白ですらりとした体、髪の毛も少し茶色だった。
性格はおっとりとした自然体で、目が合うと、すぐに笑いたそうな顔をする。
一番年上は私だった。

会社からの帰りに、洋服を見に行くことが多かった。

洒落たお店に入ると、安藤さんはすぐに声を潜める。
私達が笑ったりすると、「しっ」と唇に指をあて、静かにとの仕草をする。
私と林さんは急には変われなくて、首をすくめる。

安藤さんはある時期から、コンタクトレンズに変え眼鏡をかけなくなった。
眉毛を整え、口紅も変えた。ピンでとめていた髪の毛は、額の真ん中で分けストレートに下し、すっかりお洒落に目覚めたようだった。

ある朝、少し遅れて、赤いベレー帽を被って出社してきた。
女子社員は「えっ」といった調子で顔を見合わせが、男性は大げさに「驚いた」と声を出した。
今から三十年以上前のこと、女の子は日除け帽以外、帽子を被る人は少なかったので大いに目立った。

夕方、安藤さんはベレー帽を被らなかった。
林さんと三人でぶらぶら駅に向かって歩いていた時、「ワインレッドが、すごくきれいだったの」と言った。
ベレー帽を被るのは勇気がいる。
たまたま、ワインレッドが、ベレー帽だったと、言い訳をしているようだった。

 

 


 

 

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エッセイ メロン

2019-04-23 16:02:18 | エッセイ

 エッセイ メロン  【夏・自由課題】  2014/7/11

夫と二人、朝はパン食にしている。
夫々が好きなパンと紅茶、ヨーグルト、ハムかウインナー、枝豆、そして果物と言うメニューを飽きもせずに食べている。

果物は季節によって少し変わるが、秋から冬はリンゴ、春になると柑橘類やイチゴ、たまにはさくらんぼの日もある。
梅雨時は意外と果物の種類が少なく、小玉スイカやメロンを食べる。
メロンと言っても網目模様の高級なものではなく、最近の品種改良された手頃な値段の物を使う。
今朝もメロンを切り分けたが、ふと昔のことを思い出した。

当時渋谷の商事会社に勤めていた。
会社は小さかったが、社長は若く活気があり、社員も楽しい人が多かった。
若手の青年ユウちゃんは、顔はイマイチだが人気者だった。
レストランのウエイトレスをしているケイちゃんという恋人がいて、細いズボンに先の尖がった靴を履き、雨も降っていないのに長い柄の傘を持っていた。
長いスカートのケイちゃんと、流行の「みゆき族」を気取っていた。

集金をしてきて、計算をするのに大きな声で独り言を言う。
「合わないよ」、「飯代は自分の財布から出した」、「俺が机に出したのを、誰か取っただろう」、皆ニヤニヤしながら聞いている。
「ああ、何とか合ったよ」と経理に伝票とお金を出すと「適当に合わすんじゃないよ」と課長の篠さんから声がかかる。
背の高い篠さんは口数の少ない文学青年風だが、時々言う冗談は
面白いから皆に好かれる。

当時は高度成長期で会社の決算は毎回黒字、よく週末に会食があった。

ある時、宇田川町の会席料理に行った。
社長がデザートにメロンが出てくると言ったので期待していた。
最後に、気取った皿の真ん中に、薄く切って倒れそうなメロンが出てきた。
皆は黙って食べた。

突然「メロンて固い物だな」と篠さんが言った。
すかさずユウちゃんが「皮食ってるの」と聞いた。
「こんなに薄いのでは食うところがないよ」と篠さんが言ったので、一気に緊張がほぐれ、皆が笑った。

 

 

 

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エッセイ オートバイ

2019-04-01 15:43:09 | エッセイ

エッセイ オートバイ  課題【残す・捨てる】 2011/9/9

ある夏、夫が自転車で転んで大怪我をした。
足首複雑骨折で、2ヶ月近く、会社の近くに入院した。
私は毎日、バスと電車を乗り継ぎ、日陰を探しながら病院へ通った。

昼間、お見舞いのお客様や、仕事の連絡で会社の人が来る。
身体もきつかったが、精神的にも疲れた。

ブスが取れ、リハビリは、自宅近くの病院に変わってその年は暮れた。

年が明け梅の咲くころ、私に異変が起きた。
腰が重く感じたと思ったら、足が痺れ時々猛烈な痛みがくる。
長時間のパソコン操作で、疲れと冷えで筋肉が悲鳴を上げた。

そして春休み、二男がスノボーで足を骨折した。

何と言うことだろうと思った。
家族全員が、足の災難に見舞われた。
何か呪われている。
テレビで見た占いのことを思い出した。
乗らなくなった車を、手入れもしないで放っておくと足を怪我する。

「あっ」と思った。
長男の大きなオートバイを玄関先に置きっ放しにしている。
ナンバープレートを無くして乗らなくなり、そのままにして、アパートに引っ越ししてしまった。

