月刊少年マガジンに源頼光が、清和天皇(850~881)の玄孫と名乗り登場します。
天皇名のほとんどは後世の諡号ないし追号です。
~探して見つかった記事です:
宇多天皇(867~931)から江戸後期の後桃園天皇(1758~1779)まで、
諡号を奉る慣例は廃れていました。
その間の天皇名は大半が追号といい、いってみれば通称です。
何となく呼ばれるようになっただけで正式なものではありませんから、
実は複数の追号を持つ天皇も普通にいました。現在それらが知られていないのは、
明治から大正末にかけて政府が整理し、正式決定した諡号以外は廃止したからです。
ちなみに、冷泉天皇(950~1011)以降は天皇号も使われなくなり、
退位後及び没後は原則として「○○院」と呼ばれました。
歴代の院号を廃止して天皇号に統一したのも、大正14年という比較的最近の話です。
こういう状況なので、当代の天皇が、どういう名前を名乗っていたかというのを
調べて、その名で書いただけでは話が通じないというのもありますね。
「後」を付けた名前なんて、誰も名乗らないはずです。
本人が死んでいるからつけることができるのですが、
先祖にそんな名前つけられても誰も怒らなかったのか?
昔、古墳から出土した鉄剣に記述されている大王が、xx天皇であるという
新聞記事でも、ええ?なんでそうなるの?という疑問しか無かった。
新聞が注釈つけていなかったし、仕方ないか~
そもそも天皇と呼び出したのは7世紀の天武天皇かららしいです。
よって、平安時代の天皇が天皇を名乗っても不思議はないです。
もっとも天武は後世の諡です。
名前・呼び名・諡もそれぞれ複数持つ天皇もいたようです。
縁起が悪いと漢字を挿入したり変えた天皇もいたようです。
ともかく、現世天皇に後世に伝えられている天皇名を使うのは間違いですが、
当代の呼び名を調べるのも大変でしょうし、読者がそれ誰だと理解できなくなりますから、
言い訳を付記しておくのが良いです。
明治以降は天皇名が元号と同一になるように決められましたが、
代が変わった後に使う様にしないと失礼であることにご注意ください。
天皇名のほとんどは後世の諡号ないし追号です。
~探して見つかった記事です:
宇多天皇(867~931)から江戸後期の後桃園天皇(1758~1779)まで、
諡号を奉る慣例は廃れていました。
その間の天皇名は大半が追号といい、いってみれば通称です。
何となく呼ばれるようになっただけで正式なものではありませんから、
実は複数の追号を持つ天皇も普通にいました。現在それらが知られていないのは、
明治から大正末にかけて政府が整理し、正式決定した諡号以外は廃止したからです。
ちなみに、冷泉天皇(950~1011)以降は天皇号も使われなくなり、
退位後及び没後は原則として「○○院」と呼ばれました。
歴代の院号を廃止して天皇号に統一したのも、大正14年という比較的最近の話です。
こういう状況なので、当代の天皇が、どういう名前を名乗っていたかというのを
調べて、その名で書いただけでは話が通じないというのもありますね。
「後」を付けた名前なんて、誰も名乗らないはずです。
本人が死んでいるからつけることができるのですが、
先祖にそんな名前つけられても誰も怒らなかったのか?
昔、古墳から出土した鉄剣に記述されている大王が、xx天皇であるという
新聞記事でも、ええ?なんでそうなるの?という疑問しか無かった。
新聞が注釈つけていなかったし、仕方ないか~
そもそも天皇と呼び出したのは7世紀の天武天皇かららしいです。
よって、平安時代の天皇が天皇を名乗っても不思議はないです。
もっとも天武は後世の諡です。
名前・呼び名・諡もそれぞれ複数持つ天皇もいたようです。
縁起が悪いと漢字を挿入したり変えた天皇もいたようです。
ともかく、現世天皇に後世に伝えられている天皇名を使うのは間違いですが、
当代の呼び名を調べるのも大変でしょうし、読者がそれ誰だと理解できなくなりますから、
言い訳を付記しておくのが良いです。
明治以降は天皇名が元号と同一になるように決められましたが、
代が変わった後に使う様にしないと失礼であることにご注意ください。
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