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つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 東京ジャーミー

2020-01-27 19:33:22 | エッセイ

エッセイ 東京ジャーミー  課題【冬・自由課題】2020.1.10

小田急線代々木上原の東京ジャーミィに行った。
グループの一人が以前行ったことがあり、一見の価値があるというので、今年最後の街歩きになった。
駅近くの井之頭通りに建つトルコ系のモスクは変わった建物なのですぐに分かった。
礼拝場に直接入るのには白い大理石の急な階段を上るが、濡れた踏み石がつるつるで滑りそうだ。

玄関前の広場で、女性は髪をスカーフ等で覆う。
イスラムの教えに公共の場で女性の美しさを家族以外には見せないという。
それぞれが、首に巻いていたスカーフを頭に被ろうとするが、強い風に煽られてうまくいかない。
「真知子巻き」がいいと皆でやり直す。
「こんなことは子供の時のお姫様ごっこ以来ね」、「風呂敷を被ったわね」等、神聖な所に入っていくというのに少し軽薄かな。
靴を脱いでトルコ系のモスクに入る。
思った以上に大きな丸天井とシャンデリア、ステンドグラスが華やかに色どられ、壁に、アラビア語でコーランの教えや、チューリップ等の植物の絵が沢山描かれている。

前に入った高校生の集団に、日本人の信者が説明をしている。
後ろについて話を聞いた。
正面のアーチ型のくぼみが聖地であるメッカの方角だという「ミフラーブ」。
そこに向かって一日五回お祈りをする。
イスラム教徒は偶像に向かって祈るのではないそうだ。
私は本物の礼拝を見たことはないが、額を床に擦り付ける姿はオーバーな様に感じていた。
だが、日本でも昔、両手を床に着き額を付けたお辞儀はしていた。
言われてみれば成程と思う。
礼拝は精神の栄養、食事は肉体の栄養だと聞かされ、これも納得した。

急な螺旋階段を上って、女性信者の祈りの場所を見た。
狭い。行動も規制された狭い世界に生きる女性を見るようだ。

珍しい文様に違和感がないのは、昔から絨毯や織物を見てきたからなのか、懐かしい気すらした。
壁の一部に描かれた茶色の文様は、若い頃、巻きスカートを作った更紗の模様に似ていた。

  先生の講評 ・・・
       一風変わった東京ウオッチング。
       素直な感情がでている。 
  

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エッセイ 庭の雪

2020-01-19 11:27:48 | エッセイ

             エッセイ 庭の雪  課題【歌う・踊る・話す】 2012.2.10

                今朝、東京にも雪が降った。
                  年末からカラカラお天気が続いていたが、これでやっと解放される。
                  雪が降ると、随分前に読んだ「歳時記」を題材にした、小さな一文を思い出す。

                  二月の章だったと思う。
                  東京では、二月に降る柔らかな雪は結構積もることがあるという。

                  若いお母さんが、子供が小学校に入ったので、午後二時迄、パートタイムで働きに出た。
            ある日、雪が降りだし思いの外積もった。
            職場では風邪が流行っていて、何人かが休んだ。
                  上司から、「すまないが二時間だけ延長して働いてくれないか」と言われ断れなかった。

                  初めて子供が帰ってくる時間に居てやれない不安がよぎった。
            が、もしもの時は、庭の片隅の、ある場所に鍵を置いておくことを教えていた。
                  だから大丈夫だろうと仕事を終えた。

                  冬の夕暮れは早い。
            薄暗くなった雪道を買い物をして帰ってくると、家の明かりがついていない。
            庭に回ると寒いコンクリートの片隅に子供がいた。
                  驚いて訳を聞くと、雪が積もっていて鍵の場所が分からないという。


                  この話を思いながら、自分の中で空想を膨らませる。

                  子供を持つと親は強くなる。
            庭付きの建売住宅を買って、つつましく暮らしている。
            子供が小学校に入ったら、パートに出て経済を楽にしたいと思ったのだろう。
                  それを子供もわかっていて、鍵が見つからなくても言われたところで待っている。

                  二人は、抱き合った。と思う。
                  子供は?、お母さんは?、泣いたかしら。

                  多分お母さんは、夕ご飯の支度をしながら、じわじわとこみ上げるものがあったのではないだろうか。
                  私は切ないお話が大好きです。

                    つつじのつぶやき           
                  昨日2020年1月18日、東京にも小さな雪が降りました。
                 雪を見ると8年前のこの作品を思い出します。

