トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

若桜鉄道で若桜町を訪ねる

2011年04月09日 | 日記
「春はあけぼの」は清少納言、われわれ庶民は春は桜花です。鉄道線では、桜のつくちょっと気になる鉄道が鳥取県の若桜鉄道です。
  
鳥取県郡家駅(こうげえき)と、兵庫県境に近い八頭郡若桜町をつなぐ19.2kmの鉄道です。岡山から行くには、かつては、津山線と因美線でまっすぐ北に向かうのが一般的でした。今も、このルートでも行くことができるのですが、津山からの因美線の本数がきわめて少なく接続もよくないので、岡山駅から「特急スーパーいなば」に乗るのが一般的です。岡山からJR山陽線を東に向かい、兵庫県のJR上郡駅から智頭急行線に入り、鳥取県のJR智頭駅で因美線に合流し、三角屋根のJR郡家駅で下車しました。JR岡山駅からJR郡家駅までは1時間40分ぐらいかかりました。
 
若桜線は、かつての日本国有鉄道若桜線。昭和5(1930)年12月1日に開通しました。すでに開通から80年を超えています。「国有鉄道敷設法」では、「若桜から兵庫県八鹿付近に至る鉄道」となっていましたが、若桜から先は着工されることなく、いわゆる「盲腸線」となっていました。現在では、地元自治体等が出資する第3セクターの鉄道になっています。
  
若桜駅の魅力は、SLに、SL時代の給水塔、そして転車台が、駅構内に残っていることです。このSL、C12167は、兵庫県多可町から譲られたといわれています。
若桜駅にあるこれらの施設とともに、若桜駅、丹比駅、八東駅、安倍駅、隼駅、因幡船岡駅の各駅舎とプラットホーム、橋梁などが、平成20(2008)年、「登録有形文化財」に登録されています。このSLを動かす募金も行われています。JR郡家駅から若桜駅までを、30分で結んでいます。

鳥取県と兵庫県の県境に近い、山間の若桜町は、鳥取藩主の参勤交代に使われた若桜街道(伊勢街道)の宿場町として、そして商業の中心地として栄えました。

今も、通りの随所に当時の面影を残していますが、実は、明治時代の大火でほとんど焼失してしまい、民家のほとんどは、それ以後に建てられたものです。
 
今も残る民家から、大火の後のまちづくりの様子を知ることができます。写真は土蔵が並ぶ「蔵通り」ですが、大火の後には、火災に強い土蔵しか建てることができなかったという事情がありました。細い路地を圧倒するかのようなどっしりとした土蔵が存在感を示しています。

これは「カリヤ通り」です。通りから3メートルほど内側にずらして、通路沿いに小さい川を引いて、民家と川の間にひさしをつくった民家が残っています。「カリヤ」とは「仮屋」のことで、この庇の下の1mぐらいの道のことです。豪雪地帯の若桜町だけに、川は雪を流すのに使われたり、鯉の飼育に使われたりしていましたが、これも、大火の教訓から学んだまちづくりの工夫でした。


若桜線で行く若桜駅と若桜の町は、山間の小さな町ですが、歩くと不思議に元気の出て来る、魅力にあふれた町でした。


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1 コメント

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見ました (山田のくり)
2012-02-21 19:36:08
久しぶりに見せていただきました。またまた、ユニークな旅をされましたね。
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