業者に引き取ってもらうには、買った時の証明書が必要だと教えられたが、それも見つからない。
その内、そのうちと二年近くになっている、3月末には自動車税の納期だ。 

雨が降っていたが、思い切って陸運局に行くと、年度末のせいか混雑している。
係員に書類を出すと届出人の証明が必要だと言う。
私は持っていなかったので、車で待っている二男を呼びに行った。

松葉杖を突いた二男に、足を引きずった私が傘を差しかけ、水溜りをよけながら歩く。
順番待ちをしている大勢の人がこちらを見ている。

「気の毒に、家族で交通事故に遭ったのだ」と思われたかもしれない。

  つつじのつぶやき・・・8年前の作品です。
                
新しい春、使われなくなった物はさよううならですね。

 

 

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エッセイ 金仙寺の枝垂れ桜

2019-03-05 15:00:01 | エッセイ

エッセイ 金仙寺の枝垂桜  課題【春・自由課題】 2010・4・9

月に一度、10人ほどのサークルで、狭山丘陵を歩いている。
春の予定を決める時は、皆で迷う。
お花見に行きたい所が、分れてしまうからだ。

今年は、所沢の金仙寺の枝垂桜と決まった。
西武線の小手指から、早稲田大学行きのバスに乗って、終点で降りる。
バス停の直ぐ前は、里山の入り口だ。
静かな雑木林に入ると、もう木々は芽吹いていて、時々黄色い花かと思うくらい、鮮やかな若芽が風に揺れている。
ぬかるんだ山道を歩いて行くと、小さな沼に出会う。
狭山丘陵から染み出した水が、チロチロと音をたてながら流れこみ、鉄分を含んだ沼は、落ち葉が鈍い色をして積もっている。

しばらくして、金仙寺の見える道路に出た。
満開の時は遠くからでも判る枝垂桜は、まだ咲いていない。
やっぱり昨日迄の強い風と、肌寒い気温に、桜も蕾を開けなかったようだ。

金仙寺は、小高い丘の上にある。
急な坂道と階段を上って、枝垂桜の下にたどり着く。
桜は、堂々とした大木で、丁度三分咲きと言う所だった。
花が満開の時は、その下に立って見上げていると、ふわっと、花の精に包まれたような、懐かしい気持ちになれる。

このお寺の後ろに、地元出身の、個性的な俳優「左ト全」の墓がある。
生前住んでいた、世田谷の自宅の門が、表札が掛かっている状態で移築されている。
本名は三ヶ島一郎というそうだ。

墓地は「三ヶ島家」として、比較的広い区画が囲われて、中ほどに「奥津城」と立派な石碑が立っている。
「此処にお城があったのかしら」と私が言うと、「神道の方では、お墓をオクツキと言うそうで、三ヶ島家は代々神官だったから、この石碑なのでしょう」と友人が言った。

  先生の講評・・・・・・・・花の写生はしっかりしている。
               結末は「左卜全」の個性について触れたい。
               今のままの結語では「幕が下りない」。

 つつじのつぶやき・・・9年前の作品です。
               左卜全の剽軽な役
などを書いたらとのようなお言葉でした。

 

 

   

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エッセイ どうして私は 

2019-02-20 10:46:12 | エッセイ

エッセイ どうして私は   課題 【決断・迷い】 2010.3.12      

と私の三人で、結婚の話しをしていた時、『、おばあちゃまと結婚するんだ!』と言いました。
それを聞いたTは、『じゃあ、はお母さんと結婚する』 可哀想な、次男の!」

友人のお孫さん、長男の君五才、二男の君三才との、三人の会話です。
長男は、若いお母さんと結婚し、心優しい幼い二男は、おばあちゃんと結婚する。
いつもお兄ちゃんに先を越されてしまう二男を、思いやっている、友人のブログです。

この文章を読んだ時、H君がどう感じて言ったかは分からないが、もし、「しまった」と思ったとしたら、私と同じだなと思う。

何かを決める時や、気まずい空気が流れたような場面で、つい、口をひらいてしまう。
例えば何人かで会話をしているような時、相手をなじるような話や失言があって、サッと空気が変わる事がある。
そんな時につい言葉を発してしまう、「でもさー」と。
そして余計な事を言って、その言葉にあわて、「しまった」となる。

時には、代表を決めなくてはいけないような時がある。
最初に口を開いたら負けみたいな空気、代表になれない言い訳が延々と続くと、つい口が出てしまう「じゃー私が」と。

そして、又言っちゃったと後悔しながら、「出来るの?」と、自分の中でドキッとする。
やるのなら、先のことを考えて決断し、堂々としてればいいものを、直ぐに反省する。

どうして私は、静かに微笑んでいられないのだろう。
物事を深く考えない行動は、「しまった」が多すぎる。

血液型占いによると、考えが浅く、行動が先に来るという、当たっている。
それに、私は長女、お姉ちゃん癖のお節介と、物事をじっくり考えないで熱くなる、おっちょこちょいな性格も、一因なのかもしれない。