 

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エッセイ 居酒屋

2020-01-14 17:33:18 | エッセイ

エッセイ 居酒屋  課題【笑う・泣く】2019年五5月24日  

子供の頃、夕方になると縁側の雨戸を閉めるのは私の役目だった。
たまに閉め忘れて燥いだ声を立てていると、帰ってきた親に叱られた。
雨戸は朝早く開け、暗くなる前には閉める。
外と内、昼と夜を分ける暮らし、お日様に合わせた一日を過ごしていたように思う。
子育てをしていた頃よく感じた事だが、夕方になると、子供は変に燥いだり愚図ったりする。
流しやガス台の前を行き来していると、「もうやめて」と足にすがりつく。
「一寸だけ待って」と続けていると泣き出す。
昼と夜の境目は、人間を不安にするのだろうか。

この頃、子育てを終わった人達と、何かと集まる。
最近仲間の一人が転勤になるので、居酒屋に集まった。

靴をぬいて座れるお座敷タイプ、後ろの席は十五人ぐらいの若い人のグループだった。
女性の高い声が響き、男性は手を叩き、大声で盛り上がっている。

私達の隣のテーブルが空いていた。
そこにまだ三十代かと思われる夫婦と子供二人が入ってきた。
小学生低学年位の女の子、幼稚園生位の男の子、驚いたことにコートを脱いだお母さんは胸に赤ちゃんを抱いている。
お父さんはバギーを畳んで隅に置く。
私には思いもやらぬ光景にどぎまぎし、目を合わせないようにして背を向けた。
何度も来ているのか、普通に注文をし、出てきた料理をお父さんが取り分け、子供たちは静かに食べる。
お母さんは赤ちゃんの口にスプーンを運びながら、お父さんと乾杯をしている。
そこだけを切り取ったら、どこにでもある普通の家庭の夕食風景だ。
時々男の子が床に寝転んだりするが、別に騒いだりはしない。
今、若い夫婦は、大人が集う居酒屋に子供を連れてくることに抵抗はないのだろうか。
昼と夜、内と外、そして子供と大人、境目のない暮らしに驚いている。

先生の講評……居酒屋、そうらしい。
          カラオケもそうだがキッズルーム風の対応があると聞いた。

          変化になかなか追いつかない心理はよくわかる。

 

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エッセイ カサブランカ

2019-12-29 17:37:28 | エッセイ

エッセイ カサブランカ 課題【冬・自由課題】 2019.1.11

師走
今、夫と二人暮らし。毎日の家事は少なくなり、随分と自由な時間ができた。
呑気に構えていたら風邪を引き、なかなか治らず二十日を過ぎた。
25日に引き落としがある、通帳に入金しなければいけない。
そして年賀状、生協で注文していた白菜も届いた。 
天気もいい、起き上がった。銀行だ。
自転車に乗ると何だかふらつく。
帰りに郵便局で年賀状を買った。
久しぶりにお昼ご飯が美味しい。
午後は白菜を漬ける。今年の白菜は瑞々しい葉がきれいに巻いて大きさが丁度いい。
毎年、おせちと同じくらいに大事にしている白菜の漬物、昆布も柚子も用意していたのに唐辛子を忘れた。

三十日
いつも二十八日迄には済ませた門松やお飾りを忘れていた。
花屋に行き門松や輪飾り、裏白などを選び、大きな花瓶に生けるカサブランカを買った。硬い蕾が少し不安だったが奮発した。

一夜飾りのお正月にならなくて良かった。
二人で年賀状を書く。
夫は年賀状の中の誰を探しているのか分らなくなると言う。
何だか二人はおかしい。


新年
年が明けて浅草に行くことにした。
松の内から浪費をしたくないので、財布には少ないお金を入れ、夫に宣言した。
「今日の支払いは割り勘ね」。 
一日中、人混みの中を歩き回って疲れた。家に帰ってくるとホッとする。
何となくニヤニヤしていた夫が、突然「帽子の代金忘れないでね」と言う。
初売りの帽子を買うのを渋っていた私が「お金が無い」と言ったら、確か「出しておく」か「出す」とか言った。お店の人には、まるで自分が妻に買ってあげるというような支払い方だったのに。
「なあんだ、買ってくれるのではないのか、ケチだな」と思った。
 
