トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

大阪府で最も西にある駅、南海電鉄多奈川駅

2018年09月01日 | 日記
南海電鉄の本線から分岐する路線は、汐見橋線、高師浜線、空港線、多奈川線、加太線と和歌山港線の6線ですが、すでに、汐見橋(しおみばし)線(「レトロな駅舎が続く、南海電鉄汐見橋線」2015年12月17日の日記)、高師浜(たかしのはま)線(「私鉄の最短路線、南海電鉄高師浜線に乗る」2015年11月27日の日記)は訪ねて来ました。今回は、大阪府最南端の町、泉南郡岬町を走る多奈川(たながわ)線に乗って、多奈川駅を訪ねることにしていました。多奈川駅は、大阪府の最西端に位置する駅として知られています。

みさき公園駅です。多奈川線の起点になっています。多奈川線は、戦時中の昭和19(1944)年に、潜水艦などを建造していた川崎重工業泉州工場に勤務する従業員を輸送することを目的に、南淡輪(みなみたんのわ)駅をこの地に移設し、多奈川駅とを結ぶ鉄道として開業しました。当初は会社合併により、近畿日本鉄道の路線としての開業でした(昭和22年、会社分離により南海電鉄多奈川線になっています)。現在の「みさき公園駅」に改称されたのは、隣接するみさき公園が開園された、昭和32(1957)年4月のことでした。また、現在の姿に改装されたのは、平成2(1990)年。南海電鉄では「海を思わせるヨットのデザインを採り入れ、紺と白を基調とした外装と熱線反射ガラスを採用した」と説明されています。平成14(2002)年には、「第3回近畿の駅百選」に選定されました。「青い空とマッチしたモダンで清潔な駅」だなと感じました。

この地図は、”深日港観光案内所さんぽるた”でいただいたパンフレットに載っていたものです。みさき公園駅から深日町(ふけちょう)駅、深日港(ふけこう)駅を経て終点多奈川駅までの2.6kmの鉄道です。この日は、終点の駅、多奈川駅を訪ねることにしました。

多奈川線の電車に乗車しました。この日は、2252号車(多奈川側)+2202号車(みさき公園側)の運用でした。行き先表示には「みさき公園・多奈川」と書かれています。多奈川駅に着いてから撮影しました。

車両の内部です。土曜日の昼過ぎの電車でしたので、乗客はほとんどおられませんでした。

みさき公園駅を出たワンマン運転の2200系2両編成の電車(2202号車+2252号車)は、途中で、並行してきた南海本線と離れて進んで行きました。

前回訪れた深日港駅(「南海電鉄多奈川線、深日港駅を訪ねる」2018年8月27日の日記)まで2.1km。駅前の踏切から見た多奈川駅です。

深日港駅から1分(500メートル)、みさき公園駅から6分で、多奈川駅に着きました。2面1線のホームにまっすぐに入って行きます。

2面1線のホームです。頭端式のホームの突きあたりに車止めがありました。全長2.6kmの短距離路線ですが、これを見ると、遠くにやって来たなあと感じてしまいます。車止めの向こう側に駅舎が見えました。向かって左側のホームの左側には、今は撤去されていますが、かつては線路があり2面2線の駅になっていました。

乗車してきた2200系車両です。みさき公園駅と多奈川駅間の線内を往復運転しています。左側のドアが開き、左側のホームに降車しました。現在はこのホームで乗降が行われています。長いホームを駅舎に向かって進みます。

駅舎の前に移動して、2面1線のホームの右側のホームを撮影しました。現在は使用されていないホームですが、かつては、降車用のホームだったともいわれています。駅舎前から見えた深日港駅方面です。ホームの上屋の先に長いホームが残っています。ホームは柵で囲まれ、安全面の配慮がなされています。今でこそ2両編成の電車が運行されていますが、6両編成の電車が入線していた時代がありました。

昭和23(1948)年に完成した深日港です。川崎重工業泉州工場の船溜(ふなだまり)を改修して深日港が完成すると、深日港から淡路島や徳島に向かう航路が開設されました。昭和22(1947)年の路線譲渡によって多奈川線を所有していた南海電鉄は、昭和23(1948)年11月3日に、多奈川駅と深日町駅の間に深日港駅を開設し、難波駅から多奈川駅に乗り入れる直通急行(「淡路連絡急行「淡路号」)を運行するようになりました。このルートは、大阪市と淡路島・徳島間を結ぶ最短コースとして、やがてメインルートになっていきました。6両編成で運行された「淡路号」に合わせて、長いホームがつくられていたのです。

こちらは、2面1線のホームの左側のホームです、駅舎の前から深日港方面を撮影しました。ホームの脇の草に覆われてるところに、線路の跡がありました。2面2線のホームだった頃、ここが1番線でした。到着した線路が2番線になっていました。

これはホームの上屋です。どっしりとした重量感のある上屋の下に、ベンチが設置されていました。多くの人で賑わった多奈川線ですが、平成10(1998)年の明石海峡大橋の開業によって、深日港を拠点にしていた旅客船業者は大きな打撃を受け、深日港から撤退して行きました。多奈川線の花形であった「淡路号」も、それに先立つ平成5(1993)年に廃止されています。

駅スタッフをお見かけしましたが、自動改札機で改札を出ました。駅舎には自動券売機が設置されていました。通勤時間帯には1時間に3本、その他の時間帯は2本の列車が運行されていました。

駅舎の外へ出ました。平屋建ての駅舎です。広い駅前広場がありました。多奈川駅が開業された頃をしのぶことができます。

駅舎に向かって左側には、広い自転車置き場がありました。

広場から多奈川線に平行して走る通り(大阪府道65号岬加太港線)に出ました。岬町を走るメインルートです。かつての町の雰囲気を残す建物がありました。

通りから見た多奈川駅のホームです。長いホームにどっしりとした上屋が見えました。

多奈川線のホームの海側には、かつての川崎重工業に替わって、新日本工機の工場が広がっています。多奈川線は、今もここにある工場の従業員の”通勤の足”という役割を担っているようです。

多奈川線に乗ってきました。
大阪と淡路島・四国を最短コースで結ぶための大きな役割を果たしていた南海電鉄多奈川線。多くの人に親しまれた淡路連絡急行「淡路号」の栄光の歴史を支えた路線でした。その当時の面影は、今も残る長いホームからわずかにしのぶことができました。
いつまでも、その当時の面影を後世に伝えてほしいと願っています。

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