「お手伝いするけど、みんな協力してね」
「やれるとこまでよ」
最近は、そんな逃げの言葉も用意している。

   つつじのつぶやき 9年前の作品です。

                友人のブログの一説が心に残っています。
                T君、H君のその後を時々思います。
                4月、新しい出会いがいろいろな葛藤を生みます。



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エッセイ 年末

2019-02-11 13:55:23 | エッセイ

,エッセイ 年末 【冬・自由課題】2011・1・14   

「宝くじを買おうよ」と夫が言う。
「やだ、当たらないから買わない」
「買わなきゃ当たらないよ」と食い下がる。

何日かして、「買うけど本当に買わない?」と念を押す。
「買わない」、「3億円当たったらいいな、少しお姉ちゃんに上げるんだ」と言う。
お姉ちゃんとは夫の姉の事だ。
夫は営業の成績に行き詰ると姉に頼む。
姉もそんなにゆとりがあるとは言いがたいが、多少とも、弟の頼みに形をつけてくれる。
だが長年の不況でかなりの損をさせてしまっていることが堪らないらしい。

私も以前は夫に頼んで買ってきて貰ったが、買うといっても少ない額だから全然当たらない。
当たらないことの言い訳を考える。
スーパーマーケットの駐車場に並んだ車のナンバー、4桁さえも、近い番号は殆んどないし、ましてや、組番号と6桁の番号を当てるなんてまず無理なことだと諦めたのだ。

クリスマスイブの日、駅前のバス停前に長い行列が出来ていた。
その日が年末ジャンボ宝くじの締切日なのだと、係りの人があおっている。
もうすぐ締め切りの時間ですと言われれば、確かに並びたくなる。

中々来ないバスを待ちながら、その光景を眺めていたが、相当のお金がはずれ券と言う紙切れになり、引き出しの奥にしまわれるのだろう。
人は年末になると、日頃我慢している夢を当選金で叶えてみたいと、宝くじを買うのかもしれない。
年末のハウスクリーニングや、料亭のお節は私の見る夢だが、夢では年を越せない。

何日かお天気が続くので、つい余計な家事にまで手をつけて忙しがっている。
窓ガラスを拭きながらカーテンを見ると洗いたくなるし、植木に挟まった枯れ葉も気にかかる。
昼間の暖かさに油断をしていると、夜の寒さにふるえる。
寒がりの夫に炬燵を出し、火鉢の灰もきれいにして、今日中に炭を注文をしなくてはと思う。

  つつじのつぶやき・・・古い作品です。何年たっても同じ風景が見られます。
                

 

 

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エッセイ 「少女」

2019-01-30 07:45:04 | エッセイ

  エッセイ 「少女」  課題【男・女】 2010・12・24

私が通った小学校は家から遠かった。
砂埃の舞う砂利道を、いつも敏子さん和子さんと三人で帰った。

ランドセルを揺する癖のある敏子さんはよくしゃべった。
「又、お母さんが少女を送ってくれるって」。
「少女」とはその頃人気のあった少女雑誌のことで、クラスでそれを買ってもらえるのは敏子さんぐらいだった。
敏子さんのお母さんは東京で働いていたので、お祖父ちゃんと暮らしていた。

田舎の小学生にとって「少女」は、まぶしく憧れだった。
松島とも子や美空ひばりがどんな洋服を着ているのか、封切られる映画は何か、今流行している歌など、知りたいことが沢山載っていた。

3人とも美空ひばりに夢中で、美空ひばりの歌や映画の話をいつも話題にした。
特に可哀そうな話が好きで、「りんご追分」や「越後獅子」の歌を歌いながら「かわいそうだったよね」と、急にその場面を思い出し、涙ぐみながら歩いた。

和子さんは、小さい時から家の近い敏子さんと遊んでいて、敏子さんの言うなりのようになっていた。
私はどちらかと言うと、いやな事ははっきり言う癖がある。
時々、敏子さんの話す事が気に入らないと、「ちがうよ」と言い返して黙り込む。
すると敏子さんは「お母さんが少女を」と言い出す。

雑誌が届くと敏子さんはクラスの人気者になる。
休み時間には、皆が「少女」を覗き込み、「うあ~」とか「すごいね」とか歓声が上がる。
私は輪の外で知らん振りをする。

帰り道、「少女」の話が出ると、どうしても見たい気持ちを抑えられなくなり、敏子さんの関心を引こうと媚びた話し方をした。
敏子さんを思い出すとき、自分勝手な苦い思い出も付いてくる。

  先生の講評……少女の心をたどる細やかな心理描写

  つつじのつぶやき……エッセイ教室に通い始めて2年目の作品です。
                 遠い日の記憶をたどるのもいいものですね。

 

 

 

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