牛山隆信氏が主宰されている「秘境駅ランキング」。岡山県からは4駅が上位200位以内にランクインしています。JR因美線の知和駅(134位)を除くと、他の3駅はすべてJR伯備線の駅になっています。
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鉄道地図(「JTB時刻表」)のJR伯備線です。JR山陽本線の倉敷駅から新見駅を経由してJR山陰線の伯耆大山駅をつなぐいわゆる「陰陽連絡路線」の一つです。電化されており、岡山駅とJR山陰線の出雲市駅を結ぶ”特急やくも”が、ほぼ1時間ごとに1日15往復が運行されています。急坂と急カーブの多い路線のため381系の”振り子電車”で運用されています。伯備線は、倉敷駅・備中高梁駅間と、井倉駅・石蟹(いしが)駅間が複線区間になっています。この沿線に、秘境駅である方谷駅(197位)、布原駅(40位)と、この日訪ねた新郷(にいざと)駅があります。新郷駅は、牛山氏のつくられた基準で、秘境度3、雰囲気3、列車到達難易度8、外部到達難易度2、鉄道遺産指数2ポイントの総合評価18ポイントを獲得し、139位の”秘境駅”にランクインしています。
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新郷駅は、新見駅から4駅目になります。次の上石見駅からは鳥取県にあるため、新郷駅は県境の駅ということになります。新見駅を13時23分に出発する伯備線の電車で新郷駅に向かいました。
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途中の布原駅は、伯備線の列車は通過する駅でしたが、この列車は行き違いのため運転停車しました。備中神代(びっちゅうこうじろ)駅と足立(あしだち)駅に停車した後、13時50分に新郷駅に到着しました。下車したのは私一人、乗車される方もおられませんでした。ちなみに、この駅の1日の乗車人員は16名(2011年度)だったそうです。
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米子行きの電車が出発していった後のホームです。ホームは緩やかに左カーブしています。反対側の上りホームの待合室とその裏にある民家が見えました。
新郷駅は、中国山地の真っただ中、標高353mの岡山県新見市神郷釜村にあります。
山際の狭いホームを歩きます。
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下り線(米子方面行き)のホームの端に踏切がつくられていました。そこを横断して上り線(新見方面行き)のホームに入り待合室に入ります。
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ホームには屋根がありません。雨をしのぐことができるのは待合室だけのようです。
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時刻表や運賃表などのJRが用意した掲示物とともに、地元の児童が描いたポスターや、地元の方がつくられた座布団がありました。地元の方が駅舎の掃除をしてくださっているそうで、ゴミ一つない清潔な待合室になっています。地元の方の駅に寄せる思いを感じます。ポスターを描いたのは、神郷北小学校の児童でした。「神郷」は「しんごう」と読みます。
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待合室に掲示されていた時刻表です。一日に、上り(岡山方面行きが)列車が9本、下り(米子方面行き)列車が8本、発着しています。朝6時51分発の電車(休日は運休です)は、なんと! 新郷駅が始発駅になっています。
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駅前に出ます。駅前広場の向こうに和忠(わただ)川が流れているため、さほど広くはありません。盛り土の中に石碑が立っていました。「昭和五十七年秋 新郷駅開設三十周年記念碑」と書かれていました。
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陰陽連絡路線である伯備線は、北と南の両側から工事が始まり、昭和3(1928)年に、最後まで残っていた備中川面(びっちゅうかわも)駅から足立駅間が開通して全線が開業しました。新郷駅は、かなり遅れて、戦後の昭和28(1953)年にやっと開業にこぎつけました。当時の長谷部与一新郷村長らの請願が実り駅が設置されたそうですが、開設に伴う経費(約380万円)は地元の負担になりました。そのときの駅舎は、現在より100mほど北に設置されていたそうです。現在の場所に移転したのは、昭和47(1972)年のことでした。石碑に揮毫されている木村睦男氏は、元運輸大臣を経験した参議院議員でした。木村氏の政治力が大きかったのでしょう、このときは国鉄の予算でつくられたそうです。
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三十周年記念碑の隣には、「新郷駅の歌」の碑が建てられています。「昭和輝く 新郷の 燃える希望の駅なりて 歓呼はあがる 旗の波 歓呼はあがる 旗の波」(漆島静雄 作詞)、開設当時の村民の熱気と喜びが伝わってくるようです。
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秘境駅といわれていますが、和忠川を挟んで駅のすぐ東には県道が走っています。そのため、付近の住民の生活も、車に依存しています。列車の方は、一日8~9本しかなく、インターバルも日中は2時間ぐらいあって、便利とは言い難い感じです。
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こういうことがよくあるのでしょうか? 「大雨」のときは道路は通行禁止になるようです。
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道路を北に上っていくと、左側に、石碑が立っていました。「戸田寅太殉職碑」とありました。地元の請願を受けて、昭和25(1950)年実態調査をしていたとき、上り列車を避けようとして鉄橋から転落し亡くなった「開設の礎」、戸田氏をしのぶ石碑でした。
私、到着度最初にやってくる上り(新見方面行き)列車、15時29分発の新見行きで引き返すことにしていました。その間に通過した列車をチェックしてみました。
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上り岡山行きの”特急やくも16号”。
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下り出雲市行きの”特急やくも13号”。
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上りの貨物列車です。EF641019号機に牽引された列車です。山陽と山陰をつなぐというニーズは多いのですが、その途中に居住する人のニーズは多くない、そんな印象でした。
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そして、15時29分発の新見行きの普通列車です。キハ120348です。単行列車でした。青春18きっぷの季節のせいか23人ぐらいの乗客で少し混雑していました。
岡山県最北の県境にある新郷駅。「秘境駅」というイメージ通り、列車本数が少なく乗客もさほど多くはありませんでした。駅周辺に5-6軒の民家がありましたが、道路が近くにあり日常生活には支障がないようでした。かつて訪ねたJR土讃線の土佐北川駅(2013年12月2日の日記)と同じように、「鉄道到達難易度」だけが高い「秘境駅」でした。しかし、地元の人々の駅にかけた思いが伝わってくる駅でした。