微かに百合の香りがする。
夫が「花が開いているよ」とカサブランカにライトを当てた。
「見たのね、これは高いお花だったのよ、だから割り勘になります。

つつじのつぶやき・・・・・昨年の年末と、お正月のあれこれです。
               今年も同じように過ごしています。
               平和ってことですね。

 

 

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エッセイ民謡(4)

2019-12-20 12:41:15 | エッセイ

エッセイ 民謡(4) 課題【来る・行く】  2019年9月27日 

 先生のお宅は西荻窪だった。
日曜日になると三味線を持って習いに行った。
ガラス戸を開けると玄関はいつもきれいに拭き清められ、季節の花が生けてあった。
背中の随分曲がった男の人がお茶を出してくれる。
お父さんかと思ったが、親戚の人だと言う、二人で住んでいる様だった。
大抵は何人かの兄弟子が次の稽古を待って、掌で膝を軽く叩いて調子を取っている。
先生と一対一のお稽古は気づまりだった。
撥の持ち方から竿の抑えどころを聞いてぽつりぽつりと音を出してみるが、本当に難しい。
顔を上げると兄弟子たちも苦笑いしている。
唄と同じ、こちらも大いに苦労した。
毎日の練習が必要なのに、家でのおさらいは殆どしなかった。
会社から帰ると食事やお風呂、後片付け等をすると遅くなる。
静かな夜に三味線をセットして音を出すのは気が引けた。
一寸も上手になれない三味線は、唄よりも自信を無くした。
 
ある時、先生が出る小さい舞台だったが、三味線を抱えて先生の後ろに座らせられたことがある。
「出来ないです」と言ったのに振りだけでいいからと言われ、手元が見えないように先生の後ろに座った。
何曲かの後、先生が弾くのを止めて振り返った。
何かいけない音を出したのかとひやっとした。
「三味線を貸して」と私のを持つと、糸を締めている。
糸が切れたようだった。
私の安物の三味線に持ち替えて、何事もなかったように弾いた、驚きだった。

民謡を辞めたのは何だったろうと思い返すことがある。
唄も満足な出来にはならなかったが、三味線が難しかったのが大きな理由だったかもしれない。
夏に「高円寺の阿波踊り」で三味線を弾くと言うのを聞いて辞めたような気がする。
若い日、良くしてくれた人達にきちんとお礼を言ってきたか、ずーと心に小さな棘がある。

 

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エッセイ民謡(3)

2019-12-11 11:11:22 | エッセイ

エッセイ 民謡(3) 2019/9/13  課題【自由課題

教室は商店街の年配の人が多かった。
商店街と言うとざっくばらんの話し方を想像するが、お互いに敬語を使い、馴れ馴れしい感じはしなかった。住宅街からの人もいたから、高円寺という土地柄なのかもしれない。
私は若いと言うだけでよく声をかけてもらった。
先生からは年配の人には頼みにくい小さなお使い、例えば舞台に上がる時など、お茶が欲しい、バックを持ってきて等。
当たり前だが頼まれると嬉しかった。
喫茶店に入った時も傍に座るように手招きし話の輪に入れてくれた。
新入りの私でも、何か役に立つことができる、居場所があると感じた。
商店街でも古くからある古本屋のOさんがいた。
余り笑わない人で、二人きりになった時などは苦手だった。
いつもきちんと唄い駄目出しは少なかった。
私は何度も間違い、言われた所ができない。
体の力が抜けて「フッ」と笑ってしまうが、そんな照れ笑いを見たことがなかった。
帰り道、他の人と別れて二人きりになった。
歩きながら、熱心に私の話を聞いてくれた。
何か不安なことを言ったのかどうか覚えていないが、お店の前に来ても話は続いた。
それからは帰り道で沢山のおしゃべりをした。
お蔭で年上の人と話す時の緊張が少し。薄らいた。
黒い髪をきっちりと纏め、笑った時、奥の金歯が覘くOさんを思い出す。
何の唄が十八番だったのだろう。
教室の唄では毎回汗をかいていたのを気の毒に思ったのか、先生から三味線を習わないかと言われた。
思ってもみない事だった。
暫く考えたが、他の舞台で三味線を弾く若い人を見ていたから、悪くはないかと思った。
 三味線は高そう、買うのを躊躇していたら兄弟子が「ピンキリだよ、撥だって最初は木でいいんだよ」と教えてくれた。
貯金もそんなに無かったから、キリの方でも痛い出費だった。

