トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

多奈川線深日町駅に向かう

2018年09月04日 | 日記
南海本線から分岐する鉄道が6路線あります。汐見橋線、高師浜(たかしのはま)線、空港線、多奈川(たながわ)線、加太線、和歌山港線の6路線です。これまで、汐見橋線(「レトロな駅舎が続く、南海電鉄汐見橋線」2015年12月17日の日記)と高師浜線(「私鉄の最短路線、南海電鉄高師浜線に乗る」2015年11月27日の日記)は訪ねてきました。

南海電鉄多奈川線は、大阪府の最南端、泉南郡岬町にあるみさき公園駅から、多奈川駅までの2.6kmの路線です。戦時中の昭和19(1944)年、潜水艦などを製造していた川崎重工業泉州工場で働く従業員の輸送を目的に開業しました。みさき公園駅から、深日町(ふけちょう)駅、深日港(ふけこう)駅を経て、終点の多奈川駅までを、2両編成ワンマン運転の電車が6分ぐらいで結んでいます。写真は、多奈川線内を往復運転している南海電鉄の2200系車両(2252号車+2202号車)です。深日町駅で撮影しました。このところ、多奈川線の駅を訪ねていて、すでに、深日港駅(「南海電鉄多奈川線、深日港駅を訪ねる」2018年8月27日の日記)と多奈川駅(「大阪府で最も西にある駅、南海電鉄多奈川駅」2018年9月1日の日記)を訪ねて来ました。この日は、残る深日町(ふけちょう)駅を訪ねることにしていました。

以前訪ねた深日港駅です。昭和23(1948)年に開業した深日港の最寄駅です。深日港からは淡路島・徳島を結ぶ航路が開設され、大阪なんば駅から多奈川駅間に、直通急行「淡路号」が運行されていました。このルートは、大阪市と淡路島・徳島を結ぶ最短ルートとして、多くの人に利用されていました。

しかし、大阪港や神戸港からのフェリーが増加したことや、平成10(1998)年に明石海峡大橋が開通したことにより、輸送客が激減。深日港を起点にしていたフェリーは廃止されました。多奈川線の”直通急行淡路号”も、これより早い平成5(1993)年に廃止されています。写真は、繁忙期に使用されていた深日港駅の広い改札口です。今もそのまま残されており、多くの乗客で賑わっていた頃の面影を伝えています。

深日港で出発を待っている高速船”インフィニティ”です。かつての賑わいを取り戻すため、岬町と淡路島の洲本市は、深日港と洲本港の間を55分で結ぶ”深日洲本ライナー”(1日4往復)の試験運行を、昨年に引き続き行っています、期間は、平成30年7月1日から来年の2月までとなっています。

「深日港駅」の駅名は難読駅として知られています。「ふけ」は「湾曲したところ」を表す「ふくれる」「ふくろ」が転じた「ふけい」に由来するそうです。また、「深日」の字は、奈良時代に法隆寺が朝廷に提出した財産目録に「河内国日根郡鳥取郷深日」と書かれているそうで、いずれも奈良時代までさまのぼることができる由緒ある駅名(地名)のようです。
この日は、深日港駅から深日町駅を訪ねるつもりでした。深日港駅から駅前広場の先を撮影しました。踏切の向こうに和風の建物が残っていました。昭和の雰囲気を残す通りだとお聞きしたこともあり、ここから歩いて深日町駅に向かいました。

多奈川線に沿った道を昭和の雰囲気を探して歩きました。建物には「旅館とらや」の文字がありました。旅館の建物でした。人の気配がなく廃業されているようでした。かつては、多くの宿泊者で賑わっていたと思われます。

裏に回ってみました。引き返して深日港駅前の踏切を渡り大阪府道65号(岬加太港線)を深日町方面に歩きます。多奈川線の線路の向こうに、とらや旅館の存在感のある建物が見えました。

とらや旅館に戻り、深日町駅をめざして歩きます。とらや旅館のすぐ先の左側に、「岬荘」と書かれた木造アパートが残っていました。しかし、草に覆われて、がラスはすべて破壊されていて、屋根と柱と壁だけといった状況でした。使われなくなって、かなりの時間が経過しているようです。

その先の左側にあった”お好み焼き よっちゃん”のお店です。ここも廃業されていました。

古くからの通りに、和風の民家が並んでいます。

道なりに進みます。静かで落ち着いた雰囲気を感じる通りです。

正面左側に「地球塾」の看板があるところを右折して進むと、深日町駅の近くに行くことができます。

右側の民家の間から、深日港駅に向かう多奈川線の電車が見えました。突きあたりのピンク色の建物がかすかに見えました。

突き当たりにあるピンク色の建物の前に来ました。「軽食喫茶ロータリー」と書かれた看板がありました。残念ながら廃業されているようでした。この通りは、大阪府道752号和歌山阪南線(旧国道26号・2017年から)のみさき公園側(左側)です。

府道752号の右側です。深日中央交差点です。通りを跨ぐ多奈川線の鉄橋の手前、右側に深日町駅があります。府道752号は、交差点から左に向かって、和歌山市に向かって延びています。ここで右に分岐しているのが、府道65号(岬加太港線)です。多奈川線は、この通りと並行して、多奈川駅に向かっています。

深日町駅です。左側の多奈川線の高架はアーチ状になっています。三連のアーチが見えました。

深日町駅を過ぎて、多奈川線の鉄橋の下に入りました。正面がみさき公園駅方面です。2車線分の幅があります。左側の鉄橋上には線路が見えますが、右側には線路がありません。多奈川線が開業した頃には、2車線分の線路が敷設されていたのではないでしょうか。

鉄橋の下をくぐって府道65号の脇に出ました。府道を横断する陸橋と三連アーチが見えました。

これは、横断陸橋から見た三連アーチです。

横断陸橋からの線路とホームの姿です。よく見ると駐車場と高架線の間に、樹木で覆われていましたが、ホームに上がっていく階段が残っていました。現在は、駐車場になっていて階段を上ることはできませんが、駐車場の部分を通れば、駅前広場からアーチの下を抜けて階段に行くことができます。かつては、こちら側の線路も敷設されていたのだと確信しました。

自動券売機で切符を購入してホームに向かいます。改札の先に長い階段がありました。

1面1線のホームに上がりました。ずいぶん下の方に駅舎の屋根が見えました。

ホームから見たみさき公園駅方面です。駅から出発して行った電車が見えますが、みさき公園駅からやって来た多奈川駅行きの電車は、まっすぐに向こう側のホームに入る構造になっています。

こちらは、多奈川駅方面の光景です。ホームにある上屋と向こう側にかつてのホーム跡が見えました。やはり、かつては2面2線のホームをもった駅だったようです。しかし、対向するホームを使用していたという記録は残っていないのだそうです。

ホームの上屋の中にあった駅名標です。深日町駅は、みさき公園駅から1.4km、深日港駅まで0.7kmのところにありました。

ホームの間にあった「駅中心点 1k000M」の標識です。みさき公園駅から1.4kmと、距離は少し違っていましたが、なぜなのかよくわかりませんでした。他の多奈川線の駅と同じように、長いホームが残っています。現在は2両編成の電車が走っていますので、ホームに柵が作られています。かつての”直通急行「淡路号」は6両編成で運用されていましたので、その名残だといわれています。

多奈川線の深日町駅を歩きました。深日町駅は、岬町に合併する前の旧深日町の最寄駅として開業しました。
高架上にある線路を支える三連アーチと府道を跨ぐ橋桁が印象的な駅でした。



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