岡山県倉敷駅と鳥取県伯耆大山駅を結ぶJR伯備線の、倉敷から47.4kmのところにあるJR方谷駅。備中松山藩に仕えた漢学者、山田方谷(1805~1877)に由来する「人名駅」として、全国の鉄道ファンに知られています。
平成23年3月18日に、国の文化審議会(文化財分科会)が「登録有形文化財」の新登録について、文部科学大臣に答申しました。その中に「JR伯備線の方谷駅」が入っておりました。「登録有形文化財」への登録は確実といわれています。
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JR伯備線は、岡山県三大河川の一つ、高梁川に沿ってつくられています。国道180号線から高梁川を渡った東岸、切り立った山裾にJR方谷駅はあります。
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JR方谷駅は、昭和3(1928)年に開業しましたが、創建当時の姿をよく残していることが今回の答申の大きな理由でした。外見は、切り妻づくりで、多くの小規模駅舎に共通するデザインですが、入り口の張り出し部分の二本の柱が石でつくられているのが特徴です。
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1日の乗車人員、47人という無人駅です。決して広くはない駅舎には、「きっぷうりば」と荷物預かり所が当時の姿のまま残っています。カレンダーが妙に新しく見えました。
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金属製の改札口を出ると大きな駅表示が掲げられています。上り方面の「備中川面」駅、下り方面の「井倉」駅が示されていました。改札口の上には、使用済み切符の回収箱がつくられておりました。
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しかし、改札口を出ても、ホームにはいけませんでした。石垣の上の一段高い所に、線路とホームが見えていました。ホームに出るには、一度、上り方面に向かって進み、線路の下をくぐって、さらに階段を上ります。
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島状のホームに出ると、引き込み線に保線車両が入っていました。オレンジの制服を身につけた倉敷保線区員が、井倉方面にある踏切付近に並んで立っておられました。「おっ!これは列車の到着か!」。しばらくして、上り岡山行き「特急やくも10号」が入ってきました。
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「やくも10号」は通過ではなく停車でした。運転停車で、ドアは開かないままでした。一人車掌さんだけが、ホームに下りておられました。すると下り出雲市行きの「特急やくも7号」が入ってきて、こちらは停車しないでそのまま通過していきました。特急同士の豪華な行き違いでした。
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帰りに駅の事務室を見ると、たくさんの絵が飾ってありました。それだけではなく、湯沸かしの道具や飲み物のカップも置いてあります。今は、地元の方の集会に使われているのでしょう。
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駅前の広場の一角に、「山田方谷先生旧宅 長瀬塾跡」の碑が建っています。ここJR方谷駅は、山田方谷の住居跡なのです。備中松山藩の元締め役を退いた後、安政6(1859)年、この地に移ってきました。越後長岡藩で藩政改革を主導した河井継之助が、その年に彼を訪れています。備中松山藩の改革を進めた方谷に、教えを請うたのでしょうか。長瀬塾は、明治元年(1868)年に、山田方谷が開いた学塾でした。
JR方谷駅は、岡山県唯一の「人名駅」です。
当時の鉄道省は、人名を避け、地名である「中井」、「西方」、「長瀬」を、駅名として考えていたといいます。「方谷」の名を残したい地元の人々は、「方谷」は人名ではなく、「西方の谷のこと(地名)だ」として、(駅は、高梁市中井町西方にあります)といって、陳情を繰り返したといわれています。全国に知られる人名駅は、地元の人々の熱意で生まれたのでした。
JR方谷駅が「登録有形文化財」に登録される日が一刻も早く来てほしい、その日を心待ちにしているところです。
★ 追記 JR方谷駅は、平成23(2011)年7月25日、国の登録有形文化財に登録されました。
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