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エッセイ 民謡(2)

2019-12-03 10:34:34 | エッセイ

エッセイ 民謡(2) 課題【澄む・濁る】  2019年8月23日

民謡教室には休みながらも2年近く通った。
何とか続いたのは、年齢はまちまちだったが毎回和やかな集まりと、その人なりの特徴を尊重する稽古だったからだと思う。
中にとても上手な人が居た。
東北の唄だったかもしれないが澄んだ声が響くと皆聞き惚れた。
その人もだが、何人かが先生の個人指導を受け三味線や太鼓も習っていた。
教室の時は、会員に合わせて三味線や太鼓を叩いてくれた。 

会ではお揃いの着物を用意しなければならなかった。
先生がその事を言うと、親子で習いに来ていた呉服屋さんのお母さんが、帰り道、閉店した店に案内してくれた。
商店街の中でも大きなS呉服屋、「ちょっと待ってて」と言い奥に引っ込んだ。
豪華な着物に見とれていると、息子さんも出てきて採寸をしてくれた。
お母さんにはきちんと敬語で話している。
その後も時々お店に寄ったが、誰が買うのか素晴らしい絞りの着物があった。触るとふんわりし、とても軽かった。
ボーナスが出た時、付け下げを誂えたが、そんな時は息子さんが取り計らってくれた。

先生が出る舞台に、何とか社中みたいに弟子達が駆り出される。
勿論個人指導を受けている人は上手だから問題はないが、その域に達していない人もいる。
私などはその最(さい)たる者なのに、人数合わせに呼ばれた。

舞台が決まると、何時も舞台の立つ位置で一騒ぎがあった。
年配の女性は、前に出るのを嫌って下がろうとする。
結局若いと言うだけの理由で前列へ押し出された。
日比谷公会堂の舞台で唄っている、小さな写真がある。
今ではとても考えられないことだ。

色々揉めた舞台でも、終わると鉢洗いと言う飲み会がある。
稽古の時、厳しいやり取りで音を確認していた兄弟子達も、すっかりリラックスして先生に冗談を言っている。

私は何時まで経っても上達しないから、民謡の弟子になった気にはなれなかったが、真剣にお稽古をする風景は好きだった。

 先生の講評‥‥・下線の部分のために全文がある。

 

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エッセイ 耳

2019-10-30 16:43:13 | エッセイ

エッセイ 耳 課題【耳】   2019年Ⅰ月25日  

出かける時は、バスに乗ることが多い。
最近とても疲れやすくなった。
余程急用でなければ、座席に座るようにしている。
渋滞などで長い行列の時は立ってでも乗るが、停留所が近づく度に、席が空かないかとキョロキョロするから恥ずかしい。

入口から後ろの席は二人掛けが多く、そこに座ると連れの人との会話が耳に入る。
すぐ後ろの席の女性が、バイト先のあれやこれを話している。
ラストオーダーが遅いとか、お通しがどうのこうの、店長に文句を言われて泣いたとか。
居酒屋に勤めているのかなと言う様な会話だった。そんな話の後に、
「就職が決まっておめでとう」
「それはいいのだけれど、お給料が安いので心配、保険とか引かれると二十万円にならないみたい」
「バイトでは、幾ら位貰っているの」
「夏休みや多い時は三十万円以上あったわ」
「でもいいじゃない、夕方早く帰れるし、毎月決まったお給料が入るもの」

 降りる時、それとなく見たら近くの大学の学生のようだった。
華奢な体の地味な学生が、夜の居酒屋で頑張っているのだ。
「へ―― 凄いな、アルバイトの方がいいのだ」なかなか聞けない話だ。

 昼間のバスは空いている。
斜め後ろの座席は、母親と娘さんらしい二人が座っていた。

「今月は何時お金を入れるの、自分の物ばっかり買って」
「・・・・・」聞き取りにくい。
「すぐ、直ぐにと、先月も言ったよね」
「だからね・・・・・」
「今日帰り、銀行に・・・・・、いつも胡麻化すのだから、父さんも・・・・・」

大きな茶色のショールを巻いた娘さんは、周りを気にしてか、小さな声で何か言う。
お母さんは「えっ、えっ?」と聞き返し、興奮してきたのか「もうーっ」と大きな声を出し、静かになった。
何を聞いたのかな。

 

 

 

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エッセイ 落葉(2)

2019-09-06 09:46:25 | エッセイ

エッセイ 落葉(2)【秋・自由課題】  2011・10・14

 つつじのつぶやき・・
          長雨や突然の大雨、9月は油断できませんね。
          私の大好きな狭山丘陵、これから秋を感じに出かけますよ。


 

東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵は、民家に近い里山として、昔から生活に深くかかわっている。
今は深い森に覆われている谷戸も、人の手で丹念に作られた田んぼだった。
歩いていると、こんな山奥の方まで開墾したのだろうかと、小さな石積みに、稲作に生きた生活がしのばれる。
そして
、なくてはならない日々の燃料として、楢やクヌギの雑木林も多く残っている。

 

私は、四季の変化が楽しめる散策に、友人たちとよく出かける。
春には芽吹きの初々しさ、夏は太陽を遮る深い緑、秋の黄色に染まった木々には思わず声をあげる。
冬になると、葉を落とした林の中は、柔らかい日差しがさし込んで明るい。
木枯らしが吹くような時でも、足元の落ち葉は暖かく、小鳥や小動物、虫たちの寝床にもなるという。
その落ち葉は木々を育み、ドングリなどが実り、生きものの食べ物になる。

 

友人は、道端に落ちている葉っぱを裏返して「この葉っぱは、ヒノキかサワラか?」などとクイズを出す。
「これはサワラ」
「どうして」
「白い葉脈が×印で連続している、さわらない」と腕を交差する。
「ヒノキは」
「ヒノキは、ローマ字のYがつながっているので、ヒノキだわい」と散策が続く。

 

時々、無残な杉林に出会うことがある。密集して植えられた木が倒れ、その下の土がえぐり取られ、赤土がむき出しになっている。
枝打ちや間引きがされず、葉を落とさない常緑樹は、日が差さず、暗くてじめじめし、小鳥の声も聞こえない。

 

大きな山崩れが起きないうちに、もう必要のない杉林などの植林を控えて、自然の森に戻し、生きものや植物たちと棲み分ける時が来たのだと思う。



 

 

 

 

 

 

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エッセイ 落葉

2019-08-28 07:52:18 | エッセイ

エッセイ 落葉  課題 【明るい・暗い】   2011・9・30

つつじのつぶやき・・・ 9月、台風や長雨のニュースに、2011年に書いたエッセイを思い出します。
                           
  今も気持ちは変わりません。大事にならないことを祈っています。


台風12号で、和歌山県地方の山が土砂崩れに見舞われた。
河川に堰き止められ水が一度に流れる心配があり、下流では避難する騒ぎになった。

ニュース画面では、大きく山肌をえぐり取られた上に、沢山の木が投げ出されている。
余りはっきりしたことは分からないが、杉かヒノキのように見えるがどうなのだろうか。
手入れはされていたのだろうか。

私はかねがね、こういう林を疑問に思っていた。
と言うのは、里山歩きをしている狭山丘陵などでも、時々無残な杉林に出会うことがある。
密集して植えられた木が倒れ、その下の土がえぐり取られ赤土がむき出しになっている。
枝打ちや間引きされない杉やヒノキなどの常緑樹は、葉も落とさないので保水性がなく、日が差さない林は、暗くてじめじめし、小鳥の声もしない。

だが丘陵は、そんな林はほんの少し。
ほとんどは楢やクヌギの雑木林が、季節の変化を見せて楽しい山道が多い。 
芽吹きの初々しさは春を、夏は太陽を遮る深い緑、秋には黄色に染まった木を見上げ、思わず声をかけたくなる木々。
冬になると、葉を落とした林の中は、柔らかい日差しがさし込んで明るい。           

木枯らしが吹くような時でも、足元の落ち葉は暖かく、小鳥や小動物、虫たちの寝床にもなるという。
その落ち葉は木々を育み、ドングリなどの木の実が、いきものの食べ物になる。
四季の繰り返しの中で、保水性のある落ち葉は、雨水を地中深く溜める役目をし、きれいな湧水で川を作る。

戦後の木材需要で杉やヒノキが多く植えられたが、最近は輸入木材におされコストの面から放っておかれているという。
もう必要のない杉林などの植林を控えて、自然の森に戻す。
明るい森で、いきものや植物たちと棲み分ける時が来たのだと思う。

 

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